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 世界史猛特訓  第 64 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
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 ************************************************************* 
 1本文
 
 イギリス
 
  イギリスでは、15世紀のばら戦争で多くの有力な封建貴族が没落した。ばら
 戦争を収拾したヘンリ7世が創設したテューダー朝は、対立する貴族の裁判を
 行う星室庁を設置するなど絶対王権化を進めた。次のヘンリ8世は、自身の離
 婚問題をきっかけに、議会の支持を得て首長法を発布し、イギリス国教会を成
 立させた。しかし、ヘンリ8世の次のメアリ1世は厳格なカトリック信者で
 あった。彼女はスペインのフェリペ2世と結婚し、その厳しいカトリック政策
 のために"血のメアリ"とよばれた。
 
  次のエリザベス1世は、イギリス絶対主義の絶頂期を築いた。エリザベス1
 世はイギリス国教会体制を確立するために統一法を発布した。エリザベス1世
 は、スペインの援助のもとで旧教徒と陰謀を試みたメアリ=スチュアートの処
 刑や、オランダ独立戦争での新教徒勢力に対する援助、スペインによるアメリ
 カ貿易への妨害、私掠船によるスペイン船への襲撃や銀などの掠奪など、スペ
 インに対抗する政策をとった。しかし、当時のイギリスには確固たる海軍がな
 かったため、海上での略奪行為はドレークやホーキンスなどの海賊と契約を結
 んで行っていた。これらの国家から海賊行為を許可された海賊は、私掠船とし
 てスペイン船を襲撃した。イギリスの執拗な妨害に対し、スペインのフェリペ
 2世は無敵艦隊をイギリスに差し向けて制圧を試みたが、イギリスはこれを撃
 破し、以後イギリスが制海権を掌握していった。
 
  エリザベス1世は、他国と同様に重商主義政策をとった。大蔵大臣として経
 済学者のグレシャムを迎え、毛織物工業の保護・奨励や対外発展を促進して富
 の蓄積を図った。対外進出の一環として、ウォルター=ローリーは北アメリカ
 のヴァージニア植民地建設を試みた。この建設はエリザベス1世時代には実現
 しなかったが、次のジェームズ1世の時代に実現した。アジアとの貿易のため
 に東インド会社が設立され、独占貿易権を与えられた。しかし、東インド会社
 の独占権は、非特権商工業者の反発を招いた。また、貿易をめぐってオランダ
 とも抗争した。エリザベス1世晩年、統治への不満もあらわれた。冷遇された
 清教徒達や産業資本家は自由な商工活動を求めて反独占運動を展開した。ま
 た、教会や議会の勢力は絶対主義的な傾向そのものに反発を強めた。
 
  エリザベス1世前後の時代、イギリスでは商工業の発達が進んだ。富裕層で
 あるジェントリ達は、当時の主要である毛織物の増産をはかるため、その原料
 の羊毛の増産を目指した。羊を飼うには放牧用の土地が必要であったから、彼
 らの土地で生産活動を行っていたヨーマンらを追い出し、土地を囲い込むこと
 で放牧地を調達した。これが、第一次囲い込み(エンクロージャー)である。
 第一次エンクロージャーは議会手続きを経ず、法律的な裏付けを欠いていた。
 しかし、羊毛の増産により毛織物工業が発展し、生産された毛織物は重要な輸
 出品となった。このため、毛織物の活発な生産は積極的な海外貿易進出に際し
 てイギリスを助けた。
 
  イギリスの絶対主義は大陸のものはやや異なった形態であった。イギリスで
 は封建制の崩壊が早期に進行しており、王権がもともと強かったし、整備され
 た官僚や常備軍は形成されなかった。また、地方行政はジェントリ達が担い、
 無給の治安判事などとして活躍していたし、海軍は海賊を流用していた。イギ
 リスは島国であったから、陸軍は常時必要ではなく、必要なときには傭兵に依
 存していた。このような点から見ると、非常に安上がりな絶対主義であったと
 もいえる。さらに、イギリスでは絶対主義下でも議会が存続した。イギリスの
 議会は中世以来制度として確立しており、王権が伸張した時も、立法や財政の
 権利を保持し続け、停止されることはなかった。また、地方行政の担い手で
 あったジェントリは庶民院の議員として重要な地位を占めていた。
 
