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世界史猛特訓 第 58 号 バックナンバー配送バージョン
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もくじ
1------本文
2------カッコ抜き問題
3------一問一答
4------ご案内
5------連絡先など
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1本文
科学技術の発達
ルネサンスの時代には、従来の宗教の絶対的な束縛が弱まり、合理主義や経
験主義を生かすことができたため、科学技術も発展した。また、イスラム世界
との接触により、イスラムの優れた科学が導入され、科学的視野は大きく広
がった。
当時、三大発明として世の中に多大な影響を与えたものに、火薬、羅針盤、
活版印刷がある。ドイツで火薬を用いた火砲が発明されるとそれまでの戦術を
一変し、騎士階級が戦力として不要になっていったためにしだいに没落した。
羅針盤はイタリアで改良が重ねられ、大洋航海を可能とし、大航海時代に欠か
せない航海用具となった。ドイツのグーテンベルクが鉛製の活字による活版印
刷を発明したことで、印刷コストの大幅な低減が可能となり、知識・思想の普
及に大革新をもたらした。
また、科学技術の進歩は宇宙観にも変化をもたらした。ヘレニズム時代にプ
トレマイオスは天動説を主張し、それが教会の教義ともなって受け継がれてき
たが、16世紀にコペルニクスが「天体の回転について」という著書の中で地動
説を提唱した。また。イタリア人のジョルダーノ=ブルーノは、地動説を支持
したが、教会によって処刑された。17世紀にはガリレオ=ガリレイが「天文学
対話」で地動説の立場をとるが、教会の宗教裁判で自説を撤回でざるを得なく
なり、地動説は長らく認められなかった。しかし、ドイツのケプラーが惑星の
運行の法則を示し、ようやく地動説が認知されるようになった。
交易の活発化
ルネサンス時代、イベリア半島ではレコンキスタが完成して、国家統一がな
された。こうしたなかで、対外的発展への活力や交易への意欲、さらには宗教
熱も加わって、イベリア半島の国家は他の地域へ関心を持つようになった。特
に、イタリア商人から商業・航海技術を習得したことや、イスラム圏の進んだ
科学技術などを摂取したことがこれらを可能にしていった。さらに、マルコ
ポーロが書いた東方見聞録でもたらされた東方の情報や、モンゴル帝国の解体
とオスマントルコの台頭による東西交易路の遮断などによって、外洋経由のア
ジアとの交易が切望された。
統一国家を形成しつつあったスペインとポルトガルの王は、財政確立の必要
性から海外発展事業へ積極的に援助を行い、それらに国家的事業として取り組
んだ。この当時、アジアの代表的な産品は香辛料であり、香辛料を直接交易す
れば莫大な利益が見込めたからである。
こうした冒険を可能にしたのが羅針盤の発明や造船技術の進歩である。これ
らによって外洋航海が可能になり、かなりの危険を伴うとはいえ、航行距離は
以前と比べて飛躍的に伸びた。また、当時発表された地球球体説や世界地図、
地球儀などもこのような動きを後押しした。
ポルトガル
ポルトガルはインド航路の開拓につとめ、成功した。13世紀にレコンキスタ
を完成させたポルトガルは、早期からアフリカ西岸の探検などを行い、さらな
る航路開拓を目指した。15世紀前半、エンリケ航海王子はインド航路開拓を王
室の事業として推進し、その後の本格的な探検により1488年にバルトロメウ=
ディアスが喜望峰に到達した。1498年、ヴァスコ=ダ=ガマはアフリカの東岸
マリンディから、インド西岸のカリカットに到達し、インドへの東回り航路を
開拓した。
当時、アジアとの貿易は東南アジアからイスラム商人を経てイタリア商人に
よって行われていたため、物品が西ヨーロッパに着く頃には価格が高騰してい
たが、ポルトガルはインドとの直接交易ルートを確保したことで、中間経費の
削減に成功し、莫大な富を得ることが出来た。
さらに、ポルトガルは優れた火砲の威力によって、マムルーク朝の海軍を撃
破してインド洋の制海権を掌握すると、ゴアに総督府を設置した。さらに、セ
イロン島からマラッカへ進み、モルッカ諸島に至る香辛料ルートを押さえた。
さらに、1543年のザビエルの種子島漂着や、1557年のマカオの根拠地化など、
東アジアにも進出した。
このようにして、東南アジア以西の香辛料、織物貿易を独占したポルトガル
