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世界史猛特訓 第 61 号 バックナンバー配送バージョン
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もくじ
1------本文
2------カッコ抜き問題
3------一問一答
4------ご案内
5------連絡先など
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1本文
カルヴァン
16世紀の初め、スイスのチューリッヒでツヴィングリが宗教改革運動を始め
たが、旧勢力との争いに破れて戦死した。
フランス人のカルヴァンは、フランス王フランソワ1世の弾圧を逃れてスイ
スへ亡命し、1536年に『キリスト教綱要』を発表してジュネーヴで宗教改革活
動を行った。カルヴァンの教義(カルヴァニズム)には、人の救済は神の絶対
的な意思によって予め決められているという予定説がある。その考え方から職
業は神が人に与えた神聖な天職であり、そこから得られる収入も神聖であると
して、利潤や蓄財に肯定的な考えを説いた。この考え方は主として商工業者層
に広がって営利活動の精神的支えとなり、後の資本主義を思想的に支えた。カ
ルヴァン派の信者は国によって様々な呼称があり、フランスではユグノー、
ネーデルランドではゴイセン、イングランドではピューリタン(清教徒)とよ
ばれた。
イギリス国教会
イギリスでも宗教改革の動きが起こったが、宗教教義上の問題というよりは
政治的な理由からであった。当時、イギリスのテューダー朝は中央集権化を進
めており、教会を国家の支配下に置こうとしていた。こうしたなか、ヘンリ
8世の離婚問題がイギリス国教会成立の直接的な原因となった
ヘンリ8世はもともと熱心なカトリックであったが、スペイン王家の王妃と
の離婚問題がもちあがり、離婚を認めない教皇と対立した。この対立のなか、
首長法を発布して国王による教会の支配を開始した。これによって、イギリス
領内のカトリック教会は全て教皇から分離独立し、イギリス国王を首長とする
イギリス国教会へと改組された。また、これに反対する各地の修道院の廃止
や、教会所領の没収など強硬な手段も講じられた。このようにして没収された
土地は国民に払い下げて財政に繰り入れられた。ヘンリ8世の次のエドワード
6世は一般祈祷書を記し、制度や儀式はカトリック系で新教的な教義を持った
国教会独自の説が確立した。国教会は国王の主導で設立されたので、イギリス
は教皇から宗教的にも政治的にも独立した立場を保った。
エドワード6世のあとを継いだメアリ1世は、スペインとのつながりもあっ
て旧教の復活をはかった。その際、新教徒を徹底的に弾圧したため、血のメア
リとも呼た。しかし、メアリの次のエリザベス1世が統一法を発布してイギリ
ス国教会を確立して以降、イギリスには独自の教会制度である国教会が継続し
た。
反宗教改革
宗教改革に直面したカトリック勢力は、1545年から神聖ローマ皇帝カール
5世らの呼びかけでトリエント公会議を開き、新旧両派の和睦を目指した。し
かし、新教派が参加しなかったためにその内容は旧教側の反宗教改革となり、
カトリックの正当性や教皇至上権を確認した一方、免罪符も発売をやめるなど
の反省も見られた。また、反宗教改革の具体的な行動指針として、禁書目録の
作成や、宗教裁判・異端尋問による異端抑圧の強化などが盛り込まれた。
こうしたなか、イグナティウス=ロヨラらによって結成されたイエズス会
は、教皇を長としてカトリックの布教と新教派の打倒とカトリックの勢力拡大
を目指した。その目的のため、ヨーロッパでの新教の波及を阻止するととも
に、新大陸やアジアではポルトガル・スペインの植民活動と結合して宣教師を
派遣し、布教活動を展開した。戦国時代の日本でも、イエズス会士フランシス
コ=ザヴィエルが布教活動を行った。
16世紀後半から17世紀にかけても政治的対立と宗教対立が結合し、フランス
のユグノー戦争やオランダ独立戦争、ドイツ三十年戦争といった宗教戦争が勃
発した。
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2カッコ抜き
カルヴァン
16世紀の初め、スイスの( 1 )でツヴィングリが宗教改革運動を始めた