 
 フランス
 
  フランスでは、フランソワ1世の頃から絶対主義化が進んだ。国王は集権化
 を進め新教徒の弾圧を強めた(フランスはカトリック国である)。このため、
 フランス人のカルヴァンは、スイスに亡命してジュネーヴで宗教改革活動を
 行った。外交では、ハプスブルク家に対抗してイタリア戦争でドイツと争い、
 自身はカトリック国であるのにドイツ国内のルター派を支援した。また、フラ
 ンスの周辺(ドイツ・スペイン・ネーデルラント)がハプスブルク家支配下に
 あり、包囲網となっていたことから、異教徒国家であるオスマン=トルコと同
 盟することでドイツを脅かそうとした。
 
  しかし、フランソワ1世の政策は国内では新教徒を弾圧し、国外では新教徒
 を応援するという矛盾したものであった。フランス国内ではカルヴァン派のユ
 グノーが増加しており、フランソワ1世はこの勢力を弾圧した。しかし、次の
 アンリ2世は貴族勢力の伸張を嫌い、王権の伸張を目指して経済的実権を握る
 裕福な市民層(新教徒が増えていた)と結んだ。ところが、こうした政策の結
 果として新教徒が増加し、次のシャルル9世は一転してこれを弾圧した。この
 ように、フランス国内の新教徒に対する政策はめまぐるしく変わった。
 
  こうした一貫性のない国内政策と、カトリック主義に矛盾する国外の新教徒
 支援に対して、ユグノー達の批判が高まった。そして、その対立はユグノー戦
 争という内戦にまで発展した。ユグノー戦争は1562年から30年以上にわたって
 フランス国内を分断した。内戦中の1572年、旧教徒が新教徒を不意打ちしてサ
 ン=バルテルミの虐殺を起こし、内戦は激化した。さらに、スペインのフェリ
 ペ2世が旧教側を、ドイツの新教派諸侯やイギリス・オランダが新教側を、そ
 れぞれ支援して干渉し、内戦はいっそう複雑なものとなった。
 
  ユグノー戦争が続くなか、ヴァロア朝は断絶した。そして、新教派の指導者
 であったブルボン家のナヴァル公アンリがアンリ4世として即位することに
 なった。アンリ4世は、王位につくにあたってカトリックに改宗して自らはカ
 トリックとなる一方、1598年にナント勅令を出して個人の信仰の自由を承認
 し、ユグノー戦争を終結させた。アンリ4世はユグノー戦争で興廃した国内の
 復興に務め、新旧教徒を統合したことで王権は強まった。
 
  フランスの絶対主義が確立したのはルイ13世の時代である。ルイ13世は、宰
 相リシュリューの補佐のもとで王権の強化を図り、ユグノーや貴族勢力を抑圧
 し、1614年に三部会の召集を停止して全権を独占するの至った。外交政策で
 は、フランスの国際的地位の向上を図り、ハプスブルク家に対抗してドイツ30
 年戦争に新教側で介入した。また、学問推進やフランス学士院の設立など、文
 化的な功績も残した。
 
  次のルイ14世が、フランス絶対主義の絶頂期の王である。即位当時、ルイ14
 世は幼く、マザランが摂政として政治を執っていた。1661年からルイ14世は親
 政を行い、王権強化は最終的完成に近づいた。これに危機感を感じた高等法院
 や貴族はフロンドの乱を起こすが、鎮圧された。ここに、絶対主義は完成され
 た。ルイ14世の外交政策は、引き続き宿敵であるハプスブルク家に対抗するも
 のであった。1648年にドイツ30年戦争の講和条約として結ばれたウエストファ
 リア条約では、フランスに有利な条件を盛ってハプスブルク家を押さえ込むこ
 とに成功した。
 
  ルイ14世は「太陽王」と呼ばれ、「朕は国家なり」と豪語した。財務大臣コ
 ルベールによる徹底した重商主義政策によって歳入は充実し、国内産業の保
 護・振興や手工業ギルドの統制・保護も行われた。重商主義政策のもとで海外
 への積極進出と保護関税政策がとられ、海軍力の増強による制海権の確保や、
 北米でのカナダ植民地やルイジアナ植民地の建設、インドでの根拠地の建設が
 行われた。さらに、こうした植民地との交易のため、東インド会社が再建され
 た。
 