は、アジア貿易の独占者として多大な富を得て、16世紀の後半のリスボンは繁
栄を極ていたという。しかし、17世紀になると、東南アジアにおける覇権は
徐々にオランダへと移り、ポルトガルはしだいに衰退した。
スペインと新大陸
スペインの最大の業績は新大陸の発見である。スペインがレコンキスタを達
成したのは1492年のことであり、すでにポルトガルは喜望峰を回っていた。ジ
ェノヴァ生まれの商人であったコロンブスは、スペイン女王イサベルの支援を
受けて西回り航路の探検航海に出航し、レコンキスタ完成と同年の1492年にサ
ンサルバドル島に到達した。以後、コロンブスは3回の大西洋横断航海をした
が、死ぬまで自分が発見した島をインドであると信じていたという。
その後の新大陸では、探検と領土争いが相次いだ。まず、1497年にはイタリ
ア人のカボットが、イギリス王ヘンリ7世の命によって北米を探検している。
1500年にはポルトガル人のカブラルが、ゴアの総督として赴任する途上でブラ
ジルに漂着し、ブラジルがポルトガル領であるとの宣言をする。さらに、1501
年には、フィレンツェ出身のアメリゴ=ヴェスプッチが南米大陸の海岸沿いを
探検し、インドではなく未知の大陸であることを確認し、1513年には、スペイ
ン人のバルボアがパナマ地峡を横断して太平洋を発見した。
こうした探検の後、スペイン王カルロス1世の支援を受けてマゼランは世界
周航に挑戦し、1519年に西回りで出航した。その目的は、大西洋の向こうに広
がる太平洋航路を開拓することによって、インド航路よりも速くアジアへ到達
することであった。マゼランは1521年にフィリピンに到着し、領有権を宣言し
たが、マゼランは現地住民に殺害されてしまった。その後は、部下が航海を続
けて1522年に帰国に成功し、世界一周を達成した。世界一周の達成は地球が球
体であることを証明した。
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2カッコ抜き
科学技術の発達
ルネサンスの時代には、従来の宗教の絶対的な束縛が弱まり、合理主義や経
験主義を生かすことができたため、科学技術も発展した。また、イスラム世界
との接触により、イスラムの優れた科学が導入され、科学的視野は大きく広
がった。
当時、三大発明として世の中に多大な影響を与えたものに、( 1 )、
( 2 )、( 3 )がある。ドイツで( 1 )を用いた火砲が発明され
るとそれまでの戦術を一変し、騎士階級が戦力として不要になっていったため
にしだいに没落した。( 2 )はイタリアで改良が重ねられ、大洋航海を可
能とし、大航海時代に欠かせない航海用具となった。ドイツのグーテンベルク
が鉛製の活字による( 3 )を発明したことで、印刷コストの大幅な低減が
可能となり、知識・思想の普及に大革新をもたらした。
また、科学技術の進歩は宇宙観にも変化をもたらした。ヘレニズム時代に
( 4 )は天動説を主張し、それが教会の教義ともなって受け継がれてきた
が、16世紀に( 5 )が「天体の回転について」という著書の中で地動説を
提唱した。また。イタリア人のジョルダーノ=ブルーノは、地動説を支持した
が、教会によって処刑された。17世紀には( 6 )が「天文学対話」で地動
説の立場をとるが、教会の宗教裁判で自説を撤回でざるを得なくなり、地動説
は長らく認められなかった。しかし、ドイツの( 7 )が惑星の運行の法則
を示し、ようやく地動説が認知されるようになった。
交易の活発化
ルネサンス時代、イベリア半島では( 8 )が完成して、国家統一がなさ
れた。こうしたなかで、対外的発展への活力や交易への意欲、さらには宗教熱
も加わって、イベリア半島の国家は他の地域へ関心を持つようになった。特
に、イタリア商人から商業・航海技術を習得したことや、イスラム圏の進んだ
科学技術などを摂取したことがこれらを可能にしていった。さらに、( 9 )
が書いた東方見聞録でもたらされた東方の情報や、モンゴル帝国の解体とオス
マントルコの台頭による東西交易路の遮断などによって、外洋経由のアジアと
の交易が切望された。
統一国家を形成しつつあったスペインとポルトガルの王は、財政確立の必要
性から海外発展事業へ積極的に援助を行い、それらに国家的事業として取り組
んだ。この当時、アジアの代表的な産品は( 10 )であり、( 10 )を直
接交易すれば莫大な利益が見込めたからである。
こうした冒険を可能にしたのが羅針盤の発明や造船技術の進歩である。これ
らによって外洋航海が可能になり、かなりの危険を伴うとはいえ、航行距離は
