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 世界史猛特訓  第 97 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
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 ************************************************************* 
 1本文
 
 二月革命
 
  七月王政下、フランスの政治は少数のブルジョワジーに牛耳られていたが、
 1830年代以降の産業革命の進展に伴い、産業資本家も政治への参加を要求しは
 じめた。さらに、産業革命に伴って労働者も増加し、こちらも政治参加を求め
 た。
 
  1848年2月、ギゾー内閣は選挙法の改正を拒否して集会を禁止した。そのた
 め、2月22日にパリの民衆が暴動を起こして市街戦となり、国王はイギリスに
 亡命した。24日には臨時政府が成立し、第二共和政が樹立された。
 
  第二共和政下の臨時政府では、ラマルティーヌが首班となったが、政府内で
 は産業資本下層を代表した自由主義派と、社会主義者とが混在しており、ルイ
 =ブランも入閣していた。その政策は、言論、出版、集会、結社の自由を保障
 し、21歳以上の男子普通選挙を定めるなど自由主義的である一方、10時間労働
 制や労働者の団結権の保障、国立作業場の設置による失業者救済など、労働者
 の利益を図るものも含まれていた。
 
  1848年4月、フランスではヨーロッパ初の本格的な普通選挙が行われた。こ
 の選挙では、国民の大多数を占める農民が土地の共有をおそれて自由主義派を
 支持し、自由主義共和派が圧勝した。その結果政府は保守化し、社会主義者は
 内閣から排除され、国立作業場も閉鎖された。これに対して労働者は6月に暴
 動を起こしたが鎮圧され、第二共和政での自由主義が確立した。11月には第二
 共和国憲法が制定され、12月に行われた大統領選挙ではルイ=ナポレオンが当
 選した。
 
  1851年12月、ルイ=ナポレオンはクーデターを起こして政権を奪取して独裁
 権を掌握し、議会の解散と大統領任期の延長を行った。軍部、世論はこれを支
 持し、1852年の国民投票で皇帝ナポレオン3世として即位した。ここから第二
 帝政が始まるが、ナポレオン3世は特定の支持基盤を持たなかったため、各階
 層に迎合して人気を維持する政治手法をとり、この手法はボナパルティズムと
 呼ばれる。
 
 
 二月革命の影響
 
  1848年の二月革命はヨーロッパ各地に波及し、各地で革命運動が盛り上がり
 を見せた。この時期は諸国民の春と言われた。
 
  オーストリアでは、3月13日にウィーン暴動(三月革命)が起り、メッテル
 ニヒはイギリスに亡命し、憲法制定議会が招集された。これに伴って、オース
 トリア領内の諸民族が分離独立に動き、ハンガリーが1849年にコッシュートの
 下で独立政府を樹立、ベーメン(ボヘミア)でも民族運動が展開された。さら
 に、北イタリアのサルデーニャ王カルロ=アルベルトはオーストリアに宣戦布
 告し、青年イタリア党のマッツィーニがローマ共和国を樹立するなど、イタリ
 アでも民族運動が高揚した。
 
  プロイセンでは、3月18日にベルリン暴動(三月革命)が起こり、憲法制定
 会議が招集され、自由主義内閣が成立した。ドイツの各地では自由主義者運動
 が高揚し、1848年5月から開かれたフランクフルト国民議会では各地の自由主
 義者が結集し、民主的な憲法とドイツ統一について討議された。
 
  イギリスでは、この時期にチャーティスト運動が最後の盛りを迎えた。
 
  1848年夏になると、保守勢力も勢力を立て直して反革命の動きが鮮明になる
 一方、革命派は急進派と穏健派が内部対立し、49年にかけて各地の革命運動は
 次々に鎮圧され、挫折した。
 
  オーストリアでは憲法制定議会が軍による弾圧で解散され、ハンガリーの独
 立運動はオーストリア軍とロシア軍によって鎮圧された。オーストリアに宣戦
 布告したサルデーニャ王国は、1849年3月の戦いでオーストリア軍に大敗し、
 カルロ=アルベルトは退位に追い込まれた。ローマ共和国も1849年のフランス
 出兵で崩壊した。
 
  プロイセンでは国王が反動化して欽定憲法を発布した。フランクフルト国民
 議会はドイツの統一方法をめぐって大ドイツ主義と小ドイツ主義の間で対立
 し、プロイセン王をドイツ帝国皇帝とするなどの決議をするが、プロイセン王
 はこれを拒否し、議会は弾圧により解散された。
 
  1848年の二月革命と、その波及により、ウィーン体制は完全に崩壊した。各
 地に波及した革命運動は東欧での民族自決運動や、イタリア、ドイツの統一運
 動など、ナショナリズムを高揚させた。その一方、ブルジョワは革命の進展に
 つれて保守化して反革命に転じ、革命後はブルジョワと保守勢力が妥協して主
 導権を掌握した。
 
 
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 2カッコ抜き
 
 二月革命
 
  七月王政下、フランスの政治は少数のブルジョワジーに牛耳られていたが、
 1830年代以降の産業革命の進展に伴い、産業資本家も政治への参加を要求しは
 じめた。さらに、産業革命に伴って労働者も増加し、こちらも政治参加を求め
 た。
 
