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世界史猛特訓 第 63 号 バックナンバー配送バージョン
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もくじ
1------本文
2------カッコ抜き問題
3------一問一答
4------ご案内
5------連絡先など
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1本文
スペイン
スペインはレコンキスタの途上で王の支配権を確立していたため、比較的早
い時期に中央集権体制を整えることができた。さらに、新大陸の発見と進出が
重商主義政策に重なり、経済的発展を享受することができた。そのため、いち
早く絶対主義を確立することに成功した。
ハプスブルク家のカルロス1世は神聖ローマ皇帝を兼務したスペイン王であ
る。ドイツ皇帝としての呼称はカール5世で、オーストリア・スペイン・ネー
デルラントブリュゴーニュなど、非常に広い地域を支配していた。ハプスブル
ク家はフランスのヴァロア家と対立関係にあり、イタリア戦争などでフランス
と争った。彼は、当時直面していた宗教改革に対しては旧教側の立場を鮮明に
し、新教との調停のためトリエントの公会議の支援をしたり、1555年のアウグ
スブルクの和議をとりまとめたりした。しかし、自身はアウグスブルクの和議
に落胆して退位し、皇帝を退位した。カール5世は自分の子供に領土を分割相
続し、兄にスペイン・ナポリ・シチリア・ネーデルラントを、弟にオーストリ
アとドイツ皇帝位を、それぞれ継承した。
スペインでカルロス1世の後を継いだフェリペ2世は、積極的な海外進出に
よって「太陽の沈まない大帝国」と呼ばれる広大な領土を確保し、スペインの
全盛期を築いた。1571年のレパントの海戦ではトルコをおさえて制海権を確保
し、さらに1581年にはポルトガルを併合した。スペインが支配下に置いた新大
陸からは莫大な金銀が流入し、アジア貿易での香辛料売買も多額の利益を上げ
たから、スペインはおおいに繁栄した。
こうした繁栄の一方、熱心なカトリック信者であったフェリペ2世は徹底し
た反宗教改革を行った。そのため、国内の宗教はカトリックのみとされ、徹底
的な宗教裁判と異端尋問が行われた。しかし、当時の商工業者には新教徒が多
く、宗教弾圧は商工業者らの国外逃亡をまねいたため、国内の商工業の空洞化
をまねいた。また、当時の商工業先進地域ネーデルラントでは宗教問題が本国
への反発を招き、独立運動につながった。商工業の衰退に加え、フランスのユ
グノー戦争への干渉など、多額の軍事支出があったため、スペインの財政は厳
しさを増した。
フェリペ2世はイギリスのメアリ1世と結婚してイギリスでの旧教復活を企
てたが失敗し、メアリ1世の次のイギリス女王エリザベス1世は国教会を復活さ
せた。さらに、エリザベス1世は私拿捕艦隊でスペインの貿易を妨害してスペ
インと対立し、1588年にスペインが派遣した無敵艦隊との海戦にも勝利して、
スペインは以後次第に海上権を喪失した。
そして17世紀、スペインの国力は次第に衰退した。広大な植民地を有してい
たとはいえ、交易は宮廷に独占されていたために富が宮廷にばかり集中してい
たし、植民地経営も強制労働と略奪による非永続的であった。さらに、新教徒
が多かった商工業者を弾圧したために国内産業が十分に発達せず、そのために
新大陸からもたらされた銀は輸出用の毛織物を購入するために国外流出し、国
を潤すことがなかった。そして、スペインの無敵艦隊がイギリスに敗北したた
めに海上権を失い、イギリスの私掠船(私拿捕船)による略奪行為などの通商
妨害が衰退に拍車をかけた。
オランダの独立
1477年、ハプスブルク家の領有となったネーデルラントは、早くから毛織物
工業が発達し、経済的に繁栄していた。また、諸都市が自治権を持っていたた
めに政治的にも自由で、宗教や文化にも寛容であったためにルネサンスの中心
地となった。宗教改革期にはカルヴァン派が普及し、その信者はゴイセンと呼
ばれた。
しかし、スペインのフェリペ2世は本国優先の政策を推進するなかで増税や
既得権の制限を行い、さらに都市自治権の剥奪を企てた。また、カトリックを
強制して新教徒の迫害を行った。
1568年、地元の有力者であったホーエン伯エグモントがスペインによって処
刑され、それを契機としてスペインの圧制に反対する民衆が武装蜂起してオラ
ンダ独立戦争(オランダ独立40年戦争)がはじまった。この抵抗運動の中心と
なったのがオレンジ公ウィリアム(オランニエ公ウィレン)である。さらに、
