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 世界史猛特訓  第 85 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
 メールマガジンについての詳細情報は
 http://www.sekaishi.com/support/
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 ************************************************************* 
 1本文
 
 アメリカ独立戦争
 
  独立戦争は、当初は植民地内の有力者の運動として開始された。彼らは自治
 などの既得権の擁護を要求し、第1回大陸会議時点の参加者は自治の要求では
 一致した。しかし、その立場は本国との関係をめぐり、国王への忠誠を重視す
 る国王派(ロイヤリスト)と、あくまでも自治を要求した愛国派(パトリオッ
 ト)の2つに分裂した。そうしているうちに、1775年にはレキシントン=コン
 コードの戦いで植民地軍と本国軍が衝突し、戦火が拡大していった。
 
  このように、戦争が先んじて進んでいったために、第2回大陸会議では愛国
 派の影響が拡大し、本国との和解よりも独立が強く主張されるようになった。
 この会議では、大陸軍の総司令官にワシントンを任命し、本格的な戦争に備え
 た。大陸会議外でもパトリック=ヘンリーの演説や、トマス=ペインのパンフ
 レット『コモン=センス』など、独立戦争への世論が高まっていった。しかし
 、装備の面で劣る独立軍は苦戦を強いられた。
 
  独立戦争で苦戦をしていた1776年7月4日、大陸会議の名で独立宣言を発表
 し、独立の既成事実をうち立てようとした。独立宣言はトマス=ジェファーソ
 ンが起草し、前文では自然権としての基本的人権や革命権を主張して革命の正
 当性を訴えるとともに、本文ではイギリス国王ジョージ3世の暴政を列挙して
 アメリカの独立を宣言するという内容になっている。独立宣言が根拠としたの
 はイギリスのロックによる社会契約説で、彼が擁護した革命権に基づく主張を
 展開した。独立宣言を発表することで、独立戦争の民主主義的な目標を提示し
 て国内世論の高揚を目指した。それと同時に、独立戦争が反乱ではなく主権国
 家の戦いであることを示し、外国の独立戦争への支援を訴えた。この独立宣言
 は近代民主政治の基本原理を示したことから、後のフランス革命に影響を与え
 た。さらに、独立戦争中の1777年には連合規約を採択し、個別な13の植民地の
 連合体として一つの連邦に統合された、アメリカ合衆国が成立した。
 
  アメリカ独立戦争では、独立側の兵器不足が深刻な問題だった。そのため、
 ヨーロッパ諸国の援助を期待した。そこで、フランクリンをパリに派遣するな
 どして援軍を求めた。そうした状況下、1777年のサラトガの戦いで植民地軍が
 勝利すると、ヨーロッパの各国は独立の承認や参戦に動いた。1778年にはフラ
 ンスが、1779年にはスペインが、1780年にはオランダがそれぞれ独立戦争に植
 民地側で参戦した。また、1780年にはロシア皇帝エカチェリーナ2世の提唱で
 武装中立同盟が結成され、中立国船舶の自由航行などを主張してイギリスを孤
 立化させた。さらに、フランスの自由主義貴族であったラファイエットや、ポ
 ーランドの愛国運動家コシューシコらが義勇軍として戦地に赴いた。
 
  こうした国際社会の支援もあり、1781年に米仏連合軍がヨークタウンの戦い
 でイギリスを破り、植民地側の軍事的勝利は確定的となった。そして、1783年
 のパリ条約ではアメリカ合衆国の独立が国際的に承認され、ミシシッピ以東の
 ルイジアナはアメリカに割譲されることになった。また、同時に結ばれたヴェ
 ルサイユ条約により、イギリスはフランスに西インド諸島の一部を、スペイン
 にフロリダ、ミノルカ島を割譲した。
 
 
 アメリカ独立戦争の影響
 
  アメリカ独立戦争は、本国の重商主義政策や植民地の特権層に対して、植民
 地の商工業者や地主達が自らの権利を主張するという性格を持っていた。その
 結果、市民革命的要素として、本国の重商主義などの専制からの解放、本国と
 結びついていた植民地特権層からの解放、独立の達成による商工業の自由な発
 展の基礎の構築などが確立した。また、そうした過程において、国王派の土地
 没収と売却による自営農民の増加や、長子相続制の廃止、信仰の自由の獲得な
 どの社会変革も進んだ。
 
  こうした独立の影響は、西欧やラテンアメリカの自由主義者に大きな影響を
 与え、各地の民族主義の高揚に結びついた。また、アメリカの独立戦争に介入
 したフランスはさらなる財政難に陥り、フランス革命を速める結果にもなっ
 た。
 
