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世界史猛特訓 第 98 号 バックナンバー配送バージョン
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もくじ
1------本文
2------カッコ抜き問題
3------一問一答
4------ご案内
5------連絡先など
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1本文
ヴィクトリア女王時代のイギリス
ヴィクトリア女王時代のイギリスは、世界の産業、技術、貿易、金融の中心
となり、黄金時代を謳歌した。議会では自由党と保守党の二大政党が交互に政
権を交代し、自由党のグラッドストンや保守党のディズレーリなどの大政治家
も出て、議会政治も発展した。また、1867年の第2回選挙法改正で都市労働者
に選挙権が付与され、1884年の第3回選挙法改正では農村労働者や鉱山労働者
などにも選挙権が与えられた。その間、国費による義務教育を定めた教育法
や、労働組合活動の合法化を定めた労働組合法も成立し、着実な民主化が行わ
れた。
1860年代以後、ヨーロッパ、アメリカでは産業革命が本格的に進展し、欧米
諸国の経済的な対英依存から徐々に脱却した。そのため、イギリスの市場は
徐々に小さくなり、1870年代半ばになると、その経済的覇権に陰りが見えはじ
めた。1870年代後半、保守党ディズレーリ内閣の時代には、それまでの植民地
軽視の姿勢を一転し、植民地の重要性が再認識されるようになり、帝国主義政
策がとられるようになった。1875年、国際スエズ運河会社株を買収してスエズ
の支配を握り、1877年にはインドを直轄化して英領インド帝国を設置した。
1878年のベルリン会議ではロシアの地中海進出をくい止め、新たな植民地の獲
得へ向けて動いた。
白人支配の植民地には自治権が与えられ、カナダ(1867)、オーストラリア
(1901)、ニュージーランド(1907)、南アフリカ連邦(1910)は自治領と
なった。しかし、アイルランド問題は残り、現在もなお完全な解決はなされて
いない。
イタリアの統一
ウィーン会議でオーストリアがヴェネツィアとロンバルディアを領有したイ
タリアでは、統一への前提としてオーストリアを国内から排除することが必要
であった。二月革命時、サルデーニャ王国が起こした対オーストリア戦争は
オーストリアの軍事力の前に敗北を喫し、マッツィーニ率いる青年イタリア党
が建てたローマ共和国もフランスの出兵で崩壊し、統一への動きは失敗に終
わった。
サルデーニャ王国では、敗戦によってカルロ=アルベルトの退位した後、ヴ
ィットーリオ=エマヌエーレ2世が即位した。彼はカヴールを首相に任命し、
産業の振興や軍制改革などの近代化政策を進めて統一への地固めを行った。外
交では列国の勢力均衡を利用し、1853年からのクリミア戦争に参戦してイギリ
ス、フランスに接近するなどの政策をとり、1858年にはフランスのナポレオン
3世とプロンビエール密約を結んで、サヴォイ、ニースの割譲を条件として対
オーストリア戦争でのフランスの支援をとりつけた。
1859年、イタリア統一戦争が勃発し、サルデーニャはフランス軍の援助も
あってオーストリアに対して優勢に立つが、サルデーニャの強大化をおそれた
フランスはヴィアフランカ条約でオーストリアと講和した。このため、この時
サルデーニャはロンバルディアを獲得するにとどまり、統一は一時停滞した。
1860年、サルデーニャは中部イタリアを併合し、これを承認したフランスに対
し、サヴォイ、ニースを割譲した。同年、青年イタリア党のガリバルディ率い
る義勇隊赤シャツ隊がシチリア島に上陸し、シチリア島、ナポリ王国を占領し
てサルデーニャ王に献上して一応イタリアは統一された。1861年、ヴィットー
リオ=エマヌエーレ2世が国王となり、ヴェネツィアと教皇領を除きいてイタ
リア王国が成立した。その後、1866年には普墺戦争でプロイセン側につき、講
和条約でヴェネツィアを併合、1870年には普仏戦争時のフランス守備隊の撤退
をついて教皇領を占領し、翌年、首都をローマに遷した。
統一を終えたイタリア王国では、チロル、トリエステなどのイタリア人が居
住する未回復地域の領有に関する未回収のイタリア問題や、ヴァチカン教皇と
の対立、国内での土地制度や経済の南北格差などの問題が残り、国家統一が
成ったとはいえ、政治的には不安定であった。
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2カッコ抜き
ヴィクトリア女王時代のイギリス
ヴィクトリア女王時代のイギリスは、世界の産業、技術、貿易、金融の中心
となり、黄金時代を謳歌した。議会では( 1 )党と( 2 )党の二大政
党が交互に政権を交代し、自由党の( 3 )や保守党の( 4 )などの大
政治家も出て、議会政治も発展した。また、1867年の( 5 )で都市労働者
