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世界史猛特訓 第 90 号 バックナンバー配送バージョン
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もくじ
1------本文
2------カッコ抜き問題
3------一問一答
4------ご案内
5------連絡先など
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1本文
ナポレオンの大陸制覇
1805年7月、ナポレオンの皇帝即位に反発したイギリスの小ピットは、オー
ストリアとロシアとともに第三回対仏大同盟を結成した。それに対して、ナポ
レオンはイギリス本土上陸を企図するが、トラファルガーの海戦でネルソン提
督率いるイギリス艦隊に破れ、イギリス本土攻略は失敗した。そこで、ナポレ
オンはヨーロッパを制覇し、イギリスを孤立させて経済的に自滅させることを
目指し、大陸制覇を開始した。
1805年12月、ナポレオンはアウステルリッツの戦い(三帝会戦)で、オース
トリアとロシアの連合軍を撃破してプレスブルクの和約で講和し、第三回対仏
大同盟を解体させた。この際、フランスはイタリアの支配権を獲得し、ヴェネ
ツィアなどを領有した。1806年には、ナポレオンが保護者となったライン同盟
が結成され、西南ドイツの16領邦の連合体が発足した。これによって神聖ロー
マ帝国は名実ともに消滅した。さらに、イエナ=アウェルシュテットの戦いで
はナポレオンがプロイセンに大勝し、ベルリンも占領下に入った。ナポレオン
はベルリンで大陸封鎖令(ベルリン勅令)を発布し、ヨーロッパ諸国のイギリ
スとの通商を禁止した。そして、1807年に結ばれたティルジット条約でプロイ
センは領土を半減させられ、エルベ川以西にウェストファリア王国を、ポーラ
ンド地方にワルシャワ大公国が建てられた。さらに、プロイセンには莫大な賠
償金の支払いが科せられた。1810年、ナポレオンはスペインにも侵入し、イギ
リス、トルコを除く全ヨーロッパを支配下に置いた。
大陸封鎖令
大陸封鎖令は、大陸諸国とイギリスとの通商を禁止し、貿易立国をめざすイ
ギリスをヨーロッパ市場から閉め出すことで、フランスによる大陸市場の独占
を目的に発せられた。
しかし、その効果はほとんどなく、海軍力に勝るイギリスはフランスと従属
国の貿易を妨害する逆封鎖を行った。また、イギリス国内では大陸封鎖で輸入
が絶たれた穀物の供給を目指し、第二次囲い込み運動が展開された。フランス
側からしても見込んだほどの効果はなく、逆に工業製品や生活必需品の不足を
招いた。
大陸封鎖の結果、イギリスが供給していた植民地の産物やイギリス製工業製
品の供給が途絶し、フランスでは日常生活が大きな打撃を受けた。また、大陸
諸国、特に東欧の経済はイギリスへの穀物輸出に依存していたため、輸出が禁
止されて経済が破綻し、封鎖令への不満が蓄積した。こうして、反ナポレオン
の意識が徐々に形成された。
ナポレオンの没落
ナポレオンの大陸制覇後、支配下の諸国民の不満と反発は強まる一方だっ
た。特に、大陸封鎖令でイギリスへの穀物輸出を絶たれた東欧では、ユンカー
(地主層)たちの経済危機が深刻化していた。また、被支配各国の国民は民族
意識に覚醒し、征服者としてのナポレオンや、フランスの経済的支配に反発す
るようになった。こうしたことから、ナポレオン支配下にあった諸国は自立へ
の努力を行った。
プロイセンでは、フィヒテの演説「ドイツ国民に告ぐ」などで国民的な自覚
が喚起され、1807年からは不十分ながらも近代化への諸改革が行われた。これ
らの改革は、シュタインやハルデンベルクらによる上からの改革として行わ
れ、国政改革や国民軍の育成、農民解放、教育制度改革などが行われた。
スペインでは1808年から半島戦争が起こり、ナポレオンの侵攻とスペイン王
