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世界史猛特訓 第 92 号 バックナンバー配送バージョン
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もくじ
1------本文
2------カッコ抜き問題
3------一問一答
4------ご案内
5------連絡先など
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1本文
産業革命の波及
18世紀後半から19世紀前半にかけてのイギリスでは、産業革命の達成や交通
手段の発達により、世界の工場とも呼ばれる工業国となり、豊富で安価な工業
製品を世界へ輸出するようになった。そのため、イギリスを核とした世界経済
のネットワークが構築され、世界の一体化は一層進んだ。
こうした、イギリスの経済的脅威と圧力にさらされたヨーロッパや北アメリ
カの諸国は、自らも産業革命を達成することで生き残りをはかり、政治的、社
会的改革によって産業革命への条件を整備した。そして、産業革命を達成する
ことで経済的自立をはたしたそれらの国々は、原料の供給地と工業製品の市場
を求めて海外に進出し、植民地を拡大した。このようにして、アジア、アフリ
カ、ラテン=アメリカの諸国は、イギリスやその他の資本主義国の経済的従属
地域になっていった。
イギリス以外の各国での産業革命は、1825年にイギリスが機械、技術の輸出
を解禁した後に進展したが、その速度には国によって格差があった。フランス
では、1830年代の七月王政下で産業革命が本格化するが、そもそもが農業国で
あったために労働力や資本が不足し、産業革命後も軽工業が中心であった。ド
イツは、1834年の関税同盟発足後に産業革命に着手し、1870年代の統一達成後
に本格化した。1880年代に入ると重工業や化学工業が発展し、イギリスをしの
ぐ工業国へと変貌した。アメリカでは、1860年代の南北戦争後に産業革命が本
格化し、1890年代には世界一の工業国になった。ロシアでは、1861年の農奴解
放後に産業革命が始まり、1890年代に本格化した。日本は、明治維新後に産業
革命が進展し、の1900年代には産業革命を成し遂げた。
産業革命の進展においては、後発国ほど政府が重要な役割を果たした。後発
国の場合、産業革命の条件がそもそも整備されていなかったので、政府がそれ
を整備する必要性があった。さらに、迅速に産業革命を遂げねば先進国に遅れ
てしまうため、上からの改革によって成し遂げられた側面が大きい。そのため
に、まずは土地改革などの農業の近代化が行われ、食料と労働力の確保が図ら
れた。また、産業に対して資金援助を行ったり、関税政策などで保護政策を
とって産業振興を奨励した。こうしたこともあり、産業革命の後発国ほど最新
式の技術や設備を導入して、重工業部門が発達した。しかし、政府主導である
ことなどから産業間、地域間で不平等な発展をまねいた。
資本主義体制の確立
初期の資本主義は、産業革命以前から存在した。当時は農業が経済の中心に
あり、大地主や商業資本家などが政治、経済の中心分野を占めていた。このこ
ろすでに工業生産は開始されており、問屋制家内工業から工場制手工業(マニ
ュファクチュア)へと生産形態も発展したが、規模は小さく生産力は低かっ
た。その上、手工業者やギルド的組織の存在もあったため、産業資本の力は弱
かった。
産業革命を経ると工場制機械工業が登場し、この形態が広く普及した。こう
なると経済の中心は工業に移り、政治や経済も産業資本家が中心となっていっ
た。さらに、機械制の大工場での生産は大量に安価な工業製品を供給するよう
になり、手工業者や家内工業社の没落を招いて、資本家と労働者という新たな
生産関係が形成されるようになった。こうして、産業資本主義が確立した。
こうした中で、ブルジョワジーは産業資本家として成長し、その中での階級
も分化していった。そのため、政治的な要求に各層ごとに幅があり、19世紀の
イギリスでの政治混乱を招いた。
産業革命の過程では、工場で働く多数の賃金労働者の問題や、特に婦女子や
年少者などが貧困悲惨で劣悪な条件下での労働が強いられるなど、多くの労働
