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 世界史猛特訓  第 95 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
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 1本文
 
 七月革命
 
  ブルボン復古王政は、一応立憲君主制の政体であったが、その政策は反動的
 であった。革命の成果は既成事実として承認されたが、ルイ18世は新憲法の下
 で君主として即位した。
 
  次のシャルル10世は強い反動政治で絶対主義の復活を目指し、旧貴族や聖職
 者を重用して議会を圧迫した。さらに、10億フラン賠償法を制定し、革命時に
 没収された貴族の土地、財産への賠償を企図した。こうした政策は自由主義者
 の反発を買い、国内に不満が蓄積された。こうして国内に不穏な空気が強まる
 と、国王はその危機を回避するためにアルジェリアに出兵した。
 
  1830年7月、王は議会を弾圧的に解散し、選挙法の改悪や言論、出版への制
 限を加えた。そのため、同年7月27日にパリの民衆がこれに反発して蜂起し、
 三日間の市街戦が展開された。その結果、王は退位してイギリスに亡命した。
 
  七月革命の結果、オルレアン家のルイ=フィリップが即位し、七月王政が成
 立した。その下で、やや緩和された制限選挙に基づく選挙が行われ、立憲君主
 制が樹立された。
 
  七月革命では上層ブルジョワが主導権を掌握し、その後の政治は大銀行や資
 本の利害に沿ったものとなった。七月革命は、ウィーン体制の破綻への第一歩
 となり、以後フランスでの産業革命が本格的に進展した。
 
 
 七月革命の影響
 
  フランスの七月革命は各国の自由主義運動を刺激した。
 
  ベルギーは1830年にオランダからの独立を宣言した。フランスはこれを支持
 し、ロシアとオーストリアは干渉を企てるが自国内の対応に追われて成功せ
 ず、1831年のロンドン会議で独立は認められた。その後、ベルギーは民主的な
 立憲王政をうちたてた。
 
  ポーランドは、1830年にポーランド革命を起こしたが、翌年ロシアに鎮圧さ
 れ、ロシアの直接統治下に置かれた。
 
  ドイツでは、1830年に西部を中心として自由主義者が統一を求める運動を展
 開したが、鎮圧された。1834年にはリストの提唱でドイツ関税同盟が発足し、
 経済的統一が促進された。
 
  イタリアでは、1831年にカルボナリ党の革命がおこったが、オーストリアに
 よって鎮圧された。同年、マッツィーニの下で青年イタリア党が結成された。
 
  ハンガリーでは1830年に反乱が勃発したが、オーストリアによって鎮圧され
 た。
 
  イギリスでは、1832年に第一回選挙法改正などの自由主義的改革が促進さ
 れ、その流れは以後も続いた。
 
 
 イギリスの政治改革
 
  フランス革命からナポレオン戦争の時期にかけて、イギリスは反動的な政策
 をとった。1801年にはアイルランドを合併し、1815年には四国同盟に参加して
 ウィーン体制の一翼を担った。さらに、大陸封鎖解除後の穀物価格下落にそな
 え、地主利益を保護するために穀物法を制定し、内政も保守化していた。
 
  1820年代になると、産業資本家達が経済の主導権を掌握し、また、労働者階
 級が巨大化するなど、社会情勢が変化していった。それにともない、トーリー
 党の政治家カニングらが自由主義的な政策を推進するようになった。そして、
 イギリスはウィーン体制から離脱した。
 
  自由主義化は宗教にも及んだ。カトリックが多数を占めるアイルランド併合
 後、審査法などのカトリック教徒への差別待遇が問題化した。オコンネルらが
 こうした差別待遇の改革に努力し、1828年には審査法が廃止され、1829年には
 カトリック教徒解放法が制定された。カトリック教徒、その他の非国教徒にも
 公職が開放された。
 
  国内の政治に対し、台頭した産業資本家達は不満を持っていた。名誉革命後
 議会政治は発展したが、その議席はジェントリによって独占されており、ま
 た、選挙権の制限や腐敗選挙区の存在などが問題となっていた。1830年代のは
 じめには七月革命の影響もあり、産業資本家による改革運動が進んだ。1832年
 にはウィッグ党のグレイ内閣が選挙資格の拡大と選挙区の再編を提案し、トー
 リー党も譲歩して、第一回選挙法改正が行われた。これ以後議会は変質し、産
 業資本家も政治に参加するようになった。一方で労働者や小市民層には不満を
 残す内容ではあったが、第一回選挙法改正は以後の改革の端緒となった。
 
  このころになると政党の再編もすすみ、近代的な大衆政党が成立するように
 なった。19世紀半ばには、トーリー党の流れからジェントリが中心となって支
 持する保守党が、ウィッグ党の流れからブルジョワが支持する自由党が、それ
 ぞれ成立した。
 
 
 *************************************************************
 2カッコ抜き
 
 七月革命
 
  ブルボン復古王政は、一応立憲君主制の政体であったが、その政策は反動的
 であった。革命の成果は既成事実として承認されたが、( 1 )は新憲法の
 下で君主として即位した。
 
