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世界史猛特訓 第 67 号 バックナンバー配送バージョン
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もくじ
1------本文
2------カッコ抜き問題
3------一問一答
4------ご案内
5------連絡先など
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1本文
イギリス王権と議会
15世紀から17世紀にかけて、イギリスでは在地貴族や地主化した騎士などの
ジェントリが、第一次エンクロージャーを機に牧羊・毛織物工業に進出した。
また、一部のヨーマンも農耕・牧羊・毛織物生産に従事して富裕化した。こう
した過程で中産階級が成長し、実力を持つようになった。こうした中産階級に
はピューリタン(清教徒)が多かった。経済的実力をつけてきた彼らは自由な
経済活動を望み、保護規制下で活動していた都市上層市民としだいに対立し
た。また、こうして成長した中産階級は地方選出議員として庶民院の議席の多
くを占めるようになった。
こうしたなか、エリザベス1世が死去してテューダー朝は断絶した。そこ
で、スコットランドのジェームズ1世がイギリス王位を継ぎ、1603年からステ
ュアート朝がイギリス王家となった。ジェームズ1世は絶対主義を志向し、王
権神授説を主張するなど、議会を尊重するイギリスの伝統と衝突した。1625年
にその後を継いだチャールズ1世も父と同様に絶対主義を志向し、議会との摩
擦を強めた。
さらに、財源確保のために重税を課し、大商人に商業上の独占権を付与する
一方、対外貿易に関しては無策であり、中産階級の利益と対立した。さらに、
国民に国教会を強制して新教徒を弾圧するなど、現状にそぐわない政策は中産
階級を主体とする議会の激しい反発にあった。1620年にピルグリム=ファー
ザーズが渡米して植民地を建設したのも、こうした宗教政策の結果である。
1928年、こうした王権の横暴ともいえる政策に対して、議会は議会の課税決
定権や法にのっとった逮捕などを求める「権利の請願」を可決し、国王に提出
した。国王はいったんこれを認めたが、1629年、議会を解散して再び独裁を開
始し、1640年まで議会を無視した専制政治を続けた。
ピューリタン革命
ピューリタン革命のきっかけは、1939年、国王の国教会強制に反対して発生
したスコットランドでの反乱であった。この反乱を鎮圧するための戦費調達の
ため、国王は1640年に議会を招集した。しかし、議会は課税を拒否して国王を
弾劾したため、怒った国王は即座に議会を解散した。この議会は非常に短い回
帰で解散されたために短期議会とよばれる。その後も反乱は沈静化せず、同年
11月に議会を再招集したが、議会は大諫議書を可決し、国王を批判して専制政
治に抗議した。こうしたなか、議会内部でも王を支持する王党派と、王にあく
まで反対する議会派との分裂が生じた。1642年、国王は武力による議会弾圧を
企てたが、これが内乱に発展した。
ピューリタン革命は王党派と議会派との間で戦われた。ヨークに拠点を置い
た王党派は、貴族や国教会聖職者、特権的大商人の支持を得た国教徒主体の派
閥であった。一方、ロンドンに基盤を置いた議会派は、都市の中産階級や地方
のジェントリに支持を受け、ピューリタンが主体となった。
当初、ピューリタン革命では王党派が優勢であったが、議会派にクロムウェ
ルが登場すると形勢が逆転した。クロムウェルは鉄騎隊を組織して奮闘し、議
会派の司令官として軍制を改革して王党派に対した。1645年、ネーズビーの戦
いで王党派に圧勝し、王を捕虜とした。これにより、議会派は勝利を決定的な
ものとした。
しかし、議会派の勝利が決定的となると、今度は議会派内での争いが表面化
した。内紛後の国家再建の方針をめぐって議会派は、立憲君主制を主張して国
王に妥協的な長老派、議会主導による立憲君主制を目指して王権の制限を主張
する独立派、共和政を目指して普通選挙の実施と財産の平等配分を主張する水
平派に分裂した。なお、クロムウェルは独立派首領であった。
こうしたなか、独立派は長老派を議会から追放し、1649年にはチャールズ
1世を処刑して共和政を宣言した。その一方、独立派は水平派を弾圧し、さら
に王党派、教会の土地を没収して独立派ジェントリに売却するなど、中産階級
の利益を代表する政策を展開した。1649年、王党派の殲滅を口実にアイルラン
ドを征服し、ほとんどの土地を没収してイングランド人地主の支配下へと繰り
入れた。その後、アイルランドは過酷な支配に苦しんだ。1651年、クロムウェ
ルは航海法を発布してイギリス植民地との貿易をイギリス船に限定し、中継貿
易に依存していたオランダに大打撃を与えた。これらの政策は全て中産階級を
擁護したものである。
航海法は、中継貿易を主軸としていたオランダに深刻な打撃を与えたため、
英蘭戦争の原因となった。英蘭戦争は、1652年から1654年までの第1次、1665
年から1667年までの第2次、1672年から1674年までの第3次と、3次にわたっ
て行われた。この3回の英蘭戦争ではイギリスが完勝して制海権を掌握し、オ
ランダは以後衰退した。
1653年、権力を集中させたクロムウェルは終身の護国卿に就任し、名実とも
に独裁体制を固めた。しかし、クロムウェルの死後息子のリチャードが後継者
となったために政治は混乱した。社会の安定と革命の終結を求めて保守化した
中産階級によって長老派が復活し、王政が復古した。
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2カッコ抜き