  ルイ14世時代、フランスはヨーロッパの政治・文化の中心にとなっていっ
 た。ヨーロッパ最大の軍事力と文化芸術を擁し、バロック様式のヴェルサイユ
 宮殿が造営されるなど、他のヨーロッパ各国には見られない権勢があった。し
 かし、こうした文化的繁栄の一方、ナントの勅令の廃止などの厳しい思想統制
 も行われていた。
 
  以上のように、ルイ14世は絶対主義の絶頂期を現出したが、一方でそれはフ
 ランスの凋落が始まった時期でもあった。ルイ14世はたびたび周辺諸国に侵略
 し、フランスの強大化をおそれた周辺諸国は対仏連合や包囲網をつくって対抗
 した。たび重なる対外戦争の結果としてフランス経済は疲弊し、フランスの栄
 光にもかげりが見えはじめた。
 
  フランスが介入した戦争には次のようなものがある。
 
 南ネーデルラント継承戦争(1667〜1668)
  フランスが南ネーデルランドに侵攻し、オランダ・オーストリアが反発し
 た。戦後、フランスはフランドル南部を獲得することに成功し、一定の成果を
 収めることができた。
 
 オランダ侵略戦争(1672〜1678)
  南ネーデルラント継承戦争時にフランスに対抗したオランダへの復讐戦争。
 戦後、若干の領地を得た。
 
 ファルツ継承戦争(1689〜1697)
  ドイツ南西部に領土的野心を持って侵攻したが、列国が対仏大同盟(アウグ
 スブルク同盟)を結成して徹底対抗した。フランスの戦果はかんばしくなかっ
 た。
 
 スペイン継承戦争(1701〜1713)
  スペイン王家の断絶に際し、ルイ14世の孫がフェリペ5世としてスペイン王
 になったことを原因として戦争が勃発した。イギリス、オランダ、オーストリ
 アが連合して対仏同盟を組み、長期戦争になった。結果的には、1713年のユト
 レヒト条約でブルボン王家によるスペイン王継承が承認された。しかし、フラ
 ンスの合同禁止など厳しい条件が付けられたほか、イギリスはフランス・スペ
 インから多くの領土を獲得した。イギリスは、スペインからジブラルタルとミ
 ノルカ島を獲得し、これがイギリスの地中海進出の契機となった。また、アメ
 リカ植民地における奴隷貿易の独占権(アシエント)も得て、大きな利益を手
 にした。フランスからはニューファンドランド島やアカディア地方、ハドソン
 湾岸などの新大陸領土を獲得した。
 
  フランスは、スペイン継承戦争後の処理でスペイン継承をつらぬくことにこ
 だわり、多くの代償を払った。さらに、1714年のラシュタット条約により、南
 ネーデルランドはスペインからオーストリアに割譲された。この後、フランス
 とイギリスの植民地抗争でイギリスが勝利を重ね、イギリスの覇権が固まって
 いった。
 
  ルイ14世の時代には度重なる対外戦争が行われ、その統治の後半は財政難に
 陥った。困難な財政状況に対応するために重税の賦課や多額の国債発行が行わ
 れ、ルイ14世は借金王とも呼ばれた。また、1685年にナント勅令を廃止し、カ
 トリックを国民に強制したためにユグノーの商工業者が国外逃亡し、経済的な
 打撃もこうむった。
 
  ルイ14世の次のルイ15世は国内の宗教対立に対して和平政策をとり、経済的
 には立ち直りをみせた。しかし、対外戦争への参戦で財政は一層悪化してた。
 また、対英植民地抗争で敗北したことで北米植民地全てを失い、フランスの勢
 いは弱まった。
 
 *************************************************************
 2カッコ抜き
 
 イギリス
 
  イギリスでは、15世紀のばら戦争で多くの有力な封建貴族が没落した。ばら
 戦争を収拾したヘンリ7世が創設した( 1 )朝は、対立する貴族の裁判を
 行う星室庁を設置するなど絶対王権化を進めた。次のヘンリ8世は、自身の離
 婚問題をきっかけに、議会の支持を得て( 2 )法を発布し、イギリス国教
 会を成立させた。しかし、ヘンリ8世の次のメアリ1世は厳格なカトリック信
 者であった。彼女はスペインのフェリペ2世と結婚し、その厳しいカトリック
 政策のために"血のメアリ"とよばれた。
 
