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 世界史猛特訓  第 76 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
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 ************************************************************* 
 1本文
 
 明の成立
 
  1351年、紅巾の乱で元統治下の中国は群雄割拠状態になった。そうしたな
 か、長江流域の反乱軍の指導者として朱元璋が台頭し、1368年に金陵(現在の
 南京)で洪武帝として即位し、明が建国された。その後、元をモンゴル高原ま
 で駆逐し、元は北元となって中国支配を失った。
 
  明は漢民族による中国統一を再び実現し、歴代中国王朝のなかで唯一の江南
 を基盤にした統一王朝(南北朝時代は除く)であった。このことからも、江南
 の発展と経済基盤の強さがよくわかる。また、明は清を含めて約500年間続く中
 華帝国の出発点となった。
 
  明では、2代皇帝の建文帝の時代、諸王を抑圧と粛清に対して燕王朱棣が靖
 難の変というクーデター事件が起こした。乱は成功して朱棣は北京に入城し、
 永楽帝として帝位についた。永楽帝は善政をしき、明の最盛期を現出した。
 
 
 明の支配体制
 
  明は皇帝が六部を直轄する支配体制を敷き、皇帝独裁による官僚体制を確立
 した。それに伴って中書省や宰相制が廃止され、政治の皇帝への依存度はます
 ます高まった。六部の他にも監察を司る都察院や軍事を司る五軍都督府などを
 直接支配するなど権限が集中したため、皇帝は大変な多忙であり、有能な皇帝
 の時代は制度の良さがでて善政が敷かれる一方、皇帝が無能であると政治は停
 滞し、混乱した。このように皇帝個人の資質に統治が影響されるため、皇帝独
 裁制には問題もあったため、過度の負担を軽減するために3代皇帝永楽帝の時
 代に内閣大学士が設置された。
 
  明代には法令の整備も行われ、「大明律」や「大明令」等が制定された。ま
 た、漢民族文化を優遇して科挙を継続し、儒学のなかでも特に朱子学を官学と
 した。永楽帝の時代、科挙の教科書として四書大全や五経大全等の書物もに編
 纂され、文化的基盤を築いた。財政基盤確保のための検地も行われ、その結果
 が魚鱗図冊としてまとめられた。また、戸籍徴税台帳として、賦役黄冊も作成
 された。軍事制度は衛所制という方式がとられ、民戸と軍戸を完全分離して軍
 戸を編成するという独特な制度となった。民衆の支配は理甲制という方法で行
 われ、行政の末端として民戸を編成し、治安や徴税の連帯責任を負わせた。ま
 た、六諭という掟を布告し、民衆の教化と思想統制が厳しく行われた。
 
  国内支配を固めていった明は海禁政策をとり、中国人の貿易や海外渡航を禁
 止するとともに、外国との貿易は公式の朝貢形式に厳しく制限した。これは、
 明に反対する勢力が貿易で利益を得るのを防ぐとともに、諸外国に明の力を誇
 示するためであったとされる。このように、明は文化や経済などの実力によっ
 て国際地秩序の構築を目指した。
 
 
 明の全盛期
 
  明は皇帝親政を行ったが、皇帝一人で全てを行うことは不可能であったた
 め、側近政治の色合いが濃くなっていった。永楽帝の時代には内閣大学士が設
 置され、後に権限が強化されたし、靖難の変で人材が失われるなどしたために
 宦官を重用し、宦官に東廠という秘密警察を組織させたりした。洪武帝は宦官
 の政治関与を強く戒めたが、永楽帝は人材不足からこれを破らざるを得ず、後
 の宦官の横暴を招いた。しかし、永楽帝のような優れた皇帝の場合にはこれら
 の仕組みはかえってよく作用し、善政が行われた。永楽帝は1421年に都を北京
 に遷し、モンゴルや女真族を牽制する一方、大運河を改修して新運河とし、江
 南との交通を強化した。
 
  永楽帝の時代、対外的には北方モンゴルへ5回親征したのをはじめ、女真を
 制圧するなどの強硬政策をとり、陳朝の滅亡に乗じてベトナムを併合するな
 ど、国土の拡張が図られた。また、宦官の鄭和を使わして、7回に及ぶ南海遠
 征を行った。3回目までは東南アジアから南インドが中心であったが、4回目
 以降はアラビアや東アフリカなどにも足を延ばし、アフリカ東岸のマリンディ
 にまで到達した。この遠征の目的は国威の誇示にあるとされ、諸国からの朝貢
 を要求するとともに、貿易活動としての側面ももっていた。
 
 
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 2カッコ抜き
 
 明の成立
 
   1351年、( 1 )で元統治下の中国は群雄割拠状態になった。そうしたな
  か、長江流域の反乱軍の指導者として( 2 )が台頭し、1368年に金陵(現
  在の南京)で( 3 )帝として即位し、明が建国された。その後、元をモン
  ゴル高原まで駆逐し、元は北元となって中国支配を失った。
 
