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 世界史猛特訓  第 93 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
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 1本文
 
 ウィーン会議
 
  1814年から1815年にかけて行われたウィーン会議は、ナポレオン戦争後の処
 理とヨーロッパ秩序の再編成を目的とし、オスマン=トルコを除く全ヨーロッ
 パ各国の君主や政治家が参加した。会議開催地オーストリアの外務大臣メッテ
 ルニヒが議長をつとめたこの会議は、各国の利害が激しく対立して混乱し、
 「会議は踊る、されど進まず」と揶揄される状態で、遅々として合意には至ら
 なかった。こうして会議が紛糾している間に、1815年にナポレオンが再挙する
 などしたため、フランスの外務大臣タレーランが提唱した正統主義に基づいて
 妥協がはかられ、1815年6月にウィーン議定書の調印が行われた。
 
  ウィーン議定書では、フランス革命以前の状態、王朝を正統とした上で、イ
 ギリス、プロイセン、オーストリア、ロシアの勢力均衡をはかることが原則と
 なった。そのため、大国の論理での国境線引きが行われることになった。フラ
 ンスは、ブルボン朝の復古王政のもとで領土はほぼ保全された。プロイセン
 は、東西に領土を拡大し、ラインラントなどを領有した。オーストリアは、南
 ネーデルラントをオランダに割譲したかわりに、ヴェネツィア、ロンバルディ
 ア地方を領有し、北イタリアに勢力を拡張した。ドイツは、オーストリアが盟
 主となって35の君主国と4つの自由市でドイツ連邦を構成した。ロシアは、
 ポーランド国王をロシア皇帝が兼務するという形でポーランドを領有し、従来
 はスウェーデンの勢力下にあったフィンランドに勢力を伸張した。イギリス
 は、ヨーロッパではマルタ島を領有するにとどまったが、戦争中に占領したセ
 イロン島やケープ植民地、シンガポール島を獲得した。そのほか、スペイン、
 ナポリではブルボン家の王朝が復古し、ローマ教皇領は復活した。オランダ
 は、南ネーデルラントを領有し、立憲君主制へ移行した。スイスは永世中立国
 となった。
 
 
 ウィーン体制
 
  ウィーン体制とは、ウィーン会議によって成立した国際秩序、各国の政治体
 制である。その性格は、復古的な保守主義、反動主義であり、五大国を中心と
 した国際秩序と勢力均衡を目指した大国主義であった。そのため、この体制は
 現状維持を目指し、新たな動きに対して抑圧や弾圧が加えられた。
 
  ウィーン体制下の国々はその体制を維持するため、1815年に神聖同盟と四国
 同盟を結んだ。神聖同盟はロシア皇帝アレクサンドル1世の提唱によって結ば
 れ、キリスト教的友愛精神による各国君主の連帯と平和維持を目的とし、イギ
 リス、トルコ、教皇領を除く各国君主が参加した紳士同盟であった。一方、四
 国同盟はイギリス、ロシア、オーストリア、プロイセンの四大国が、革命や戦
 争の再発防止のために結んだ実際的な軍事同盟で、1818年にはフランスもこれ
 に加わって五国同盟となった。
 
  このように、ウィーン体制はイギリスの産業革命やフランス革命の波及、影
 響などの新しい動きと対立し、自由な政治社会体制を求めた産業資本家などの
 ブルジョワが掲げた自由主義と相反するものであった。また、大国主義であっ
 たため国民共同体の形成のための統一や、民族自決による独立への動きは無視
 され、ドイツやイタリアは分裂状態が続き、ポーランドやオーストリア領内の
 諸民族、バルカン諸民族やアイルランドなどでの他民族による支配が続いた。
 
 
 ウィーン体制の動揺
 
  ウィーン体制は、自由主義とナショナリズムの波状的運動によって揺さぶら
 れた。また、個々の運動に対する対応は大国の利害衝突で一致せず、1820年代
 からウィーン体制は動揺した。そして、1830年の七月革命でも動揺を来し、18
 48年のニ月革命によって崩壊した。
 
  1820年代、復活した保守反動への嫌悪と反発から各国で諸運動が展開される
 が、大衆的な支持や広がりに欠け、少数のエリートや秘密結社が中心であった
 ことからその多くが失敗に終わった。
 
  ドイツでは、ブルシェンシャフト(学生同盟)がドイツの統一を訴えたが、
 1819年のカールスバード決議でこの運動に対する弾圧が決議され、鎮圧された。
 
  スペインでは、士官達がカディスで反乱を起こし、リェーゴらが立憲革命を
 起こすが、フランス軍の干渉により失敗に終わった。
 
  イタリアでは、秘密結社であるカルボナリが蜂起し、憲法の制定と分裂状態
 にあるイタリアの統一を訴えたが、オーストリア軍の干渉によって失敗した。
 
  ロシアでは、デカブリストの乱が起こり、貴族出身の青年将校らが中心と
 なってロシアの近代化を主張した。しかしこれも、ニコライ1世によって鎮圧
 されてた。
 
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 2カッコ抜き
 
 ウィーン会議
 
  1814年から1815年にかけて行われたウィーン会議は、ナポレオン戦争後の処
 理とヨーロッパ秩序の再編成を目的とし、オスマン=トルコを除く全ヨーロッ
 パ各国の君主や政治家が参加した。会議開催地オーストリアの外務大臣
 ( 1 )が議長をつとめたこの会議は、各国の利害が激しく対立して混乱し、
 「会議は踊る、されど進まず」と揶揄される状態で、遅々として合意には至ら
 なかった。こうして会議が紛糾している間に、1815年にナポレオンが再挙する
 などしたため、フランスの外務大臣( 2 )が提唱した正統主義に基づいて
 妥協がはかられ、1815年6月にウィーン議定書の調印が行われた。
 
