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世界史猛特訓 第 80 号 バックナンバー配送バージョン
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もくじ
1------本文
2------カッコ抜き問題
3------一問一答
4------ご案内
5------連絡先など
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1本文
ティムール朝
ティムール朝は、14世紀後半にチャガタイ=ハン国が東西分裂した際、ティ
ムールがサマルカンドを首都として西チャガタイ=ハン国で自立して成立した
。ティムールは大遠征を行って領土を拡大し、イスラム的なモンゴル帝国の再
現を企図した。遠征の結果、ティムールは東トルキスタンから小アジアにかけ
ての非常に広い領土をもった。遠征の過程では、小アジアでのアンカラの戦
いでオスマン=トルコのスルタンを捕虜としオスマン=トルコを中断させ、イ
ンドにも侵入してデリーを攻略した。しかしその後、明への遠征の途上でティ
ムールは死亡した。
ティムール帝国の全盛期はウルグ=ベクの時代で、サマルカンドを中心とし
てトルコ=イスラム文化が繁栄した。しかし、その後は急速に衰退し、15世紀
半ばには東西分裂し、トルコ系のウズベク族の侵入などによって滅亡した。
ティムール朝では、トルコ人が軍事を、イラン人が行政・財務を担当し、両
者が混合した文化が成立した。文学や詩の分野ではイラン語の多数の傑作があ
るが、トルコ語による作品も見受けられる。また、建築の分野ではティムール
廟等のトルキスタン建築が特徴的である。一方、細密画(ミニアチュール)も
イラン文化の影響を受け発展した。
オスマン帝国
オスマン帝国は小アジアに建国された国家である。小アジアは12世紀から13
世紀にかけ、セルジューク朝の分裂のなかで、ルーム=セルジューク朝が自立
して統治が行われ、13世紀の末にはモンゴル人が侵入して建てたイル=ハン国
の支配下となった。しかし、イル=ハン国の力が衰えてきた1299年、オスマン
1世がオスマン帝国を建国した。
オスマン帝国は小アジアから西方に向かって進出し、ムラト1世の時代には
アドリアノープルを攻略するなどしてバルカン半島へと侵入した。バヤジッド
1世の時代にはニコポリスの戦いでハンガリー王ジギスムントが率いる連合軍
を撃破し、西へと領土を拡大した。しかし彼は、1402年のアンカラの戦いでテ
ィムールに惨敗し、捕虜となって死亡した。これによってオスマン帝国は一時
中断したが、メフメト2世時代の1453年にコンスタンティノープルを攻略し、
オスマン帝国はビザンツ帝国を滅亡させた。そして、コンスタンティノープル
をイスタンブルと改称して遷都し、さらに黒海北岸のクリム=ハン国を服属さ
せた。
セリム1世はサファヴィー朝と抗争しメソポタミアを奪取し、さらに、エジ
プトのカイロにあったマムルーク朝を打倒した。これによってシリア・エジプ
ト地域も支配下に入れ、ヒジャーズ地方(メッカ・メディナなど=アラビア半
島西岸地域)の保護権をも掌握した。さらに、マムルーク朝にはアッバースカ
リフの子孫が保護されていたが、セリム1世に対してカリフ位を授けられたた
め、スルタン=カリフ制が開始された。これによってセリム1世はスンナ派イ
スラム世界の統一と、後継者の地位を確立することに成功したのである。
オスマン=トルコの全盛はスレイマン1世の時代で、モハーチの戦いでハン
ガリーを支配下におさめ、ウィーン包囲を行ってドイツ皇帝を圧迫するなど、
宗教改革問題で混乱するドイツに迫った。そして、ドイツ攻めに際してドイツ
と対立していたフランスのフランソワ1世と同盟を結び、フランス商人がオス
マン=トルコ内での居住や通商の自由を認めたカピチュレーションとよばれる
特権を与えた。また、プレヴェザの海戦で勝利し、地中海の制海権を確保する
など、積極的な外征を展開した。
しかし、1571年にレパントの海戦に敗北してからは領土拡大にかげりが見え
はじめ、1683年の第2回ウィーン包囲が失敗したのを契機として守勢へと回る
ようになった。1699年にはカルロヴィッツ条約によってハンガリーなどの領土
を喪失し、徐々にその領域を狭めていった。
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2カッコ抜き
ティムール朝
ティムール朝は、14世紀後半に( 1 )国が東西分裂した際、ティムール
が( 2 )を首都として西チャガタイ=ハン国で自立して成立した。ティム
ールは大遠征を行って領土を拡大し、イスラム的なモンゴル帝国の再現を企図
した。遠征の結果、ティムールは東トルキスタンから小アジアにかけての非常