問題も発生した。こうした背景には、資本家が最大限に利潤を追求して福利厚
生に無関心であったことがある。
こうした社会情勢に対し、没落していった手工業者や家内工業者は没落する
手工業者や家内工業者はラダイト運動などの機械打ち壊し運動をおこしたりも
した。また、相互扶助組合や労働組合を形成する動きも見られた。
産業革命は、工業都市への急激な人口集中を招いた。急激な人口集中や劣悪
な労働条件は、治安、衛生、住宅などの新たな社会問題を引き起こした。ま
た、大都市の誕生や鉄道の普及、工場の建設は社会生活を一新させ、家柄重視
から才能重視へと社会の風潮も転換した。これにより貴族的序列の動揺を招い
たが、貴族勢力は当分の間力を持ち続けた。また、人々の生活感覚や価値観も
変化し、勤労が尊重され、政治への参加も主張された。
経済思想
古典派経済学はアダム=スミスが確立した経済思想である。この考え方は、
産業資本主義を確立したイギリスを中心として発展した。アダム=スミスが17
76年に出した『国富論』では、貴族的な身分秩序や重傷主義的経済統制に反対
し、自由な経済活動を全面的に肯定した自由放任を主張した。さらに「神の見
えざる手」との概念により、経済活動は人々の幸福を増進させるとも説き、資
本主義に対して楽観的見方を示した。
これに続いて、1798年にはマルサスが『人口論』を発表し、1817年にはリ
カードが『経済学および課税の原理』を出した。このころになると楽観論は消
えていったが、経済的自由放任の主張は維持された。さらに、自由貿易も主張
されるようにもなった。
後進資本主義国では、国家による産業化への保護と育成の観点から保護関
税、保護貿易が主張された。こうした考え方はリストが確立し、ドイツを中心
として歴史学派経済学が形成された。
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2カッコ抜き
産業革命の波及
18世紀後半から19世紀前半にかけてのイギリスでは、産業革命の達成や交通
手段の発達により、( 1 )とも呼ばれる工業国となり、豊富で安価な工業
製品を世界へ輸出するようになった。そのため、イギリスを核とした世界経済
のネットワークが構築され、世界の一体化は一層進んだ。
こうした、イギリスの経済的脅威と圧力にさらされたヨーロッパや北アメリ
カの諸国は、自らも産業革命を達成することで生き残りをはかり、政治的、社
会的改革によって産業革命への条件を整備した。そして、産業革命を達成する
ことで経済的自立をはたしたそれらの国々は、原料の供給地と工業製品の市場
を求めて海外に進出し、植民地を拡大した。このようにして、アジア、アフリ
カ、ラテン=アメリカの諸国は、イギリスやその他の資本主義国の経済的従属
地域になっていった。
イギリス以外の各国での産業革命は、1825年にイギリスが機械、技術の輸出
を解禁した後に進展したが、その速度には国によって格差があった。フランス
では、1830年代の七月王政下で産業革命が本格化するが、そもそもが農業国で
あったために労働力や資本が不足し、産業革命後も軽工業が中心であった。ド
イツは、1834年の関税同盟発足後に産業革命に着手し、1870年代の統一達成後
に本格化した。1880年代に入ると重工業や化学工業が発展し、イギリスをしの
ぐ工業国へと変貌した。アメリカでは、1860年代の南北戦争後に産業革命が本
格化し、1890年代には世界一の工業国になった。ロシアでは、1861年の農奴解
放後に産業革命が始まり、1890年代に本格化した。日本は、明治維新後に産業
革命が進展し、の1900年代には産業革命を成し遂げた。
産業革命の進展においては、後発国ほど政府が重要な役割を果たした。後発
国の場合、産業革命の条件がそもそも整備されていなかったので、政府がそれ
を整備する必要性があった。さらに、迅速に産業革命を遂げねば先進国に遅れ
てしまうため、上からの改革によって成し遂げられた側面が大きい。そのため
に、まずは土地改革などの農業の近代化が行われ、食料と労働力の確保が図ら
れた。また、産業に対して資金援助を行ったり、関税政策などで保護政策を
とって産業振興を奨励した。こうしたこともあり、産業革命の後発国ほど最新