  次の( 2 )は強い反動政治で絶対主義の復活を目指し、旧貴族や聖職者
 を重用して議会を圧迫した。さらに、10億フラン賠償法を制定し、革命時に没
 収された貴族の土地、財産への賠償を企図した。こうした政策は自由主義者の
 反発を買い、国内に不満が蓄積された。こうして国内に不穏な空気が強まる
 と、国王はその危機を回避するために( 3 )に出兵した。
 
  1830年7月、王は議会を弾圧的に解散し、選挙法の改悪や言論、出版への制
 限を加えた。そのため、同年7月27日にパリの民衆がこれに反発して蜂起し、
 三日間の市街戦が展開された。その結果、王は退位してイギリスに亡命した。
 
  七月革命の結果、( 4 )家のルイ=フィリップが即位し、七月王政が成
 立した。その下で、やや緩和された制限選挙に基づく選挙が行われ、立憲君主
 制が樹立された。
 
  七月革命では上層ブルジョワが主導権を掌握し、その後の政治は大銀行や資
 本の利害に沿ったものとなった。七月革命は、ウィーン体制の破綻への第一歩
 となり、以後フランスでの産業革命が本格的に進展した。
 
 
 七月革命の影響
 
  フランスの七月革命は各国の自由主義運動を刺激した。
 
  ベルギーは1830年にオランダからの独立を宣言した。フランスはこれを支持
 し、ロシアとオーストリアは干渉を企てるが自国内の対応に追われて成功せ
 ず、ロンドン会議で独立は認められた。その後、ベルギーは民主的な立憲王政
 をうちたてた。
 
  ポーランドは、1830年にポーランド革命を起こしたが、翌年ロシアに鎮圧さ
 れ、ロシアの直接統治下に置かれた。
 
  ドイツでは、1830年に西部を中心として自由主義者が統一を求める運動を展
 開したが、鎮圧された。1834年にはリストの提唱でドイツ関税同盟が発足し、
 経済的統一が促進された。
 
  イタリアでは、1831年にカルボナリ党の革命がおこったが、オーストリアに
 よって鎮圧された。同年、マッツィーニの下で青年イタリア党が結成された。
 
  ハンガリーでは1830年に反乱が勃発したが、オーストリアによって鎮圧され
 た。
 
  イギリスでは、1832年に第一回選挙法改正などの自由主義的改革が促進さ
 れ、その流れは以後も続いた。
 
 
 イギリスの政治改革
 
  フランス革命からナポレオン戦争の時期にかけて、イギリスは反動的な政策
 をとった。1801年にはアイルランドを合併し、1815年には( 5 )同盟に参
 加してウィーン体制の一翼を担った。さらに、大陸封鎖解除後の穀物価格下落
 にそなえ、地主利益を保護するために( 6 )法を制定し、内政も保守化し
 ていた。
 
  1820年代になると、産業資本家達が経済の主導権を掌握し、また、労働者階
 級が巨大化するなど、社会情勢が変化していった。それにともない、トーリー
 党の政治家カニングらが自由主義的な政策を推進するようになった。そして、
 イギリスはウィーン体制から離脱した。
 
  自由主義化は宗教にも及んだ。カトリックが多数を占めるアイルランド併合
 後、( 7 )法などのカトリック教徒への差別待遇が問題化した。オコンネ
 ルらがこうした差別待遇の改革に努力し、1828年には( 7 )法が廃止さ
 れ、1829年には( 8 )法が制定された。カトリック教徒、その他の非国教
 徒にも公職が開放された。
 
  国内の政治に対し、台頭した産業資本家達は不満を持っていた。名誉革命後
 議会政治は発展したが、その議席はジェントリによって独占されており、ま
 た、選挙権の制限や( 9 )の存在などが問題となっていた。1830年代のは
 じめには七月革命の影響もあり、産業資本家による改革運動が進んだ。1832年
 にはウィッグ党のグレイ内閣が選挙資格の拡大と選挙区の再編を提案し、トー
 リー党も譲歩して、( 10 )が行われた。これ以後議会は変質し、産業資本
 家も政治に参加するようになった。一方で労働者や小市民層には不満を残す内
 容ではあったが、第一回選挙法改正は以後の改革の端緒となった。
 
  このころになると政党の再編もすすみ、近代的な大衆政党が成立するように
 なった。19世紀半ばには、トーリー党の流れからジェントリが中心となって支
 持する保守党が、ウィッグ党の流れからブルジョワが支持する自由党が、それ
 ぞれ成立した。
 
 
 
 解答
 1:ルイ18世   2:シャルル10世   3:アルジェリア
 4:オルレアン   5:四国   6:穀物   7:審査
 8:カトリック教徒解放   9:腐敗選挙区   10:第一回選挙法改正
 
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 3一問一答
 
 1:七月革命の結果、フランス王位についたのは誰か
 2:1830年にオランダから独立した国はどこか
 3:1801年にイギリスが正式に併合した地域はどこか。
 4:青年イタリア党を組織したのは誰か
 
 
 解答
 1:ルイ=フィリップ
 2:ベルギー
 3:アイルランド
 4:マッツィーニ
 
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 4ご案内
 
 
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