ネーデルラント総督となったアルバ公は新教徒を虐殺したためにいっそうの反
発を招き、反スペインの運動は激化した。しかし、その次の総督となったパル
マ公は懐柔策をとり、ネーデルラントの南半分では独立運動が沈静化した。
南部10州はアラス同盟を結成し抵抗闘争から脱落し、逆に北部7州はユトレ
ヒト同盟を結成していっそうの抵抗運動を行った。イギリス・フランス・ドイ
ツの新教徒派諸侯がユトレヒト同盟の独立運動を援助し、1581年にネーデルラ
ント連邦共和国は独立を宣言した。独立を果たしたオランダでは、オレンジ公
ウィリアムが世襲の総督となって統治を行ったが、総督は名目上のものであっ
た。
しかし、1585年にスペインがオランダの首都アントワープを攻略し、徹底的
な破壊活動を行った。そのため、商業・政治の中心はアムステルダムに移動し
た。1609年、オランダとスペインの間で休戦協定が成立してオランダは事実上
の独立を達成し、1648年のウェストファリア条約で独立を国際的に承認され
た。この独立は宗教戦争としての側面も持つとともに、宗教の自由と経済的自
由を求めた市民革命の先駆的な意味をもった。
17世紀前半、オランダの勢力は全盛を迎えた。オランダは各州の自治権が強
い連邦政府の形態をとり、世襲総督のオレンジ公ウィリアム(オランニエ公ウ
ィレン)は形式上の存在となった。オランダには新教徒が多く、中小商工業者
が優遇されたために毛織物工業が発展した。また、活発な中継貿易を行って富
を蓄積した。
また、東南アジアの貿易拠点として、ジャワ島にバタヴィア(現在のジャカ
ルタ)を建設し、東インド会社による大々的な香辛料貿易を行った。この段階
で東南アジア地域でのポルトガル勢力を駆逐し、対抗していたイギリス勢力に
も勝利したために、貿易利益の独占が可能となった。その他、アフリカのケー
プ植民地や北アメリカのニューネーデルラント植民地が建設された。
しかし、オランダも政治的混乱によって次第に衰退した。また、中継貿易に
重点を置いたオランダでは貿易の主導権が商人にあり、国内産業の育成が立ち
後れた。そのため、貿易で得た収益が国外に流出し、利益があがりにくくなっ
ていた。さらに、毛織物生産を発展させたイギリスとの英蘭戦争に破れたこと
で、オランダの衰退は決定的となった。
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2カッコ抜き
スペイン
スペインはレコンキスタの途上で王の支配権を確立していたため、比較的早
い時期に中央集権体制を整えることができた。さらに、新大陸の発見と進出が
重商主義政策に重なり、経済的発展を享受することができた。そのため、いち
早く絶対主義を確立することに成功した。
ハプスブルク家の( 1 )は神聖ローマ皇帝を兼務したスペイン王であ
る。ドイツ皇帝としての呼称はカール5世で、オーストリア・スペイン・ネー
デルラントブリュゴーニュなど、非常に広い地域を支配していた。ハプスブル
ク家はフランスのヴァロア家と対立関係にあり、イタリア戦争などでフランス
と争った。彼は、当時直面していた宗教改革に対しては旧教側の立場を鮮明に
し、新教との調停のため( 2 )の公会議の支援をしたり、1555年の
( 3 )をとりまとめたりした。しかし、自身は( 3 )に落胆して退位
し、皇帝を退位した。カール5世は自分の子供に領土を分割相続し、兄にスペ
イン・ナポリ・シチリア・ネーデルラントを、弟にオーストリアとドイツ皇帝
位を、それぞれ継承した。
スペインでカルロス1世の後を継いだ( 4 )は、積極的な海外進出に
よって「太陽の沈まない大帝国」と呼ばれる広大な領土を確保し、スペインの
全盛期を築いた。1571年の( 5 )の海戦ではトルコをおさえて制海権を確
保し、さらに1581年にはポルトガルを併合した。スペインが支配下に置いた新
大陸からは莫大な金銀が流入し、アジア貿易での香辛料売買も多額の利益を上
げたから、スペインはおおいに繁栄した。
こうした繁栄の一方、熱心なカトリック信者であったフェリペ2世は徹底し
た反宗教改革を行った。そのため、国内の宗教はカトリックのみとされ、徹底
的な宗教裁判と異端尋問が行われた。しかし、当時の商工業者には新教徒が多
く、宗教弾圧は商工業者らの国外逃亡をまねいたため、国内の商工業の空洞化
をまねいた。また、当時の商工業先進地域ネーデルラントでは宗教問題が本国
への反発を招き、独立運動につながった。商工業の衰退に加え、フランスのユ
グノー戦争への干渉など、多額の軍事支出があったため、スペインの財政は厳
しさを増した。
フェリペ2世はイギリスのメアリ1世と結婚してイギリスでの旧教復活を企
てたが失敗し、メアリ1世の次のイギリス女王( 6 )は国教会を復活させ