が、旧勢力との争いに破れて戦死した。
フランス人のカルヴァンは、フランス王フランソワ1世の弾圧を逃れてスイ
スへ亡命し、1536年に『キリスト教綱要』を発表して( 2 )で宗教改革活
動を行った。カルヴァンの教義(カルヴァニズム)には、人の救済は神の絶対
的な意思によって予め決められているという( 3 )説がある。その考え方
から職業は神が人に与えた神聖な天職であり、そこから得られる収入も神聖で
あるとして、利潤や蓄財に肯定的な考えを説いた。この考え方は主として商工
業者層に広がって営利活動の精神的支えとなり、後の資本主義を思想的に支え
た。カルヴァン派の信者は国によって様々な呼称があり、フランスでは
( 4 )、ネーデルランドでは( 5 )、イングランドでは( 6 )
とよばれた。
イギリス国教会
イギリスでも宗教改革の動きが起こったが、宗教教義上の問題というよりは
政治的な理由からであった。当時、イギリスのテューダー朝は中央集権化を進
めており、教会を国家の支配下に置こうとしていた。こうしたなか、( 7 )
の離婚問題がイギリス国教会成立の直接的な原因となった
( 7 )はもともと熱心なカトリックであったが、スペイン王家の王妃と
の離婚問題がもちあがり、離婚を認めない教皇と対立した。この対立のなか、
( 8 )法を発布して国王による教会の支配を開始した。これによって、イ
ギリス領内のカトリック教会は全て教皇から分離独立し、イギリス国王を首長
とするイギリス国教会へと改組された。また、これに反対する各地の修道院の
廃止や、教会所領の没収など強硬な手段も講じられた。このようにして没収さ
れた土地は国民に払い下げて財政に繰り入れられた。( 7 )の次のエド
ワード6世は一般祈祷書を記し、制度や儀式はカトリック系で新教的な教義を
持った国教会独自の説が確立した。国教会は国王の主導で設立されたので、イ
ギリスは教皇から宗教的にも政治的にも独立した立場を保った。
エドワード6世のあとを継いだメアリ1世は、スペインとのつながりもあっ
て旧教の復活をはかった。その際、新教徒を徹底的に弾圧したため、血のメア
リとも呼た。しかし、メアリの次の( 9 )が統一法を発布してイギリス国
教会を確立して以降、イギリスには独自の教会制度である国教会が継続した。
反宗教改革
宗教改革に直面したカトリック勢力は、1545年から神聖ローマ皇帝カール
5世らの呼びかけで( 10 )公会議を開き、新旧両派の和睦を目指した。し
かし、新教派が参加しなかったためにその内容は旧教側の反宗教改革となり、
カトリックの正当性や教皇至上権を確認した一方、免罪符も発売をやめるなど
の反省も見られた。また、反宗教改革の具体的な行動指針として、禁書目録の
作成や、宗教裁判・異端尋問による異端抑圧の強化などが盛り込まれた。
こうしたなか、( 11 )らによって結成されたイエズス会は、教皇を長と
してカトリックの布教と新教派の打倒とカトリックの勢力拡大を目指した。そ
の目的のため、ヨーロッパでの新教の波及を阻止するとともに、新大陸やアジ
アではポルトガル・スペインの植民活動と結合して宣教師を派遣し、布教活動
を展開した。戦国時代の日本でも、イエズス会士( 12 )が布教活動を行っ
た。
16世紀後半から17世紀にかけても政治的対立と宗教対立が結合し、フランス
のユグノー戦争やオランダ独立戦争、ドイツ三十年戦争といった宗教戦争が勃
発した。
解答
1:チューリッヒ 2:ジュネーヴ 3:予定 4:ユグノー
5:ゴイセン 6:ピューリタン 7:ヘンリ8世 8:首長
9:エリザベス1世 10:トリエント 11:イグナティウス=ロヨラ
12:フランシスコ=ザヴィエル
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3一問一答
1:チューリッヒで宗教改革運動を行ったのは誰か。
2:ジュネーブで宗教活動を行ったのは誰か。
3:エリザベス1世が国教会を復活させた法律は何か。
4:トリエントの公会議を提唱した神聖ローマ皇帝は誰か。
5:イグナティウス=ロヨラらが設立した教団を何というか。
解答
1:ツヴィングリ
2:カルヴァン
3:統一法
4:カール5世
5:イエズス会(ジェズイット教団)
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