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 世界史猛特訓  第 84 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
 メールマガジンについての詳細情報は
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 ************************************************************* 
 1本文
 
 市民社会の成立
 
  市民革命は、王侯に対してブルジョワが政治参加を求め、絶対主義的政治体
 制を打破することで民主主義を樹立した一連の動きである。これと前後して産
 業革命が進行したために経済体制も変化し、ブルジョワによる産業支配も進行
 した。2つの革命が同時に進行したため、二重革命の時代ともいわれる。
 
  この時代、イギリスとフランスの植民地抗争や、プロイセンとオーストリア
 の対立がともに7年戦争の終結で一応決着する一方、プロイセン、オーストリ
 ア、ロシアの3国はポーランド分割をもくろんでいた。こうしたヨーロッパ情
 勢は各国の対外政策に影響を与え、複雑な国際関係が展開された。
 
  この時期の政治は、各国の内政改革の途上で財政確立と軍備増強への努力が
 行われる過程にあった。国王や貴族といった従来の支配層が特権に固執する一
 方、経済力を蓄積した商工ブルジョワによる政治的権利の要求は強まる一方で
 、両者の対立は激化した。
 
 
 イギリスの植民地政策
 
  アメリカでは、1607年にヴァージニア植民地が設立されてから、1732年にジ
 ョージア植民地が設立されるまで、100年以上をかけて13植民地が形成された。
 これらの植民地は、ヴァージニアやジョージアのように、貴族がプランテーシ
 ョンを運営するために設立した営利的な背景をもつものや、清教徒弾圧を逃れ
 てメイフラワー号でプリマスに移住したピルグリム=ファーザーズが建てたマ
 サチューセッツ、クエーカー教徒が移住したペンシルヴァニア、カトリックが
 移住したメリーランドのように、宗教的な設立背景をもつものなど様々であっ
 た。独立戦争時、13植民地を合わせた面積は日本の約3倍、人口はイギリス本
 国の4分の1にあたる250万人であった。北部地域では農林水産業や海運業がお
 こって産業も発展しはじめていた。一方南部地域ではタバコなど、黒人奴隷を
 労働力としたプランテーションが発達していたから、南北の産業構造は非常に
 違っていた。
 
  これらの植民地の特徴は、経済的、宗教的に様々な動機で本国から植民者が
 渡航したために、各植民地が独自のコミュニティーとして発展していったこと
 にある。そのため、独立戦争に突入するまでは植民地相互の政治的関係はほと
 んどなかった。しかし、そのような各植民地独自の発展は植民者の独力での開
 拓を促し、自主独立の精神が強い国民性を促した。また、そのためもあって自
 治盛度が発達し、植民地議会が置かれるなど、住民自治的な制度が定着してい
 った。
 
  こうしたアメリカ合衆国の植民地に対してイギリス本国は、政治的には自治
 を尊重する政策をとった。経済的には航海条例や帽子条例、鉄条例などの規制
 条例を制定して重商主義政策をとったが、紛争には至らなかった。本国側から
 すれば、自主的な貿易や経済活動をある程度容認し、植民地を自陣営に引き留
 めるために「有益なる怠慢」を植民地政策に採用していたし、植民地側として
 もアメリカでのフランス勢力への対抗上本国の保護が必要であったから、相互
 の依存関係によって本格的な紛争は発生しなかったのである。
 
  しかし、フレンチ=インディアン戦争でフランス勢力がアメリカから駆逐さ
 れると、イギリス本国のアメリカへの態度が変化していく。特に、当時の国王
 であったジョージ3世は植民地の政治に積極的に介入し、本国政府の債務の補
 填や、イギリス軍の駐留費用の植民地負担のため、植民地の承認なしに各種の
 課税を強行した。さらに、アパラチア以西への移住を禁止するなど、政治的な
 規制も強化された。こうした本国の施策に対して植民地は自治権の侵害と反発
 し、以後、両者の関係は悪化していった。
 
  1765年には印紙法が制定され、あらゆる書類に対して税をかける方針を本国
 が示した。各植民地議会はこれに猛反発し、「代表なくして課税なし」のアピ
 ールの下で13植民地が結束し、イギリス製品のボイコット運動を行った。その
 反発の強さに1766年にイギリスは印紙法を撤回した。1767年にはタウンゼント
 諸法と呼ばれる一連の法律群が制定されるが、またしても13植民地は結束し、
 イギリス製品のボイコットを行った。こうした本国への反感が一挙に高まった
 のが1773年の茶法で、東インド会社以外の扱う茶を禁止した法律に対して植民
 地の反感は爆発し、ボストン茶会事件が発生するに至った。これに対し、1774
 年に本国はボストン港を閉鎖し、マサチューセッツ植民地の自治を剥奪するな
 ど、懲罰的な強行処置を行った。一方、植民地側はフィラデルフィアにおいて
 第1回の大陸会議を開催し、13植民地の代表が集結したうえで、植民地の権利
 と対英通商断交を宣言した。しかし、本国はこれでも態度を変えず、植民地と
 の関係はさらに悪化していった。
 
 
 