た。さらに、エリザベス1世は私拿捕艦隊でスペインの貿易を妨害してスペイ
ンと対立し、1588年にスペインが派遣した( 7 )との海戦にも勝利して、
スペインは以後次第に海上権を喪失した。
そして17世紀、スペインの国力は次第に衰退した。広大な植民地を有してい
たとはいえ、交易は宮廷に独占されていたために富が宮廷にばかり集中してい
たし、植民地経営も強制労働と略奪による非永続的であった。さらに、新教徒
が多かった商工業者を弾圧したために国内産業が十分に発達せず、そのために
新大陸からもたらされた銀は輸出用の毛織物を購入するために国外流出し、国
を潤すことがなかった。そして、スペインの無敵艦隊がイギリスに敗北したた
めに海上権を失い、イギリスの私掠船(私拿捕船)による略奪行為などの通商
妨害が衰退に拍車をかけた。
オランダの独立
1477年、ハプスブルク家の領有となったネーデルラントは、早くから毛織物
工業が発達し、経済的に繁栄していた。また、諸都市が自治権を持っていたた
めに政治的にも自由で、宗教や文化にも寛容であったためにルネサンスの中心
地となった。宗教改革期には( 8 )派が普及し、その信者はゴイセンと呼
ばれた。
しかし、スペインのフェリペ2世は本国優先の政策を推進するなかで増税や
既得権の制限を行い、さらに都市自治権の剥奪を企てた。また、カトリックを
強制して新教徒の迫害を行った。
1568年、地元の有力者であったホーエン伯エグモントがスペインによって処
刑され、それを契機としてスペインの圧制に反対する民衆が武装蜂起してオラ
ンダ独立戦争(オランダ独立40年戦争)がはじまった。この抵抗運動の中心と
なったのが( 9 )である。さらに、ネーデルラント総督となったアルバ公
は新教徒を虐殺したためにいっそうの反発を招き、反スペインの運動は激化し
た。しかし、その次の総督となったパルマ公は懐柔策をとり、ネーデルラント
の南半分では独立運動が沈静化した。
南部10州はアラス同盟を結成し抵抗闘争から脱落し、逆に北部7州は
( 10 )同盟を結成していっそうの抵抗運動を行った。イギリス・フラン
ス・ドイツの新教徒派諸侯が( 10 )同盟の独立運動を援助し、1581年に
( 11 )は独立を宣言した。独立を果たしたオランダでは、オレンジ公ウィ
リアムが世襲の総督となって統治を行ったが、総督は名目上のものであった。
しかし、1585年にスペインがオランダの首都アントワープを攻略し、徹底的
な破壊活動を行った。そのため、商業・政治の中心は( 12 )に移動した。
1609年、オランダとスペインの間で休戦協定が成立してオランダは事実上の独
立を達成し、1648年の( 13 )条約で独立を国際的に承認された。この独立
は宗教戦争としての側面も持つとともに、宗教の自由と経済的自由を求めた市
民革命の先駆的な意味をもった。
17世紀前半、オランダの勢力は全盛を迎えた。オランダは各州の自治権が強
い連邦政府の形態をとり、世襲総督の( 9 )は形式上の存在となった。オ
ランダには新教徒が多く、中小商工業者が優遇されたために毛織物工業が発展
した。また、活発な中継貿易を行って富を蓄積した。
また、東南アジアの貿易拠点として、ジャワ島に( 14 )(現在のジャカ
ルタ)を建設し、東インド会社による大々的な香辛料貿易を行った。この段階
で東南アジア地域でのポルトガル勢力を駆逐し、対抗していたイギリス勢力に
も勝利したために、貿易利益の独占が可能となった。その他、アフリカの
( 15 )植民地や北アメリカの( 16 )植民地が建設された。
しかし、オランダも政治的混乱によって次第に衰退した。また、中継貿易に
重点を置いたオランダでは貿易の主導権が商人にあり、国内産業の育成が立ち
後れた。そのため、貿易で得た収益が国外に流出し、利益があがりにくくなっ
ていた。さらに、毛織物生産を発展させたイギリスとの( 17 )戦争に破れ
たことで、オランダの衰退は決定的となった。
解答
1:カルロス1世 2:トリエント 3:アウグスブルクの和議
4:フェリペ2世 5:レパント 6:エリザベス1世
7:無敵艦隊 8:カルヴァン 9:オレンジ公ウィリアム
10:ユトレヒト 11:ネーデルラント連邦共和国
12:アムステルダム 13:ウェストファリア 14:バタヴィア
15:ケープ 16:ニューネーデルラント 17:英蘭
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3一問一答
1:カルロス1世は、何家の王か。
2:オランダでは、カルヴァン派を特に何というか。
解答
1:ハプスブルク家
2:ゴイセン
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