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ヘレニズム
ヘレニズム時代
ヘレニズム時代は、紀元前330年のアケメネス朝ペルシア帝国の滅亡から、紀元前30年のプトレマイオス朝エジプトの滅亡までの、約300年間を指す。ヘレニズムはアレクサンドロスの遠征によって西アジアに生まれた東西文化融合をもたらし、ギリシア語の一方言であるコイネが共通語として用いられた。「ヘレニズム」の呼称は19世紀のドイツ人学者ドロイゼンによって、命名された。
マケドニア
マケドニアはギリシアの北方に位置し、ギリシア人(ドーリア人?)の国家ながら、ギリシアからはバルバロイとしての扱いを受けていた。この国は古代ギリシアが民主制を確立した時期も専制王政を継続し、フィリッポス2世の時代には富国強兵に努めて、ギリシア文化の導入と軍制改革を行った。そして紀元前338年にカイロネイアの戦いでアテネ・テーベの連合ギリシア軍を撃破し、ギリシアの覇権を掌握した。翌紀元前337年には「コリント(ヘラス)同盟」を結成し、スパルタを除く全ギリシアの同盟の盟主となる。さらに、フィリッポス2世はペルシアへの遠征を企だてたが、紀元前336年に志し半ばにして何者かに暗殺されてしまった。
当時ギリシアのアテネでは、マケドニアの脅威を説いて反マケドニアの考えを持つデモステネスと、ギリシアの統一とペルシアへの遠征を考える親マケドニア派のイソクラテスが激しい論争を繰り広げたが、結局親マケドニア派が優勢となり、コリント同盟に加わることとなったのである。
アレクサンドロス大王
アレクサンドロス大王は紀元前334年から紀元前324年にかけて東方遠征を行い、大帝国を建設した。紀元前333年のイッソスの戦いでアケメネス朝ペルシア軍を破り、紀元前331年のアルベラ(ガウガメラ)の戦いでも勝利した。紀元前330年、各地を逃げ続けていた皇帝ダレイオス3世はサトラップに殺害され、この時アケメネス朝ペルシアは滅亡した。その後もアレクサンドロスによる東征で領土の膨張は続き、インドのインダス川に及ぶ大帝国ができあがった。
この時代は東西文化があらゆる面において融合した時代である。集団結婚などに代表される民族の融合、ギリシア人の東方移住に伴って各地に建設されたギリシア風都市のアレクサンドリア、公用語としての「コイネ(ギリシア語の方言)」の使用など、西の文化が東へ伝播する一方、アレクサンドロス大王は東方的な専制政治の形態を採用した。これにより、ギリシア的な民主制のポリス世界は終焉を迎えた。
ヘレニズム諸国
紀元前323年にはアレクサンドロス大王も死去し、ディアドコイ(「後継者」の意)たちがディアドコイ戦争と呼ばれる争いを繰り広げるようになった。その後、紀元前301年のイプソスの戦いで各国領土の大勢が決し、ヘレニズム地域の国家領域が確定された。
ディアドコイ戦争後の各国の状況はだいたい次の通りである。マケドニアはカサンドロス朝マケドニアになり、後にアンティゴノス朝マケドニアへと変わるが、紀元前146年にローマに征服され滅亡した。小アジアの諸国は祭壇の遺跡が有名なペルガモン王国などに分裂し、紀元前1世紀にはローマの征服を受けた。エジプトではアレクサンドロスを首都とするプトレマイオス朝ができたが、紀元前31年のアクティウムの海戦でローマに大敗し、翌紀元前30年にはローマに滅ぼされる。
シリアより東では、はじめ、セレウコス朝シリアがインドに及ぶ大領土を支配していたが、ペルシア系の部族がイランにパルティアを作り独立した。後にこの地にはササン朝ペルシア帝国が成立することになる。また、東の果てアム川周辺ではギリシア系の人々がバクトリアを作り独立した。この時この地にいたギリシア人の美術がクシャーナ朝期に在来文化と融合し、仏教の仏像で有名なガンダーラ美術を生み出された。
ヘレニズム文化
ヘレニズム文化の特徴は、東西が融合された文化であり、非常に広範囲で文化的共有点が多かったことである。その文化の中心地はプトレマイオス朝エジプトの首都アレクサンドリア、セレウコス朝シリアの首都アンティオキア、小アジアのペルガモン等である。
ヘレニズムの時代になると、ポリスという集合的考えから個人主義へと視点が移った。また、広域な地域を支配するに至ったために、世界を巨大なポリスと見なすコスモポリタニズム(世界市民主義)へと思想が広がっていった。
そのような中で、大きく見て二つの哲学的思想が現れた。エピクロスが創設した精神的快楽主義を追求するエピクロス派と、キプロスのゼノンが創始した理性に従った禁欲主義を追求するストア派である。後に知識人たちに好まれたのはやはり禁欲主義を唱えるストア派であった。
ヘレニズム時代には自然科学も大きく発展した。その中心は、特にプトレマイオス朝エジプトのアレクサンドリアにあった王立研究所ムセイオンである。エラトステネスは地球の子午線の長さをかなり性格に測定した。アリスタルコスは天文学において、太陽中心説という地動説の考えをまとめ上げた。エウクレイデス(ユークリッド)は平面幾何学を完成し、著書の「エレメンタ」の中でギリシア時代のほとんど全ての平面幾何の命題を証明している。アルキメデスは比重の原則を発見したことできわめて有名である。
ヘレニズム時代の美術は均整美を求めたギリシアのものとは異なり、技巧的で誇張的なもので「ミロのヴィーナス」や「ラオコーン」、「瀕死のガリア人」などが世界的に有名である。
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