に広い領土をもった。遠征の過程では、小アジアでの( 3 )の戦いでオ
スマン=トルコのスルタンを捕虜としオスマン=トルコを中断させ、インドに
も侵入してデリーを攻略した。しかしその後、( 4 )への遠征の途上でテ
ィムールは死亡した。
ティムール帝国の全盛期は( 5 )の時代で、サマルカンドを中心として
トルコ=イスラム文化が繁栄した。しかし、その後は急速に衰退し、15世紀半
ばには東西分裂し、トルコ系の( 6 )族の侵入などによって滅亡した。
ティムール朝では、トルコ人が軍事を、イラン人が行政・財務を担当し、両
者が混合した文化が成立した。文学や詩の分野ではイラン語の多数の傑作があ
るが、トルコ語による作品も見受けられる。また、建築の分野ではティムール
廟等のトルキスタン建築が特徴的である。一方、( 7 )もイラン文化の影
響を受け発展した。
オスマン帝国
オスマン帝国は小アジアに建国された国家である。小アジアは12世紀から13
世紀にかけ、セルジューク朝の分裂のなかで、ルーム=セルジューク朝が自立
して統治が行われ、13世紀の末にはモンゴル人が侵入して建てたイル=ハン国
の支配下となった。しかし、イル=ハン国の力が衰えてきた1299年、( 8 )
がオスマン帝国を建国した。
オスマン帝国は小アジアから西方に向かって進出し、ムラト1世の時代には
( 9 )を攻略するなどしてバルカン半島へと侵入した。バヤジッド1世の
時代にはニコポリスの戦いでハンガリー王ジギスムントが率いる連合軍を撃破
し、西へと領土を拡大した。しかし彼は、1402年の( 3 )の戦いでティム
ールに惨敗し、捕虜となって死亡した。これによってオスマン帝国は一時中断
したが、( 10 )2世時代の1453年にコンスタンティノープルを攻略し、オ
スマン帝国はビザンツ帝国を滅亡させた。そして、コンスタンティノープルを
( 11 )と改称して遷都し、さらに黒海北岸のクリム=ハン国を服属させた
。
( 12 )はサファヴィー朝と抗争しメソポタミアを奪取し、さらに、エジ
プトのカイロにあったマムルーク朝を打倒した。これによってシリア・エジプ
ト地域も支配下に入れ、ヒジャーズ地方(メッカ・メディナなど=アラビア半
島西岸地域)の保護権をも掌握した。さらに、マムルーク朝にはアッバースカ
リフの子孫が保護されていたが、セリム1世に対してカリフ位を授けられたた
め、( 13 )制が開始された。これによってセリム1世はスンナ派イスラム
世界の統一と、後継者の地位を確立することに成功したのである。
オスマン=トルコの全盛は( 14 )の時代で、モハーチの戦いでハンガリ
ーを支配下におさめ、ウィーン包囲を行ってドイツ皇帝を圧迫するなど、宗教
改革問題で混乱するドイツに迫った。そして、ドイツ攻めに際してドイツと対
立していたフランスのフランソワ1世と同盟を結び、フランス商人がオスマン
=トルコ内での居住や通商の自由を認めた( 15 )とよばれる特権を与えた
。また、( 16 )の海戦で勝利し、地中海の制海権を確保するなど、積極的
な外征を展開した。
しかし、1571年に( 17 )の海戦に敗北してからは領土拡大にかげりが見
えはじめ、1683年の第2回ウィーン包囲が失敗したのを契機として守勢へと回
るようになった。1699年には( 18 )条約によってハンガリーなどの領土を
喪失し、徐々にその領域を狭めていった。
解答
1:チャガタイ=ハン 2:サマルカンド 3:アンカラ
4:明 5:ウルグ=ベク 6:イスタンブル
7:細密画(ミニアチュール) 8:オスマン1世
9:アドリアノープル(エディルネ) 10:メフメト
11:イスタンブル 12:セリム1世 13:スルタン=カリフ
14:スレイマン1世 15:カピチュレーション 16:プレヴェザ
17:レパント 18:カルロヴィッツ
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3一問一答
1:ティムールは明への遠征途上で死亡しているが、その時の明の皇帝は誰か
2:難攻不落とされていたが、メフメト2世がついに後略した都市はどこか。
また、それは西暦何年の事か
3:15世紀末にオスマン朝に服属した、黒海北岸にあった国は何か
4:セリム1世が滅ぼしたエジプトの王朝は何朝か
5:スレイマン1世はフランスと同盟を結び、カピチュレーションを与える
が、その際のフランス王は誰か。
6:スレイマン1世の時代、「5」のフランス王と対立していたドイツ皇帝は
誰か。
解答
1:永楽帝
2:コンスタンティノープル 1453年
3:クリム=ハン国
4:マムルーク朝
5:フランソワ1世
6:カール5世
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