の廃位に対抗した。この戦いでスペインはイギリスの全面的支援を受け、ゲリ
ラ戦的反抗を展開した。
1810年、ロシアは封鎖令を無視してイギリスへの穀物輸出を再開した。
フランス国内でも、商工業者は海外からの原料輸入難に不満をつのらせ、農
民も重税と兵役に反発して、反ナポレオンの動きがあらわれた。
1812年、ナポレオンは大陸封鎖令を無視するロシアに対し、封鎖令を遵守さ
せるためロシア遠征を行った。しかし、ロシアの焦土作戦や将軍クトゥーゾフ
らの持久戦により、フランス軍は物資を手に入れられないまま冬を迎え、冬へ
の十分な備えがなかったために退却を開始した。しかし、退却途上ではロシア
軍や農民のパルチザンなどの攻撃にさらされ、さらに過酷な冬の寒さにより、
大敗北を喫した。この敗北により、ナポレオンの威信は失墜する。
1813年、プロイセン、イギリス、オーストリア、ロシア、スウェーデンなど
により第四回対仏大同盟が結成され、各民族の解放戦争が開始された。ライプ
チヒの戦いではオーストリア、ロシア、プロイセンの連合軍がフランス軍を破
り、ナポレオンはまたしても敗北した。さらに、1814年にはパリが陥落し、ナ
ポレオンは退位してエルバ島に流刑となった。
ナポレオンの退位後、フランスでは王政が復古して海外に亡命していたルイ
18世が即位した。そして、ヨーロッパの戦後処理のためウィーン会議が開催さ
れたが、各国間の利害の不一致により会議は難航した。
1815年2月、ナポレオンはエルバ島を脱出してパリで復位し、百日天下が始
まった。しかし、6月にはワーテルローの戦いでイギリス、プロイセンに敗
れ、百日天下は終わった。そして、今度は脱出が不可能なように、遠くセント
ヘレナ島に流刑となった。
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2カッコ抜き
ナポレオンの大陸制覇
1805年7月、ナポレオンの皇帝即位に反発したイギリスの小ピットは、オー
ストリアとロシアとともに( 1 )を結成した。それに対して、ナポレオン
はイギリス本土上陸を企図するが、( 2 )でネルソン提督率いるイギリス
艦隊に破れ、イギリス本土攻略は失敗した。そこで、ナポレオンはヨーロッパ
を制覇し、イギリスを孤立させて経済的に自滅させることを目指し、大陸制覇
を開始した。
1805年12月、ナポレオンは( 3 )で、オーストリアとロシアの連合軍を
撃破してプレスブルクの和約で講和し、第三回対仏大同盟を解体させた。この
際、フランスはイタリアの支配権を獲得し、ヴェネツィアなどを領有した。18
06年には、ナポレオンが保護者となった( 4 )が結成され、西南ドイツの
16領邦の連合体が発足した。これによって神聖ローマ帝国は名実ともに消滅し
た。さらに、イエナ=アウェルシュテットの戦いではナポレオンがプロイセン
に大勝し、ベルリンも占領下に入った。ナポレオンはベルリンで( 5 )を
発布し、ヨーロッパ諸国のイギリスとの通商を禁止した。そして、1807年に結
ばれた( 6 )でプロイセンは領土を半減させられ、エルベ川以西にウェス
トファリア王国を、ポーランド地方にワルシャワ大公国が建てられた。さら
に、プロイセンには莫大な賠償金の支払いが科せられた。1810年、ナポレオン
はスペインにも侵入し、イギリス、トルコを除く全ヨーロッパを支配下に置い
た。
大陸封鎖令
大陸封鎖令は、大陸諸国とイギリスとの通商を禁止し、貿易立国をめざすイ
ギリスをヨーロッパ市場から閉め出すことで、フランスによる大陸市場の独占
を目的に発せられた。
しかし、その効果はほとんどなく、海軍力に勝るイギリスはフランスと従属
国の貿易を妨害する逆封鎖を行った。また、イギリス国内では大陸封鎖で輸入
が絶たれた穀物の供給を目指し、第二次囲い込み運動が展開された。フランス
側からしても見込んだほどの効果はなく、逆に工業製品や生活必需品の不足を
招いた。
大陸封鎖の結果、イギリスが供給していた植民地の産物やイギリス製工業製