  明は漢民族による中国統一を再び実現し、歴代中国王朝のなかで唯一の江南
 を基盤にした統一王朝(南北朝時代は除く)であった。このことからも、江南
 の発展と経済基盤の強さがよくわかる。また、明は清を含めて約500年間続く中
 華帝国の出発点となった。
 
  明では、2代皇帝の建文帝の時代、諸王を抑圧と粛清に対して燕王朱棣が
 ( 4 )というクーデター事件が起こした。乱は成功して朱棣は北京に入城
 し、( 5 )帝として帝位についた。永楽帝は善政をしき、明の最盛期を現
 出した。
 
 
 明の支配体制
 
  明は皇帝が六部を直轄する支配体制を敷き、皇帝独裁による官僚体制を確立
 した。それに伴って( 6 )省や宰相制が廃止され、政治の皇帝への依存度
 はますます高まった。六部の他にも監察を司る都察院や軍事を司る五軍都督府
 などを直接支配するなど権限が集中したため、皇帝は大変な多忙であり、有能
 な皇帝の時代は制度の良さがでて善政が敷かれる一方、皇帝が無能であると政
 治は停滞し、混乱した。このように皇帝個人の資質に統治が影響されるため、
 皇帝独裁制には問題もあったため、過度の負担を軽減するために3代皇帝永楽
 帝の時代に( 7 )が設置された。
 
  明代には法令の整備も行われ、「大明律」や「大明令」等が制定された。ま
 た、漢民族文化を優遇して科挙を継続し、儒学のなかでも特に( 8 )学を
 官学とした。永楽帝の時代、科挙の教科書として( 9 )や( 10 )等の
 書物もに編纂され、文化的基盤を築いた。財政基盤確保のための検地も行わ
 れ、その結果が( 11 )としてまとめられた。また、戸籍徴税台帳として、
 ( 12 )も作成された。軍事制度は( 13 )制という方式がとられ、民戸
 と軍戸を完全分離して軍戸を編成するという独特な制度となった。民衆の支配
 は( 14 )制という方法で行われ、行政の末端として民戸を編成し、治安や
 徴税の連帯責任を負わせた。また、( 15 )という掟を布告し、民衆の教化
 と思想統制が厳しく行われた。
 
  国内支配を固めていった明は( 16 )政策をとり、中国人の貿易や海外渡
 航を禁止するとともに、外国との貿易は公式の朝貢形式に厳しく制限した。こ
 れは、明に反対する勢力が貿易で利益を得るのを防ぐとともに、諸外国に明の
 力を誇示するためであったとされる。このように、明は文化や経済などの実力
 によって国際地秩序の構築を目指した。
 
 
 明の全盛期
 
  明は皇帝親政を行ったが、皇帝一人で全てを行うことは不可能であったた
 め、側近政治の色合いが濃くなっていった。永楽帝の時代には内閣大学士が設
 置され、後に権限が強化されたし、靖難の変で人材が失われるなどしたために
 宦官を重用し、宦官に東廠という秘密警察を組織させたりした。洪武帝は宦官
 の政治関与を強く戒めたが、永楽帝は人材不足からこれを破らざるを得ず、後
 の宦官の横暴を招いた。しかし、永楽帝のような優れた皇帝の場合にはこれら
 の仕組みはかえってよく作用し、善政が行われた。永楽帝は1421年に都を
 ( 17 )に遷し、モンゴルや女真族を牽制する一方、大運河を改修して新運
 河とし、江南との交通を強化した。
 
  永楽帝の時代、対外的には北方モンゴルへ5回親征したのをはじめ、女真を
 制圧するなどの強硬政策をとり、陳朝の滅亡に乗じてベトナムを併合するな
 ど、国土の拡張が図られた。また、宦官の( 18 )を使わして、7回に及ぶ
 南海遠征を行った。3回目までは東南アジアから南インドが中心であったが、
 4回目以降はアラビアや東アフリカなどにも足を延ばし、アフリカ東岸のマリ
 ンディにまで到達した。この遠征の目的は国威の誇示にあるとされ、諸国から
 の朝貢を要求するとともに、貿易活動としての側面ももっていた。
 
 
 
 解答
 1:紅巾の乱   2:朱元璋   3:洪武   4:靖難の変
 5:永楽   6:中書   7:内閣大学士   8:朱子
 9・10:四書大全/五経大全(順不同)   11:魚鱗図冊
 12:賦役黄冊   13:衛所   14:理甲   15:六諭   16:海禁
 17:北京   18:鄭和
 
 
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 3一問一答
 
 1:洪武帝が即位した都市で、明が当初都としていた都市はどこか。また、
   その都市の現在の名称は何か。
 2:魚鱗図冊とは、どういった性格の台帳であったか
 3:賦役黄冊とは、どういった性格の台帳であったか
 4:鄭和の行った大航海を特に何というか
 5:明の都を現在の中国の首都である北京に遷したのは何帝か
 
 解答
 1:当時の名称:金陵 現在の名称:南京
 2:土地台帳
 3:戸籍簿・租税台帳
 4:南海遠征
 5:永楽帝
 
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 4ご案内
 
 
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