  次の( 3 )は、イギリス絶対主義の絶頂期を築いた。エリザベス1世は
 イギリス国教会体制を確立するために( 4 )法を発布した。エリザベス
 1世は、スペインの援助のもとで旧教徒と陰謀を試みたメアリ=スチュアート
 の処刑や、オランダ独立戦争での新教徒勢力に対する援助、スペインによるア
 メリカ貿易への妨害、私掠船によるスペイン船への襲撃や銀などの掠奪など、
 スペインに対抗する政策をとった。しかし、当時のイギリスには確固たる海軍
 がなかったため、海上での略奪行為はドレークやホーキンスなどの海賊と契約
 を結んで行っていた。これらの国家から海賊行為を許可された海賊は、私掠船
 としてスペイン船を襲撃した。イギリスの執拗な妨害に対し、スペインの
 ( 5 )は無敵艦隊をイギリスに差し向けて制圧を試みたが、イギリスはこ
 れを撃破し、以後イギリスが制海権を掌握していった。
 
  エリザベス1世は、他国と同様に重商主義政策をとった。大蔵大臣として経
 済学者のグレシャムを迎え、毛織物工業の保護・奨励や対外発展を促進して富
 の蓄積を図った。対外進出の一環として、ウォルター=ローリーは北アメリカ
 の( 6 )植民地建設を試みた。この建設はエリザベス1世時代には実現し
 なかったが、次のジェームズ1世の時代に実現した。アジアとの貿易のために
 東インド会社が設立され、独占貿易権を与えられた。しかし、東インド会社の
 独占権は、非特権商工業者の反発を招いた。また、貿易をめぐってオランダと
 も抗争した。エリザベス1世晩年、統治への不満もあらわれた。冷遇された清
 教徒達や産業資本家は自由な商工活動を求めて反独占運動を展開した。また、
 教会や議会の勢力は絶対主義的な傾向そのものに反発を強めた。
 
  エリザベス1世前後の時代、イギリスでは商工業の発達が進んだ。富裕層で
 あるジェントリ達は、当時の主要である毛織物の増産をはかるため、その原料
 の羊毛の増産を目指した。羊を飼うには放牧用の土地が必要であったから、彼
 らの土地で生産活動を行っていたヨーマンらを追い出し、土地を囲い込むこと
 で放牧地を調達した。これが、( 7 )である。第一次エンクロージャーは
 議会手続きを経ず、法律的な裏付けを欠いていた。しかし、羊毛の増産により
 毛織物工業が発展し、生産された毛織物は重要な輸出品となった。このため、
 毛織物の活発な生産は積極的な海外貿易進出に際してイギリスを助けた。
 
  イギリスの絶対主義は大陸のものはやや異なった形態であった。イギリスで
 は封建制の崩壊が早期に進行しており、王権がもともと強かったし、整備され
 た官僚や常備軍は形成されなかった。また、地方行政はジェントリ達が担い、
 無給の治安判事などとして活躍していたし、海軍は海賊を流用していた。イギ
 リスは島国であったから、陸軍は常時必要ではなく、必要なときには傭兵に依
 存していた。このような点から見ると、非常に安上がりな絶対主義であったと
 もいえる。さらに、イギリスでは絶対主義下でも議会が存続した。イギリスの
 議会は中世以来制度として確立しており、王権が伸張した時も、立法や財政の
 権利を保持し続け、停止されることはなかった。また、地方行政の担い手で
 あったジェントリは庶民院の議員として重要な地位を占めていた。
 
 
 フランス
 
  フランスでは、フランソワ1世の頃から絶対主義化が進んだ。国王は集権化
 を進め新教徒の弾圧を強めた(フランスはカトリック国である)。このため、
 フランス人のカルヴァンは、スイスに亡命してジュネーヴで宗教改革活動を
 行った。外交では、ハプスブルク家に対抗してイタリア戦争でドイツと争い、
 自身はカトリック国であるのにドイツ国内のルター派を支援した。また、フラ
 ンスの周辺(ドイツ・スペイン・ネーデルラント)がハプスブルク家支配下に
 あり、包囲網となっていたことから、異教徒国家である( 8 )と同盟する
 ことでドイツを脅かそうとした。
 