に選挙権が付与され、1884年の( 6 )では農村労働者や鉱山労働者などに
も選挙権が与えられた。その間、国費による義務教育を定めた( 7 )法
や、労働組合活動の合法化を定めた( 8 )法も成立し、着実な民主化が行
われた。
1860年代以後、ヨーロッパ、アメリカでは産業革命が本格的に進展し、欧米
諸国の経済的な対英依存から徐々に脱却した。そのため、イギリスの市場は
徐々に小さくなり、1870年代半ばになると、その経済的覇権に陰りが見えはじ
めた。1870年代後半、保守党ディズレーリ内閣の時代には、それまでの植民地
軽視の姿勢を一転し、植民地の重要性が再認識されるようになり、帝国主義政
策がとられるようになった。1875年、国際スエズ運河会社株を買収してスエズ
の支配を握り、1877年にはインドを直轄化して( 9 )を設置した。1878年
のベルリン会議ではロシアの地中海進出をくい止め、新たな植民地の獲得へ向
けて動いた。
白人支配の植民地には自治権が与えられ、カナダ(1867)、オーストラリア
(1901)、ニュージーランド(1907)、南アフリカ連邦(1910)は自治領と
なった。しかし、アイルランド問題は残り、現在もなお完全な解決はなされて
いない。
イタリアの統一
ウィーン会議でオーストリアがヴェネツィアとロンバルディアを領有したイ
タリアでは、統一への前提としてオーストリアを国内から排除することが必要
であった。二月革命時、サルデーニャ王国が起こした対オーストリア戦争は
オーストリアの軍事力の前に敗北を喫し、( 10 )率いる青年イタリア党が
建てたローマ共和国もフランスの出兵で崩壊し、統一への動きは失敗に終わっ
た。
サルデーニャ王国では、敗戦によってカルロ=アルベルトの退位した後、
( 11 )が即位した。彼はカヴールを首相に任命し、産業の振興や軍制改革
などの近代化政策を進めて統一への地固めを行った。外交では列国の勢力均衡
を利用し、1853年からの( 12 )戦争に参戦してイギリス、フランスに接近
するなどの政策をとり、1858年にはフランスの( 13 )とプロンビエール密
約を結んで、サヴォイ、ニースの割譲を条件として対オーストリア戦争でのフ
ランスの支援をとりつけた。
1859年、イタリア統一戦争が勃発し、サルデーニャはフランス軍の援助も
あってオーストリアに対して優勢に立つが、サルデーニャの強大化をおそれた
フランスはヴィアフランカ条約でオーストリアと講和した。このため、この時
サルデーニャは( 14 )を獲得するにとどまり、統一は一時停滞した。
1860年、サルデーニャは( 15 )を併合し、これを承認したフランスに対
し、サヴォイ、ニースを割譲した。同年、青年イタリア党の( 16 )率いる
義勇隊赤シャツ隊がシチリア島に上陸し、シチリア島、ナポリ王国を占領して
サルデーニャ王に献上して一応イタリアは統一された。1861年、ヴィットーリ
オ=エマヌエーレ2世が国王となり、ヴェネツィアと教皇領を除きいて
( 17 )が成立した。その後、1866年には普墺戦争でプロイセン側につき、
講和条約で( 18 )を併合、1870年には普仏戦争時のフランス守備隊の撤退
をついて教皇領を占領し、翌年、首都をローマに遷した。
統一を終えたイタリア王国では、チロル、( 19 )などのイタリア人が居
住する未回復地域の領有に関する未回収のイタリア問題や、ヴァチカン教皇と
の対立、国内での土地制度や経済の南北格差などの問題が残り、国家統一が
成ったとはいえ、政治的には不安定であった。
解答
1・2:自由/保守 3:グラッドストン 4:ディズレーリ
5:第2回選挙法改正 6:第3回選挙法改正 7:教育
8:労働組合 9:英領インド帝国 10:マッツィーニ
11:ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世 12:クリミア
13:ナポレオン3世 14:ロンバルディア 15:中部イタリア
16:ガリバルディ 17:イタリア王国 18:ヴェネツィア
19:トリエステ
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3一問一答
1:第2回選挙法改正で新たに選挙権を得たのはどういった人々か。
2:マッツィーニが組織した民族統一を目的とする結社は何か。
3:二月革命時に、マッツィーニらが樹立した国家を何というか。
4:ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世が首相に任命した貴族は誰か。
5:中部イタリア併合承認の代償として、サルデーニャがフランスに割譲した
地域はどこか。
6:イタリア統一後、未回復に終わったチロルやトリエステのことを何と呼ぶ
か。
解答
1:都市労働者
2:青年イタリア党
3:ローマ共和国
4:カヴール
5:サヴォイ ニース
6:未回収のイタリア
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