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 世界史猛特訓  第 83 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
 メールマガジンについての詳細情報は
 http://www.sekaishi.com/support/
 からどうぞ。
 
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 1本文
 
 インド=イスラム文明
 
  インドのイスラム文明はデリー=スルタン朝時代から形成された。デリー=
 スルタン朝期には、外来のイスラム文化と土着のヒンドゥー文化が融合し始め
 、ムガル朝期にはそれが成熟した。その代表的なものとして、タージ=マハル
 廟などの建築物やムガル絵画(ペルシャの細密画の伝統を摂取したムガル宮廷
 画)がある。
 
  シーク教は、カービルが唱えたイスラムとヒンドゥーの融和という考え方に
 影響されたナーナクが創始した宗教である。シーク教は真理を最高神として崇
 拝する一神教で、偶像崇拝やカーストを否定するといった特徴があった。シー
 ク教はパンジャブ地方を中心に信者を増やし、17世紀には軍事力を持つまでに
 発展していた。
 
  ラージプート時代には多数の地方言語が生まれたが、ムガル朝ではヒンディ
 ー語が公用語とされ、ヒンディー語の方言にペルシア・アラビア単語が混入し
 たウルドゥー語も主として軍隊で使用されていた。
 
 
 東南アジアのイスラム化
 
  13世紀、フビライの侵攻によって東南アジアの政治的状況は大きく変化した。
 
  ヴェトナムでは陳朝が元軍を撃退し、ジャワではヒンドゥー教の国家マジャ
 パヒト朝が興った。マジャパヒト朝はジャワにおけるインド文化を持った最後
 の王朝で、ヒンドゥー教を国教とした。一方、ビルマではパガン朝が滅亡し、
 ビルマ民族は分裂した。
 
  シャム(現在のタイ)では、モンゴルの圧迫によって雲南から南下してきた
 タイ人によって、初の統一王朝であるスイコータイ朝が建国され、それに続い
 てアユタヤ朝が興った。アユタヤ朝は東南アジア交易で繁栄した。
 
  東南アジアでは、海上交易に従事したムスリム商人を通じて海港から内陸へ
 とイスラム教が広まった。15世紀、東南アジア初のイスラム王朝であるマラッ
 カ朝が成立し、国際貿易の中心として繁栄した。その後、イスラム教はインド
 ネシアの諸諸島やフィリピン南部にも広まった。
 
 
 ヨーロッパ人のアジアへの進出
 
  アジアに到達した最初のヨーロッパ国家はポルトガルで、1798年にヴァスコ
 =ダ=ガマがカリカットに到達した。1510年、ポルトガルはゴアに総督府を建
 設し、コーチンなどにも拠点を設けて商業活動とキリスト教布教を展開した。
 
  しかし、ポルトガルのヨーロッパでの地位の低下に従い、イギリスやオラン
 ダ、フランスなどが次々とアジアに進出してきた。ヨーロッパ人の商業活動は
 アジア産品をヨーロッパへと輸送することに主眼がおかれ、はじめのうちはム
 ガル朝やヴィジャヤナガル朝の保護や許可の下に平和的な交易が行われた。し
 かし、17世紀半ばを過ぎると軍事力を背景にした植民地支配が開始され、後に
 アジアの大部分が列強諸国の植民地となった。
 
  イギリスやフランスがインドに進出しはじめた頃のムガル帝国は強大であっ
 たが、アウラングゼーブ以降は内紛が頻発するなど次第に衰退し、西欧諸国に
 対抗する力を失っていった。そうしたなかでイギリスとフランスがインドでの
 権益をめぐって争いを始め、プラッシーの戦いでイギリスが勝利。インドはイ
 ギリス植民地になった。
 
  東南アジア地域では、1571年にスペインがマニラを建設して貿易活動の中心
 としたのをはじめとして、オランダがジャワ島北西部のバタヴィア(現在のジ
 ャカルタ)を根拠地化し、1641年にマラッカを奪取、18世紀初めにはコーヒー
 栽培を開始するなど、植民地化を進めた。イギリスはアンボイナに拠点を築い
 たものの、アンボイナ事件で商館職員が殺害されるなどしたために東南アジア
 か撤退し、インドへ勢力を集中させた。
 