  しかし、フランソワ1世の政策は国内では新教徒を弾圧し、国外では新教徒
 を応援するという矛盾したものであった。フランス国内ではカルヴァン派のユ
 グノーが増加しており、フランソワ1世はこの勢力を弾圧した。しかし、次の
 アンリ2世は貴族勢力の伸張を嫌い、王権の伸張を目指して経済的実権を握る
 裕福な市民層(新教徒が増えていた)と結んだ。ところが、こうした政策の結
 果として新教徒が増加し、次のシャルル9世は一転してこれを弾圧した。この
 ように、フランス国内の新教徒に対する政策はめまぐるしく変わった。
 
  こうした一貫性のない国内政策と、カトリック主義に矛盾する国外の新教徒
 支援に対して、ユグノー達の批判が高まった。そして、その対立は( 9 )
 という内戦にまで発展した。( 9 )は1562年から30年以上にわたってフラ
 ンス国内を分断した。内戦中の1572年、旧教徒が新教徒を不意打ちして
 ( 10 )を起こし、内戦は激化した。さらに、スペインのフェリペ2世が旧
 教側を、ドイツの新教派諸侯やイギリス・オランダが新教側を、それぞれ支援
 して干渉し、内戦はいっそう複雑なものとなった。
 
  ユグノー戦争が続くなか、( 11 )朝は断絶した。そして、新教派の指導
 者であったブルボン家のナヴァル公アンリが( 12 )として即位することに
 なった。アンリ4世は、王位につくにあたってカトリックに改宗して自らはカ
 トリックとなる一方、1598年に( 13 )を出して個人の信仰の自由を承認
 し、ユグノー戦争を終結させた。アンリ4世はユグノー戦争で興廃した国内の
 復興に務め、新旧教徒を統合したことで王権は強まった。
 
  フランスの絶対主義が確立したのはルイ13世の時代である。ルイ13世は、宰
 相( 14 )の補佐のもとで王権の強化を図り、ユグノーや貴族勢力を抑圧
 し、1614年に三部会の召集を停止して全権を独占するの至った。外交政策で
 は、フランスの国際的地位の向上を図り、ハプスブルク家に対抗してドイツ30
 年戦争に新教側で介入した。また、学問推進やフランス学士院の設立など、文
 化的な功績も残した。
 
  次のルイ14世が、フランス絶対主義の絶頂期の王である。即位当時、ルイ14
 世は幼く、( 15 )が摂政として政治を執っていた。1661年からルイ14世は
 親政を行い、王権強化は最終的完成に近づいた。これに危機感を感じた高等法
 院や貴族は( 16 )を起こすが、鎮圧された。ここに、絶対主義は完成され
 た。ルイ14世の外交政策は、引き続き宿敵であるハプスブルク家に対抗するも
 のであった。1648年にドイツ30年戦争の講和条約として結ばれた( 17 )条
 約では、フランスに有利な条件を盛ってハプスブルク家を押さえ込むことに成
 功した。
 
  ルイ14世は「太陽王」と呼ばれ、「朕は国家なり」と豪語した。財務大臣
 ( 18 )による徹底した重商主義政策によって歳入は充実し、国内産業の保
 護・振興や手工業ギルドの統制・保護も行われた。重商主義政策のもとで海外
 への積極進出と保護関税政策がとられ、海軍力の増強による制海権の確保や、
 北米でのカナダ植民地やルイジアナ植民地の建設、インドでの根拠地の建設が
 行われた。さらに、こうした植民地との交易のため、東インド会社が再建され
 た。
 
  ルイ14世時代、フランスはヨーロッパの政治・文化の中心にとなっていっ
 た。ヨーロッパ最大の軍事力と文化芸術を擁し、バロック様式の( 19 )宮
 殿が造営されるなど、他のヨーロッパ各国には見られない権勢があった。しか
 し、こうした文化的繁栄の一方、ナントの勅令の廃止などの厳しい思想統制も
 行われていた。
 
  以上のように、ルイ14世は絶対主義の絶頂期を現出したが、一方でそれはフ
 ランスの凋落が始まった時期でもあった。ルイ14世はたびたび周辺諸国に侵略
 し、フランスの強大化をおそれた周辺諸国は対仏連合や包囲網をつくって対抗
 した。たび重なる対外戦争の結果としてフランス経済は疲弊し、フランスの栄
 光にもかげりが見えはじめた。
 