式の技術や設備を導入して、重工業部門が発達した。しかし、政府主導である
ことなどから産業間、地域間で不平等な発展をまねいた。
資本主義体制の確立
初期の資本主義は、産業革命以前から存在した。当時は農業が経済の中心に
あり、大地主や( 2 )などが政治、経済の中心分野を占めていた。このこ
ろすでに工業生産は開始されており、問屋制家内工業から( 3 )へと生産
形態も発展したが、規模は小さく生産力は低かった。その上、手工業者やギル
ド的組織の存在もあったため、産業資本の力は弱かった。
産業革命を経ると工場制機械工業が登場し、この形態が広く普及した。こう
なると経済の中心は工業に移り、政治や経済も( 4 )が中心となっていっ
た。さらに、機械制の大工場での生産は大量に安価な工業製品を供給するよう
になり、手工業者や家内工業社の没落を招いて、( 5 )と( 6 )とい
う新たな生産関係が形成されるようになった。こうして、産業資本主義が確立
した。
こうした中で、ブルジョワジーは産業資本家として成長し、その中での階級
も分化していった。そのため、政治的な要求に各層ごとに幅があり、19世紀の
イギリスでの政治混乱を招いた。
産業革命の過程では、工場で働く多数の賃金労働者の問題や、特に婦女子や
年少者などが貧困悲惨で劣悪な条件下での労働が強いられるなど、多くの労働
問題も発生した。こうした背景には、資本家が最大限に利潤を追求して福利厚
生に無関心であったことがある。
こうした社会情勢に対し、没落していった手工業者や家内工業者は
( 7 )運動などの機械打ち壊し運動をおこしたりもした。また、相互扶助
組合や労働組合を形成する動きも見られた。
産業革命は、工業都市への急激な人口集中を招いた。急激な人口集中や劣悪
な労働条件は、治安、衛生、住宅などの新たな社会問題を引き起こした。ま
た、大都市の誕生や鉄道の普及、工場の建設は社会生活を一新させ、家柄重視
から才能重視へと社会の風潮も転換した。これにより貴族的序列の動揺を招い
たが、貴族勢力は当分の間力を持ち続けた。また、人々の生活感覚や価値観も
変化し、勤労が尊重され、政治への参加も主張された。
経済思想
( 8 )はアダム=スミスが確立した経済思想である。この考え方は、産
業資本主義を確立したイギリスを中心として発展した。アダム=スミスが1776
年に出した『( 9 )』では、貴族的な身分秩序や重傷主義的経済統制に反
対し、自由な経済活動を全面的に肯定した自由放任を主張した。さらに「神の
見えざる手」との概念により、経済活動は人々の幸福を増進させるとも説き、
資本主義に対して楽観的見方を示した。
これに続いて、1798年にはマルサスが『( 10 )』を発表し、1817年には
リカードが『経済学および課税の原理』を出した。このころになると楽観論は
消えていったが、経済的自由放任の主張は維持された。さらに、自由貿易も主
張されるようにもなった。
後進資本主義国では、国家による産業化への保護と育成の観点から保護関
税、保護貿易が主張された。こうした考え方は( 11 )が確立し、ドイツを
中心として歴史学派経済学が形成された。
解答
1:世界の工場 2:商業資本家
3:工場制手工業(マニュファクチュア) 4:産業資本家
5:資本家 6:労働者 7:ラダイト 8:古典派経済学
9:国富論 10:人口論 11:リスト
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3一問一答
1:マニュファクチュアの前段階の工業生産様式を何というか。
2:産業革命の結果、綿工業が盛んとなったイギリスの都市はどこか。
3:マンチェスターの外港として栄えた港湾都市はどこか。
4:産業革命の結果、鉄工業で栄えたイギリスの都市はどこか。
5:『国富論』の著者で、古典派経済学の創始者はだれか。
6:『人口論』の著者はだれか。
7:リストが確立した経済学は何か。
解答
1:問屋制度(問屋制家内工業)
2:マンチェスター
3:リヴァプール
4:バーミンガム
5:アダム=スミス
6:マルサス
7:歴史学派経済学
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