以前と比べて飛躍的に伸びた。また、当時発表された地球球体説や世界地図、
地球儀などもこのような動きを後押しした。
ポルトガル
ポルトガルはインド航路の開拓につとめ、成功した。13世紀にレコンキスタ
を完成させたポルトガルは、早期からアフリカ西岸の探検などを行い、さらな
る航路開拓を目指した。15世紀前半、( 11 )はインド航路開拓を王室の事
業として推進し、その後の本格的な探検により1488年に( 12 )が喜望峰に
到達した。1498年、( 13 )はアフリカの東岸マリンディから、インド西岸
のカリカットに到達し、インドへの東回り航路を開拓した。
当時、アジアとの貿易は東南アジアからイスラム商人を経てイタリア商人に
よって行われていたため、物品が西ヨーロッパに着く頃には価格が高騰してい
たが、ポルトガルはインドとの直接交易ルートを確保したことで、中間経費の
削減に成功し、莫大な富を得ることが出来た。
さらに、ポルトガルは優れた火砲の威力によって、マムルーク朝の海軍を撃
破してインド洋の制海権を掌握すると、( 14 )に総督府を設置した。さら
に、セイロン島からマラッカへ進み、モルッカ諸島に至る香辛料ルートを押さ
えた。さらに、1543年のザビエルの種子島漂着や、1557年のマカオの根拠地化
など、東アジアにも進出した。
このようにして、東南アジア以西の香辛料、織物貿易を独占したポルトガル
は、アジア貿易の独占者として多大な富を得て、16世紀の後半のリスボンは繁
栄を極ていたという。しかし、17世紀になると、東南アジアにおける覇権は
徐々にオランダへと移り、ポルトガルはしだいに衰退した。
スペインと新大陸
スペインの最大の業績は新大陸の発見である。スペインがレコンキスタを達
成したのは1492年のことであり、すでにポルトガルは喜望峰を回っていた。ジ
ェノヴァ生まれの商人であった( 15 )は、スペイン女王イサベルの支援を
受けて西回り航路の探検航海に出航し、レコンキスタ完成と同年の1492年にサ
ンサルバドル島に到達した。以後、コロンブスは3回の大西洋横断航海をした
が、死ぬまで自分が発見した島をインドであると信じていたという。
その後の新大陸では、探検と領土争いが相次いだ。まず、1497年にはイタリ
ア人の( 16 )が、イギリス王ヘンリ7世の命によって北米を探検してい
る。1500年にはポルトガル人の( 17 )が、ゴアの総督として赴任する途上
でブラジルに漂着し、ブラジルがポルトガル領であるとの宣言をする。さら
に、1501年には、フィレンツェ出身の( 18 )が南米大陸の海岸沿いを探検
し、インドではなく未知の大陸であることを確認し、1513年には、スペイン人
の( 19 )がパナマ地峡を横断して太平洋を発見した。
こうした探検の後、スペイン王カルロス1世の支援を受けて( 20 )は世
界周航に挑戦し、1519年に西回りで出航した。その目的は、大西洋の向こうに
広がる太平洋航路を開拓することによって、インド航路よりも速くアジアへ到
達することであった。マゼランは1521年にフィリピンに到着し、領有権を宣言
したが、マゼランは現地住民に殺害されてしまった。その後は、部下が航海を
続けて1522年に帰国に成功し、世界一周を達成した。世界一周の達成は地球が
球体であることを証明した。
解答
1:火薬 2:羅針盤 3:活版印刷 4:プトレマイオス
5:コペルニクス 6:ガリレオ=ガリレイ 7:ケプラー
8:レコンキスタ 9:マルコポーロ 10:香辛料
11:エンリケ航海王子 12:バルトロメウ=ディアス
13:ヴァスコ=ダ=ガマ 14:ゴア 15:コロンブス
16:カボット 17:カブラル 18:アメリゴ=ヴェスプッチ
19:バルボア 20:マゼラン
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3一問一答
1:ヨーロッパにおける活版印刷の発明者は誰か
2:天動説を主張したヘレニズム時代の学者は誰か
3:大航海時代の概要航海を可能とした発明品は何か
4:ポルトガルが東アジアにおける根拠地とした地区で、1999年12月に中国に
返還された所はどこか。
5:ヴァスコ=ダ=ガマが到達したインドの都市はどこか
6:コロンブスはスペイン人ではなかった。どこの都市の出身か。
解答
1:グーテンベルク
2:プトレマイオス(トレミー)
3:羅針盤
4:マカオ
5:カリカット
6:ジェノヴァ
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