  フランスが介入した戦争には次のようなものがある。
 
 南ネーデルラント継承戦争(1667〜1668)
  フランスが南ネーデルランドに侵攻し、オランダ・オーストリアが反発し
 た。戦後、フランスはフランドル南部を獲得することに成功し、一定の成果を
 収めることができた。
 
 オランダ侵略戦争(1672〜1678)
  南ネーデルラント継承戦争時にフランスに対抗したオランダへの復讐戦争。
 戦後、若干の領地を得た。
 
 ファルツ継承戦争(1689〜1697)
  ドイツ南西部に領土的野心を持って侵攻したが、列国が対仏大同盟(アウグ
 スブルク同盟)を結成して徹底対抗した。フランスの戦果はかんばしくなかっ
 た。
 
 スペイン継承戦争(1701〜1713)
  スペイン王家の断絶に際し、ルイ14世の孫がフェリペ5世としてスペイン王
 になったことを原因として戦争が勃発した。イギリス、オランダ、オーストリ
 アが連合して対仏同盟を組み、長期戦争になった。結果的には、1713年の
 ( 20 )条約でブルボン王家によるスペイン王継承が承認された。しかし、
 フランスの合同禁止など厳しい条件が付けられたほか、イギリスはフランス・
 スペインから多くの領土を獲得した。イギリスは、スペインからジブラルタル
 とミノルカ島を獲得し、これがイギリスの地中海進出の契機となった。また、
 アメリカ植民地における奴隷貿易の独占権(アシエント)も得て、大きな利益
 を手にした。フランスからはニューファンドランド島やアカディア地方、ハド
 ソン湾岸などの新大陸領土を獲得した。
 
  フランスは、スペイン継承戦争後の処理でスペイン継承をつらぬくことにこ
 だわり、多くの代償を払った。さらに、1714年のラシュタット条約により、南
 ネーデルランドはスペインからオーストリアに割譲された。この後、フランス
 とイギリスの植民地抗争でイギリスが勝利を重ね、イギリスの覇権が固まって
 いった。
 
  ルイ14世の時代には度重なる対外戦争が行われ、その統治の後半は財政難に
 陥った。困難な財政状況に対応するために重税の賦課や多額の国債発行が行わ
 れ、ルイ14世は借金王とも呼ばれた。また、1685年にナント勅令を廃止し、カ
 トリックを国民に強制したためにユグノーの商工業者が国外逃亡し、経済的な
 打撃もこうむった。
 
  ルイ14世の次のルイ15世は国内の宗教対立に対して和平政策をとり、経済的
 には立ち直りをみせた。しかし、対外戦争への参戦で財政は一層悪化してた。
 また、対英植民地抗争で敗北したことで北米植民地全てを失い、フランスの勢
 いは弱まった。
 
 
 解答
 1:テューダー   2:首長   3:エリザベス1世   4:統一
 5:フェリペ2世   6:ヴァージニア
 7:第一次囲い込み(エンクロージャー)   8:オスマン=トルコ
 9:ユグノー戦争   10:サン=バルテルミの虐殺   11:ヴァロワ
 12:アンリ4世   13:ナント勅令   14:リシュリュー
 15:マザラン   16:フロンドの乱   17:ウエストファリア
 18:コルベール   19:ヴェルサイユ   20:ユトレヒト
 
 *************************************************************
 3一問一答
 
 1:イギリス国教会を創始した王は誰か
 2:エリザベス1世在位時期にイギリスで特に栄えた工業は何か
 3:リシュリューが補佐したフランス王は誰か
 4:三部会を廃止した王は誰か
 5:ナント勅令を発した王は誰か
 6:ナント勅令を廃止した王は誰か
 7:フランス王家と対立したオーストリア王家は何家か
 8:フランスが得た新大陸植民地を二つ挙げよ
 9:ヴェルサイユ宮殿は何様式の建築物か
 
 解答
 1:ヘンリ8世
 2:毛織物工業
 3:ルイ13世
 4:ルイ13世
 5:アンリ4世
 6:ルイ14世
 7:ハプスブルク家
 8:カナダ植民地・ルイジアナ植民地
 9:バロック式
 
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