 
 合衆国憲法の制定
 
  独立戦争中の1777年、連合規約の成立によって、独立した13の植民地による
 連合体が形成された。独立を達成した後は、国のあり方をめぐって国内での対
 立が起こった。商工業との関係の深い層は、合衆国が国家としての強いまとま
 りを持つことで経済的利益が増すとして、強力な中央政府の樹立を主張した。
 一方、中小の農業者の利益を代表する層は州の権限を強化することで、そうし
 た農業者の利益が増進されるとして、強力な中央政府の樹立に反発した。この
 連邦派と反連邦派の対立は政治の混乱を生じた。
 
  1787年、フィラデルフィアで憲法制定会議が行われ、合衆国憲法が採択され
 た。ここで採択された憲法は各州の代表によって持ち帰られ、州の承認を得た
 後に、1788年に発効した。合衆国憲法の特色としては、民主主義による共和政
 を定めた人民主権、各州に独自の憲法と議会を設置する連邦主義、行政を大統
 領が担当し立法を連邦議会が担当するという徹底した三権分立、基本的人権の
 保障などが挙げられる。基本的人権については、制定時に国家権力を優先する
 傾向があったが、反連邦派の反発により、各州での審議過程において追加され
 た。基本的人権の保障は当時としては画期的な内容であったが、黒人奴隷や先
 住アメリカ人への差別の撤廃には至らないなどの限界もあった。
 
  その後、1787年には北西部法を制定して、人口が6万人に達した準州の州へ
 の昇格を定めることで、後の合衆国の拡大に道を開き、1789年には初代大統領
 ワシントンのもとに連邦政府が発足した。そして、1800年には合衆国の首都が
 ワシントンD.C.に移された。
 
 
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 2カッコ抜き
 
 アメリカ独立戦争
 
  独立戦争は、当初は植民地内の有力者の運動として開始された。彼らは自治
 などの既得権の擁護を要求し、第1回( 1 )時点の参加者は自治の要求で
 は一致した。しかし、その立場は本国との関係をめぐり、国王への忠誠を重視
 する国王派(ロイヤリスト)と、あくまでも自治を要求した愛国派(パトリオ
 ット)の2つに分裂した。そうしているうちに、1775年には( 2 )の戦い
 で植民地軍と本国軍が衝突し、戦火が拡大していった。
 
  このように、戦争が先んじて進んでいったために、第2回大陸会議では愛国
 派の影響が拡大し、本国との和解よりも独立が強く主張されるようになった。
 この会議では、大陸軍の総司令官に( 3 )を任命し、本格的な戦争に備え
 た。大陸会議外でもパトリック=ヘンリーの演説や、トマス=ペインのパンフ
 レット『( 4 )』など、独立戦争への世論が高まっていった。しかし、装
 備の面で劣る独立軍は苦戦を強いられた。
 
  独立戦争で苦戦をしていた1776年7月4日、大陸会議の名で( 5 )を発
 表し、独立の既成事実をうち立てようとした。独立宣言は( 6 )が起草し
 、前文では自然権としての基本的人権や革命権を主張して革命の正当性を訴え
 るとともに、本文ではイギリス国王ジョージ3世の暴政を列挙してアメリカの
 独立を宣言するという内容になっている。独立宣言が根拠としたのはイギリス
 のロックによる社会契約説で、彼が擁護した革命権に基づく主張を展開した。
 独立宣言を発表することで、独立戦争の民主主義的な目標を提示して国内世論
 の高揚を目指した。それと同時に、独立戦争が反乱ではなく主権国家の戦いで
 あることを示し、外国の独立戦争への支援を訴えた。この独立宣言は近代民主
 政治の基本原理を示したことから、後のフランス革命に影響を与えた。さらに
 、独立戦争中の1777年には連合規約を採択し、個別な13の植民地の連合体とし
 て一つの連邦に統合された、アメリカ合衆国が成立した。
 
  アメリカ独立戦争では、独立側の兵器不足が深刻な問題だった。そのため、
 ヨーロッパ諸国の援助を期待した。そこで、( 7 )をパリに派遣するなど
 して援軍を求めた。そうした状況下、1777年のサラトガの戦いで植民地軍が勝
 利すると、ヨーロッパの各国は独立の承認や参戦に動いた。1778年には
 ( 8 )が、1779年にはスペインが、1780年にはオランダがそれぞれ独立戦
 争に植民地側で参戦した。また、1780年にはロシア皇帝エカチェリーナ2世の
 提唱で( 9 )が結成され、中立国船舶の自由航行などを主張してイギリス
 を孤立化させた。さらに、フランスの自由主義貴族であった( 10 )や、ポ
 ーランドの愛国運動家( 11 )らが義勇軍として戦地に赴いた。
 