イギリス王権と議会
15世紀から17世紀にかけて、イギリスでは在地貴族や地主化した騎士などの
( 1 )が、第一次エンクロージャーを機に牧羊・毛織物工業に進出した。
また、一部の( 2 )も農耕・牧羊・毛織物生産に従事して富裕化した。こ
うした過程で中産階級が成長し、実力を持つようになった。こうした中産階級
には( 3 )が多かった。経済的実力をつけてきた彼らは自由な経済活動を
望み、保護規制下で活動していた都市上層市民としだいに対立した。また、こ
うして成長した中産階級は地方選出議員として庶民院の議席の多くを占めるよ
うになった。
こうしたなか、エリザベス1世が死去して( 4 )朝は断絶した。そこ
で、スコットランドの( 5 )がイギリス王位を継ぎ、1603年から
( 6 )朝がイギリス王家となった。( 5 )は絶対主義を志向し、王権
神授説を主張するなど、議会を尊重するイギリスの伝統と衝突した。1625年に
その後を継いだ( 7 )も父と同様に絶対主義を志向し、議会との摩擦を強
めた。
さらに、財源確保のために重税を課し、大商人に商業上の独占権を付与する
一方、対外貿易に関しては無策であり、中産階級の利益と対立した。さらに、
国民に国教会を強制して新教徒を弾圧するなど、現状にそぐわない政策は中産
階級を主体とする議会の激しい反発にあった。1620年に( 8 )が渡米して
植民地を建設したのも、こうした宗教政策の結果である。
1928年、こうした王権の横暴ともいえる政策に対して、議会は議会の課税決
定権や法にのっとった逮捕などを求める「( 9 )」を可決し、国王に提出
した。国王はいったんこれを認めたが、1629年、議会を解散して再び独裁を開
始し、1640年まで議会を無視した専制政治を続けた。
ピューリタン革命
ピューリタン革命のきっかけは、1939年、国王の国教会強制に反対して発生
したスコットランドでの反乱であった。この反乱を鎮圧するための戦費調達の
ため、国王は1640年に議会を招集した。しかし、議会は課税を拒否して国王を
弾劾したため、怒った国王は即座に議会を解散した。この議会は非常に短い回
帰で解散されたために短期議会とよばれる。その後も反乱は沈静化せず、同年
11月に議会を再招集したが、議会は大諫議書を可決し、国王を批判して専制政
治に抗議した。こうしたなか、議会内部でも王を支持する王党派と、王にあく
まで反対する議会派との分裂が生じた。1642年、国王は武力による議会弾圧を
企てたが、これが内乱に発展した。
ピューリタン革命は王党派と議会派との間で戦われた。ヨークに拠点を置い
た王党派は、貴族や国教会聖職者、特権的大商人の支持を得た国教徒主体の派
閥であった。一方、ロンドンに基盤を置いた議会派は、都市の中産階級や地方
のジェントリに支持を受け、ピューリタンが主体となった。
当初、ピューリタン革命では王党派が優勢であったが、議会派にクロムウェ
ルが登場すると形勢が逆転した。( 10 )は鉄騎隊を組織して奮闘し、議会
派の司令官として軍制を改革して王党派に対した。1645年、ネーズビーの戦い
で王党派に圧勝し、王を捕虜とした。これにより、議会派は勝利を決定的なも
のとした。
しかし、議会派の勝利が決定的となると、今度は議会派内での争いが表面化
した。内紛後の国家再建の方針をめぐって議会派は、立憲君主制を主張して国
王に妥協的な長老派、議会主導による立憲君主制を目指して王権の制限を主張
する独立派、共和政を目指して普通選挙の実施と財産の平等配分を主張する水
平派に分裂した。なお、( 10 )は独立派首領であった。
こうしたなか、独立派は長老派を議会から追放し、1649年には( 7
)
を処刑して共和政を宣言した。その一方、独立派は水平派を弾圧し、さらに王
党派、教会の土地を没収して独立派ジェントリに売却するなど、中産階級の利
益を代表する政策を展開した。1649年、王党派の殲滅を口実に( 11 )を征
服し、ほとんどの土地を没収してイングランド人地主の支配下へと繰り入れ
た。その後、アイルランドは過酷な支配に苦しんだ。1651年、クロムウェルは
( 12 )を発布してイギリス植民地との貿易をイギリス船に限定し、中継貿
易に依存していたオランダに大打撃を与えた。これらの政策は全て中産階級を
擁護したものである。
航海法は、中継貿易を主軸としていたオランダに深刻な打撃を与えたため、
英蘭戦争の原因となった。英蘭戦争は、1652年から1654年までの第1次、1665
年から1667年までの第2次、1672年から1674年までの第3次と、3次にわたっ
て行われた。この3回の英蘭戦争ではイギリスが完勝して制海権を掌握し、オ
ランダは以後衰退した。
1653年、権力を集中させたクロムウェルは終身の( 13 )に就任し、名実
ともに独裁体制を固めた。しかし、クロムウェルの死後息子のリチャードが後
継者となったために政治は混乱した。社会の安定と革命の終結を求めて保守化
した中産階級によって長老派が復活し、王政が復古した。
解答
1:ジェントリ 2:ヨーマン 3:ピューリタン
4:テューダー 5:ジェームズ1世 6:ステュアート
7:チャールズ1世 8:ピルグリム=ファーザーズ
9:権利の請願 10:クロムウェル 11:アイルランド
12:航海法 13:護国卿
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3一問一答
1:ピューリタン革命のきっかけとなった反乱はどこで起こったか
2:クロムウェルが率い、王党派の軍をうち破った軍隊は何か。
解答
1:スコットランド
2:鉄騎隊
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