  ウィーン議定書では、フランス革命以前の状態、王朝を正統とした上で、イ
 ギリス、プロイセン、オーストリア、ロシアの勢力均衡をはかることが原則と
 なった。そのため、大国の論理での国境線引きが行われることになった。フラ
 ンスは、ブルボン朝の復古王政のもとで領土はほぼ保全された。プロイセン
 は、東西に領土を拡大し、ラインラントなどを領有した。オーストリアは、南
 ネーデルラントをオランダに割譲したかわりに、ヴェネツィア、ロンバルディ
 ア地方を領有し、北イタリアに勢力を拡張した。ドイツは、オーストリアが盟
 主となって35の君主国と4つの自由市で( 3 )を構成した。ロシアは、
 ( 4 )国王をロシア皇帝が兼務するという形で( 4 )を領有し、従来
 はスウェーデンの勢力下にあったフィンランドに勢力を伸張した。イギリス
 は、ヨーロッパではマルタ島を領有するにとどまったが、戦争中に占領したセ
 イロン島や( 5 )植民地、シンガポール島を獲得した。そのほか、スペイ
 ン、ナポリではブルボン家の王朝が復古し、ローマ教皇領は復活した。オラン
 ダは、南ネーデルラントを領有し、立憲君主制へ移行した。スイスは永世中立
 国となった。
 
 
 ウィーン体制
 
  ウィーン体制とは、ウィーン会議によって成立した国際秩序、各国の政治体
 制である。その性格は、革命前への復古的な保守主義、反動主義であり、五大
 国を中心とした国際秩序と勢力均衡を目指した大国主義であった。そのため、
 この体制は現状維持を目指し、新たな動きに対して抑圧や弾圧が加えられた。
 
  ウィーン体制下の国々はその体制を維持するため、1815年に( 6 )同盟
 と( 7 )同盟を結んだ。( 6 )同盟はロシア皇帝アレクサンドル1世
 の提唱によって結ばれ、キリスト教的友愛精神による各国君主の連帯と平和維
 持を目的とし、イギリス、トルコ、教皇領を除く各国君主が参加した紳士同盟
 であった。一方、( 7 )同盟はイギリス、ロシア、オーストリア、プロイ
 センの四大国が、革命や戦争の再発防止のために結んだ実際的な軍事同盟で、
 1818年にはフランスもこれに加わって五国同盟となった。
 
  このように、ウィーン体制はイギリスの産業革命やフランス革命の波及、影
 響などの新しい動きと対立し、自由な政治社会体制を求めた産業資本家などの
 ブルジョワが掲げた自由主義と相反するものであった。また、大国主義であっ
 たため国民共同体の形成のための統一や、民族自決による独立への動きは無視
 され、ドイツやイタリアは分裂状態が続き、ポーランドやオーストリア領内の
 諸民族、バルカン諸民族やアイルランドなどでの他民族による支配が続いた。
 
 
 ウィーン体制の動揺
 
  ウィーン体制は、自由主義とナショナリズムの波状的運動によって揺さぶら
 れた。また、個々の運動に対する対応は大国の利害衝突で一致せず、1820年代
 からウィーン体制は動揺した。そして、1830年の七月革命でも動揺を来し、18
 48年のニ月革命によって崩壊した。
 
  1820年代、復活した保守反動への嫌悪と反発から各国で諸運動が展開される
 が、大衆的な支持や広がりに欠け、少数のエリートや秘密結社が中心であった
 ことからその多くが失敗に終わった。
 
  ドイツでは、( 8 )がドイツの統一を訴えたが、1819年のカールスバー
 ド決議でこの運動に対する弾圧が決議され、鎮圧された。
 
  スペインでは、士官達がカディスで反乱を起こし、リェーゴらが立憲革命を
 起こすが、フランス軍の干渉により失敗に終わった。
 
  イタリアでは、秘密結社である( 9 )が蜂起し、憲法の制定と分裂状態
 にあるイタリアの統一を訴えたが、オーストリア軍の干渉によって失敗した。
 
  ロシアでは、( 10 )の乱が起こり、貴族出身の青年将校らが中心となっ
 てロシアの近代化を主張した。しかしこれも、ニコライ1世によって鎮圧され
 てた。
 
 
 
 解答
 1:メッテルニヒ   2:タレーラン   3:ドイツ連邦
 4:ポーランド   5:ケープ   6:神聖   7:四国
 8:ブルシェンシャフト   9:カルボナリ   10:デカブリスト
 
 
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 3一問一答
 
 1:タレーランが提唱し、ウィーン会議の原則となった考え方は何か
 2:神聖同盟を提唱したロシア皇帝は誰か
 
 解答
 1:正統主義
 2:アレクサンドル1世
 
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