品の供給が途絶し、フランスでは日常生活が大きな打撃を受けた。また、大陸
諸国、特に東欧の経済はイギリスへの穀物輸出に依存していたため、輸出が禁
止されて経済が破綻し、封鎖令への不満が蓄積した。こうして、反ナポレオン
の意識が徐々に形成された。
ナポレオンの没落
ナポレオンの大陸制覇後、支配下の諸国民の不満と反発は強まる一方だっ
た。特に、大陸封鎖令でイギリスへの穀物輸出を絶たれた東欧では、ユンカー
(地主層)たちの経済危機が深刻化していた。また、被支配各国の国民は民族
意識に覚醒し、征服者としてのナポレオンや、フランスの経済的支配に反発す
るようになった。こうしたことから、ナポレオン支配下にあった諸国は自立へ
の努力を行った。
プロイセンでは、( 7 )の演説「ドイツ国民に告ぐ」などで国民的な自
覚が喚起され、1807年からは不十分ながらも近代化への諸改革が行われた。こ
れらの改革は、( 8 )や( 9 )らによる上からの改革として行われ、
国政改革や国民軍の育成、農民解放、教育制度改革などが行われた。
スペインでは1808年から半島戦争が起こり、ナポレオンの侵攻とスペイン王
の廃位に対抗した。この戦いでスペインはイギリスの全面的支援を受け、ゲリ
ラ戦的反抗を展開した。
1810年、ロシアは封鎖令を無視してイギリスへの穀物輸出を再開した。
フランス国内でも、商工業者は海外からの原料輸入難に不満をつのらせ、農
民も重税と兵役に反発して、反ナポレオンの動きがあらわれた。
1812年、ナポレオンは大陸封鎖令を無視するロシアに対し、封鎖令を遵守さ
せるため( 10 )を行った。しかし、ロシアの焦土作戦や将軍クトゥーゾフ
らの持久戦により、フランス軍は物資を手に入れられないまま冬を迎え、冬へ
の十分な備えがなかったために退却を開始した。しかし、退却途上ではロシア
軍や農民のパルチザンなどの攻撃にさらされ、さらに過酷な冬の寒さにより、
大敗北を喫した。この敗北により、ナポレオンの威信は失墜する。
1813年、プロイセン、イギリス、オーストリア、ロシア、スウェーデンなど
により第四回対仏大同盟が結成され、各民族の解放戦争が開始された。
( 11 )ではオーストリア、ロシア、プロイセンの連合軍がフランス軍を破
り、ナポレオンはまたしても敗北した。さらに、1814年にはパリが陥落し、ナ
ポレオンは退位して( 12 )に流刑となった。
ナポレオンの退位後、フランスでは王政が復古して海外に亡命していたルイ
18世が即位した。そして、ヨーロッパの戦後処理のためウィーン会議が開催さ
れたが、各国間の利害の不一致により会議は難航した。
1815年2月、ナポレオンはエルバ島を脱出してパリで復位し、( 13 )が
始まった。しかし、6月には( 14 )でイギリス、プロイセンに敗れ、百日
天下は終わった。そして、今度は脱出が不可能なように、遠くセントヘレナ島
に流刑となった。
解答
1:第三回対仏大同盟 2:トラファルガーの海戦
3:アウステルリッツの戦い(三帝会戦) 4:ライン同盟
5:大陸封鎖令(ベルリン勅令) 6:ティルジット条約
7:フィヒテ 8・9:シュタイン/ハルデンベルク(順不同)
10:ロシア遠征 11:ライプチヒの戦い 12:エルバ島
13:百日天下 14:ワーテルローの戦い
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3一問一答
1:トラファルガーの戦いでイギリス艦隊を指揮した提督は誰か。
2:ティルジット条約で、旧ポーランド領に建てられた国は何か。
3:ナポレオンの失脚後に王政復古で即位したフランス王は誰か。
4:ナポレオンがワーテルローの戦いで敗れた後に流されたのはどこか。
解答
1:ネルソン
2:ワルシャワ大公国
3:ルイ18世
4:セントヘレナ島
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