 
 *************************************************************
 2カッコ抜き
 
 インド=イスラム文明
 
  インドのイスラム文明はデリー=スルタン朝時代から形成された。デリー=
 スルタン朝期には、外来のイスラム文化と土着のヒンドゥー文化が融合し始め
 、ムガル朝期にはそれが成熟した。その代表的なものとして、( 1 )廟な
 どの建築物やムガル絵画(ペルシャの細密画の伝統を摂取したムガル宮廷画)
 がある。
 
  シーク教は、カービルが唱えたイスラムとヒンドゥーの融和という考え方に
 影響された( 2 )が創始した宗教である。シーク教は真理を最高神として
 崇拝する一神教で、偶像崇拝やカーストを否定するといった特徴があった。シ
 ーク教はパンジャブ地方を中心に信者を増やし、17世紀には軍事力を持つまで
 に発展していた。
 
  ラージプート時代には多数の地方言語が生まれたが、ムガル朝では( 3 )
 語が公用語とされ、ヒンディー語の方言にペルシア・アラビア単語が混入した
 ウルドゥー語も主として軍隊で使用されていた。
 
 
 東南アジアのイスラム化
 
  13世紀、フビライの侵攻によって東南アジアの政治的状況は大きく変化した。
 
  ヴェトナムでは陳朝が元軍を撃退し、ジャワではヒンドゥー教の国家
 ( 4 )朝が興った。( 4 )朝はジャワにおけるインド文化を持った最
 後の王朝で、ヒンドゥー教を国教とした。一方、ビルマでは( 5 )朝が滅
 亡し、ビルマ民族は分裂した。
 
  シャム(現在のタイ)では、モンゴルの圧迫によって雲南から南下してきた
 タイ人によって、初の統一王朝である( 6 )朝が建国され、それに続いて
 ( 7 )朝が興った。( 7 )朝は東南アジア交易で繁栄した。
 
  東南アジアでは、海上交易に従事したムスリム商人を通じて海港から内陸へ
 とイスラム教が広まった。15世紀、東南アジア初のイスラム王朝である
 ( 8 )朝が成立し、国際貿易の中心として繁栄した。その後、イスラム教
 はインドネシアの諸諸島やフィリピン南部にも広まった。
 
 
 ヨーロッパ人のアジアへの進出
 
  アジアに到達した最初のヨーロッパ国家はポルトガルで、1798年に( 9 )
 がカリカットに到達した。1510年、ポルトガルは( 10 )に総督府を建設し
 、コーチンなどにも拠点を設けて商業活動とキリスト教布教を展開した。
 
  しかし、ポルトガルのヨーロッパでの地位の低下に従い、イギリスやオラン
 ダ、フランスなどが次々とアジアに進出してきた。ヨーロッパ人の商業活動は
 アジア産品をヨーロッパへと輸送することに主眼がおかれ、はじめのうちはム
 ガル朝やヴィジャヤナガル朝の保護や許可の下に平和的な交易が行われた。し
 かし、17世紀半ばを過ぎると軍事力を背景にした植民地支配が開始され、後に
 アジアの大部分が列強諸国の植民地となった。
 
  イギリスやフランスがインドに進出しはじめた頃のムガル帝国は強大であっ
 たが、アウラングゼーブ以降は内紛が頻発するなど次第に衰退し、西欧諸国に
 対抗する力を失っていった。そうしたなかでイギリスとフランスがインドでの
 権益をめぐって争いを始め、プラッシーの戦いでイギリスが勝利。インドはイ
 ギリス植民地になった。
 
  東南アジア地域では、1571年にスペインがマニラを建設して貿易活動の中心
 としたのをはじめとして、オランダがジャワ島北西部の( 11 )(現在のジ
 ャカルタ)を根拠地化し、1641年にマラッカを奪取、18世紀初めにはコーヒー
 栽培を開始するなど、植民地化を進めた。イギリスは( 12 )に拠点を築い
 たものの、( 12 )事件で商館職員が殺害されるなどしたために東南アジア
 から撤退し、インドへ勢力を集中させた。
 
 
 解答
 1:タージ=マハル   2:ナーナク   3:ヒンディー
 4:マジャパヒト   5:パガン   6:スイコータイ
 7:アユタヤ   8:マラッカ   9:ヴァスコ=ダ=ガマ
 10:ゴア   11:バタヴィア   12:アンボイナ
 
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 3一問一答
 
 1:ナーナクが創始した宗教は何教か
 2:マジャパヒト朝の国教は何か
 3:マラッカの国教は何か
 
 
 解答
 1:シク教
 2:ヒンドゥー教
 3:イスラム教
 
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