 *************************************************************
 2カッコ抜き
 
 市民社会の成立
 
  市民革命は、王侯に対してブルジョワが政治参加を求め、絶対主義的政治体
 制を打破することで民主主義を樹立した一連の動きである。これと前後して産
 業革命が進行したために経済体制も変化し、ブルジョワによる産業支配も進行
 した。2つの革命が同時に進行したため、二重革命の時代ともいわれる。
 
  この時代、イギリスとフランスの植民地抗争や、プロイセンとオーストリア
 の対立がともに7年戦争の終結で一応決着する一方、プロイセン、オーストリ
 ア、ロシアの3国はポーランド分割をもくろんでいた。こうしたヨーロッパ情
 勢は各国の対外政策に影響を与え、複雑な国際関係が展開された。
 
  この時期の政治は、各国の内政改革の途上で財政確立と軍備増強への努力が
 行われる過程にあった。国王や貴族といった従来の支配層が特権に固執する一
 方、経済力を蓄積した商工ブルジョワによる政治的権利の要求は強まる一方で
 、両者の対立は激化した。
 
 
 イギリスの植民地政策
 
  アメリカでは、1607年に( 1 )植民地が設立されてから、1732年にジョ
 ージア植民地が設立されるまで、100年以上をかけて13植民地が形成された。こ
 れらの植民地は、ヴァージニアやジョージアのように、貴族が( 2 )を運
 営するために設立した営利的な背景をもつものや、清教徒弾圧を逃れてメイフ
 ラワー号でプリマスに移住した( 3 )が建てたマサチューセッツ、クエー
 カー教徒が移住したペンシルヴァニア、カトリックが移住したメリーランドの
 ように、宗教的な設立背景をもつものなど様々であった。独立戦争時、13植民
 地を合わせた面積は日本の約3倍、人口はイギリス本国の4分の1にあたる250
 万人であった。北部地域では農林水産業や海運業がおこって産業も発展しはじ
 めていた。一方南部地域ではタバコなど、( 4 )を労働力とした( 2 )
 が発達していたから、南北の産業構造は非常に違っていた。
 
  これらの植民地の特徴は、経済的、宗教的に様々な動機で本国から植民者が
 渡航したために、各植民地が独自のコミュニティーとして発展していったこと
 にある。そのため、独立戦争に突入するまでは植民地相互の政治的関係はほと
 んどなかった。しかし、そのような各植民地独自の発展は植民者の独力での開
 拓を促し、自主独立の精神が強い国民性を促した。また、そのためもあって自
 治盛度が発達し、( 5 )が置かれるなど、住民自治的な制度が定着してい
 った。
 
  こうしたアメリカ合衆国の植民地に対してイギリス本国は、政治的には自治
 を尊重する政策をとった。経済的には航海条例や帽子条例、鉄条例などの規制
 条例を制定して重商主義政策をとったが、紛争には至らなかった。本国側から
 すれば、自主的な貿易や経済活動をある程度容認し、植民地を自陣営に引き留
 めるために「有益なる怠慢」を植民地政策に採用していたし、植民地側として
 もアメリカでのフランス勢力への対抗上本国の保護が必要であったから、相互
 の依存関係によって本格的な紛争は発生しなかったのである。
 
  しかし、( 6 )戦争でフランス勢力がアメリカから駆逐されると、イギ
 リス本国のアメリカへの態度が変化していく。特に、当時の国王であったジョ
 ージ3世は植民地の政治に積極的に介入し、本国政府の債務の補填や、イギリ
 ス軍の駐留費用の植民地負担のため、植民地の承認なしに各種の課税を強行し
 た。さらに、アパラチア以西への移住を禁止するなど、政治的な規制も強化さ
 れた。こうした本国の施策に対して植民地は自治権の侵害と反発し、以後、両
 者の関係は悪化していった。
 
  1765年には( 7 )法が制定され、あらゆる書類に対して税をかける方針
 を本国が示した。各植民地議会はこれに猛反発し、「代表なくして課税なし」
 のアピールの下で13植民地が結束し、イギリス製品のボイコット運動を行った
 。その反発の強さに1766年にイギリスは印紙法を撤回した。1767年にはタウン
 ゼント諸法と呼ばれる一連の法律群が制定されるが、またしても13植民地は結
 束し、イギリス製品のボイコットを行った。こうした本国への反感が一挙に高
 まったのが1773年の( 8 )法で、東インド会社以外の扱う茶を禁止した法
 律に対して植民地の反感は爆発し、ボストン茶会事件が発生するに至った。こ
 れに対し、1774年に本国はボストン港を閉鎖し、マサチューセッツ植民地の自
 治を剥奪するなど、懲罰的な強行処置を行った。一方、植民地側はフィラデル
 フィアにおいて第1回の( 9 )を開催し、13植民地の代表が集結したうえ
 で、植民地の権利と対英通商断交を宣言した。しかし、本国はこれでも態度を
 変えず、植民地との関係はさらに悪化していった。
 
 
 
 解答
 1:ヴァージニア   2:プランテーション
 3:ピルグリム=ファーザーズ   4:黒人奴隷   5:植民地議会
 6:フレンチ=インディアン   7:印紙   8:茶   9:大陸会議
 
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