  1848年2月、ギゾー内閣は選挙法の改正を拒否して集会を禁止した。そのた
 め、2月22日にパリの民衆が暴動を起こして市街戦となり、国王はイギリスに
 亡命した。24日には臨時政府が成立し、第二共和政が樹立された。
 
  第二共和政下の臨時政府では、( 1 )が首班となったが、政府内では産
 業資本下層を代表した自由主義派と、社会主義者とが混在しており、
 ( 2 )も入閣していた。その政策は、言論、出版、集会、結社の自由を保
 障し、21歳以上の男子普通選挙を定めるなど自由主義的である一方、10時間労
 働制や労働者の団結権の保障、( 3 )の設置による失業者救済など、労働
 者の利益を図るものも含まれていた。
 
  1848年4月、フランスではヨーロッパ初の本格的な普通選挙が行われた。こ
 の選挙では、国民の大多数を占める農民が土地の共有をおそれて自由主義派を
 支持し、自由主義共和派が圧勝した。その結果政府は保守化し、社会主義者は
 内閣から排除され、国立作業場も閉鎖された。これに対して労働者は6月に暴
 動を起こしたが鎮圧され、第二共和政での自由主義が確立した。11月には第二
 共和国憲法が制定され、12月に行われた大統領選挙では( 4 )が当選し
 た。
 
  1851年12月、ルイ=ナポレオンはクーデターを起こして政権を奪取して独裁
 権を掌握し、議会の解散と大統領任期の延長を行った。軍部、世論はこれを支
 持し、1852年の国民投票で皇帝( 5 )として即位した。ここから第二帝政
 が始まるが、( 5 )は特定の支持基盤を持たなかったため、各階層に迎合
 して人気を維持する政治手法をとり、この手法はボナパルティズムと呼ばれ
 る。
 
 
 二月革命の影響
 
  1848年の二月革命はヨーロッパ各地に波及し、各地で革命運動が盛り上がり
 を見せた。この時期は諸国民の春と言われた。
  オーストリアでは、3月13日にウィーン暴動(三月革命)が起り、
 ( 6 )はイギリスに亡命し、憲法制定議会が招集された。これに伴って、
 オーストリア領内の諸民族が分離独立に動き、ハンガリーが1849年に
 ( 7 )の下で独立政府を樹立、ベーメン(ボヘミア)でも民族運動が展開
 された。さらに、北イタリアの( 8 )王カルロ=アルベルトはオーストリ
 アに宣戦布告し、青年イタリア党のマッツィーニが( 9 )を樹立するな
 ど、イタリアでも民族運動が高揚した。
 
  プロイセンでは、3月18日にベルリン暴動(三月革命)が起こり、憲法制定
 会議が招集され、自由主義内閣が成立した。ドイツの各地では自由主義者運動
 が高揚し、1848年5月から開かれた( 10 )では各地の自由主義者が結集
 し、民主的な憲法とドイツ統一について討議された。
 
  イギリスでは、この時期にチャーティスト運動が最後の盛りを迎えた。
 
  1848年夏になると、保守勢力も勢力を立て直して反革命の動きが鮮明になる
 一方、革命派は急進派と穏健派が内部対立し、49年にかけて各地の革命運動は
 次々に鎮圧され、挫折した。
 
  オーストリアでは憲法制定議会が軍による弾圧で解散され、ハンガリーの独
 立運動はオーストリア軍とロシア軍によって鎮圧された。オーストリアに宣戦
 布告したサルデーニャ王国は、1849年3月の戦いでオーストリア軍に大敗し、
 カルロ=アルベルトは退位に追い込まれた。ローマ共和国も1849年のフランス
 出兵で崩壊した。
 
  プロイセンでは国王が反動化して欽定憲法を発布した。フランクフルト国民
 議会はドイツの統一方法をめぐって( 11 )主義と小ドイツ主義の間で対立
 し、プロイセン王をドイツ帝国皇帝とするなどの決議をするが、プロイセン王
 はこれを拒否し、議会は弾圧により解散された。
 
  1848年の二月革命と、その波及により、ウィーン体制は完全に崩壊した。各
 地に波及した革命運動は東欧での民族自決運動や、イタリア、ドイツの統一運
 動など、ナショナリズムを高揚させた。その一方、ブルジョワは革命の進展に
 つれて保守化して反革命に転じ、革命後はブルジョワと保守勢力が妥協して主
 導権を掌握した。
 
 
 
 解答
 1:ラマルティーヌ   2:ルイ=ブラン   3:国立作業場
 4:ルイ=ナポレオン   5:ナポレオン3世   6:メッテルニヒ
 7:コッシュート   8:サルデーニャ   9:ローマ共和国
 10:フランクフルト国民議会   11:大ドイツ
 
 
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 3一問一答
 
 1:二月革命の結果樹立された政体を何というか
 2:ナポレオン3世の政治手法を特に何というか
 3:2月革命に影響され、独立運動が展開されたマジャール人の国はどこか。
 4:オーストリアを除き、プロイセンを中心としたドイツ統一を主張する考え
   方を何というか。
 
 解答
 1:第二共和政
 2:ボナパルティズム
 3:ハンガリー
 4:小ドイツ主義
 
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 4ご案内
 
 
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