  こうした国際社会の支援もあり、1781年に米仏連合軍が( 12 )の戦いで
 イギリスを破り、植民地側の軍事的勝利は確定的となった。そして、1783年の
 ( 13 )条約ではアメリカ合衆国の独立が国際的に承認され、ミシシッピ以
 東のルイジアナはアメリカに割譲されることになった。また、同時に結ばれた
 ヴェルサイユ条約により、イギリスはフランスに西インド諸島の一部を、スペ
 インにフロリダ、ミノルカ島を割譲した。
 
 
 アメリカ独立戦争の影響
 
  アメリカ独立戦争は、本国の重商主義政策や植民地の特権層に対して、植民
 地の商工業者や地主達が自らの権利を主張するという性格を持っていた。その
 結果、市民革命的要素として、本国の重商主義などの専制からの解放、本国と
 結びついていた植民地特権層からの解放、独立の達成による商工業の自由な発
 展の基礎の構築などが確立した。また、そうした過程において、国王派の土地
 没収と売却による自営農民の増加や、長子相続制の廃止、信仰の自由の獲得な
 どの社会変革も進んだ。
 
  こうした独立の影響は、西欧やラテンアメリカの自由主義者に大きな影響を
 与え、各地の民族主義の高揚に結びついた。また、アメリカの独立戦争に介入
 したフランスはさらなる財政難に陥り、フランス革命を速める結果にもなっ
 た。
 
 
 合衆国憲法の制定
 
  独立戦争中の1777年、連合規約の成立によって、独立した13の植民地による
 連合体が形成された。独立を達成した後は、国のあり方をめぐって国内での対
 立が起こった。商工業との関係の深い層からなる( 14 )派は、合衆国が国
 家としての強いまとまりを持つことで経済的利益が増すとして、強力な中央政
 府の樹立を主張した。一方、中小の農業者の利益を代表する層からなる
 ( 15 )派は、州の権限を強化することで農業者の利益が増進されるとして
 、強力な中央政府の樹立に反発した。
 
  1787年、フィラデルフィアで( 16 )が行われ、合衆国憲法が採択された
 。ここで採択された憲法は各州の代表によって持ち帰られ、州の承認を得た後
 に、1788年に発効した。合衆国憲法の特色としては、民主主義による共和政を
 定めた人民主権、各州に独自の憲法と議会を設置する連邦主義、行政を大統領
 が担当し立法を連邦議会が担当するという徹底した( 17 )、基本的人権の
 保障などが挙げられる。基本的人権については、制定時に国家権力を優先する
 傾向があったが、反連邦派の反発により、各州での審議過程において追加され
 た。基本的人権の保障は当時としては画期的な内容であったが、黒人奴隷や先
 住アメリカ人への差別の撤廃には至らないなどの限界もあった。
 
  その後、1787年には北西部法を制定して、人口が6万人に達した準州の州へ
 の昇格を定めることで、後の合衆国の拡大に道を開き、1789年には初代大統領
 ワシントンのもとに連邦政府が発足した。そして、1800年には合衆国の首都が
 ワシントンD.C.に移された。
 
 
 
 解答
 1:大陸会議   2:レキシントン=コンコード   3:ワシントン
 4:コモン=センス   5:独立宣言   6:トマス=ジェファーソン
 7:フランクリン   8:フランス   9:武装中立同盟
 10:ラファイエット   11:コシューシコ   12:ヨークタウン
 13:パリ   14:連邦   15:反連邦   16:憲法制定会議
 17:三権分立
 
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 3一問一答
 
 1:『コモン=センス』の著者は誰か
 2:アメリカ独立戦争に思想的影響を与えたイギリス人思想家は誰か
 3:武装中立同盟の提唱者は誰か
 4:1783年のパリ条約で合衆国がイギリスから得た領土はどこか
 5:合衆国憲法では人権が保障されなかったのはどのような人々か
 
 
 
 解答
 1:トマス=ペイン
 2:ロック
 3:(ロシア皇帝)エカチェリーナ2世
 4:ミシシッピ以東のルイジアナ
 5:黒人奴隷 先住アメリカ人
 
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