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 世界史猛特訓  第 53 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
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 1本文
 
 イギリス
 
  1066年から約100年間に渡り、イギリスはノルマン朝支配が続いた。ノルマン
 朝は、ノルマンディー公ウィリアムによるノルマン=コンクェストによって成
 立した征服王朝だったから、当初から王権は強かった。そのため、ドゥームズ
 =デイブックとよばれる土地台帳を作成するなど、強力な支配を行うことが可
 能であった。また、王は大陸から封建制を導入した。
 
  ノルマン朝にの後に建てられたのは、フランスのアンジュー伯ヘンリ2世に
 よって創始されたプランタジネット朝である。この当時イギリス王家はフラン
 ス西北部も領有していたため、イギリス国王はフランス最大の封建諸侯でも
 あった。ヘンリ2世の次の国王リチャード1世は、第3回十字軍で活躍してサ
 ラディンと和睦し、獅子心王と呼ばれた。しかし、次の国王ジョンは、フラン
 ス王フィリップ2世と争ってフランス国内の領土のほとんどを喪失し、教皇イ
 ンノケンティウス3世に破門され、フランスからの領土回復戦争を企図して重
 税を課し貴族の抵抗を招くなど、失政続きで失地王などとも呼ばれた。こうし
 た失政続きの王に対し、イギリス国内の諸侯は1215年にマグナ=カルタ(大憲
 章)を認めさせ、法による支配を確認し、貴族などの既得権を確認して王権を
 制限した。マグナ=カルタは後の立憲政治の基礎となった。ジョン王の次の国
 王ヘンリ3世はマグナ=カルタを無視したが、シモン=ド=モンフォールら貴
 族の抵抗にあい、1265年に議会を招集してマグナ=カルタは再確認された。ヘ
 ンリ3世の次の国王エドワード1世は、1296年に模範議会を開き、後の議会の
 典型となった。
 
 
 フランス
 
  カペー朝初期のフランスでは王権が弱小で、国内では諸侯が割拠していた。
 カペー朝が王権を伸張するためには国内諸侯の弱体化と、国内最大領主である
 イギリス王の追い出しが必要であったので、この後のフランス王はこの実現に
 腐心した。
 
  1223年に即位したフィリップ2世は王権の伸張を図ってイギリス王ジョンと
 抗争し、その結果ジョンの保有していたフランス領を奪取して王領に編入する
 ことに成功した。また、内政分野では都市に自治権を付与して直轄化すること
 によって封建諸侯に対抗し、宗教分野ではフランス南部に勢力を伸ばしていた
 アルビジョワ派の討伐を開始した。フィリップ2世はアルビジョワ派討伐の正
 当性を主張するためにローマ教皇に働きかけを行い、アルビジョワ派はインノ
 ケンティウス3世によって異端とされた。
 
  ルイ9世の時代にはアルビジョワ派の討伐が完了し、十字軍の統率などで王
 が指導力を発揮して王権の強化を印象づけた。フィリップ4世は、国内聖職者
 への課税問題で教皇ボニファティウス8世と抗争してローマ教会と正面対立
 し、国内では三部会を召集して国内の支持を取り付けた上で、ボニファティウ
 ス8世ををアナーニで捕縛した(アナーニ事件)。フィリップ4世は教皇を南
 仏のアヴィニョンにおき統制下に置き、教皇のバビロン捕囚を始めた。アナー
 ニ事件、教皇のバビロン捕囚、そしてその後の大シスマを通じて教皇権は失墜
 し、相対的に王権はいっそう強大化した。
 
 
 百年戦争
 
  百年戦争は1339年から1453年に渡って展開されたフランスとイギリスの戦争
 である。この対立が戦争にまで発展した背景には、当時の毛織物工業の中心地
 であったフランドル地方の支配権問題がある。フランドル地方はイギリス産羊
 毛の輸出先であり、イギリスとフランスの両国はこの地域を巡って対立してい
 た。また、ギュイエンヌ地方の支配権問題での対立も背景となった。こうした
 中、1328年にフランスのカペー朝が断絶してフランスではヴァロア朝が成立し
 た。これに対して、イギリス王エドワード3世は母がカペー家出身であること
 を口実にフランスの王位継承権を主張し、フランスに上陸して開戦した。1339
 年に戦闘が開始され、当初はエドワード黒太子の活躍もあってイギリス軍優位
 で戦争が進行し、クレシーの戦いやポワティエの戦いなどで勝利した。1428
 年、フランス王シャルル7世はオルレアン城に包囲されてフランスは危機に追
 い込まれた。しかし、1429年にジャンヌ=ダルクがオルレアンを解放し、その
 後戦況は一変してフランス軍の代進撃となり、1453年に百年戦争は終結した。
 100年戦争はフランスの勝利に終わり、イギリスはドーバ海峡の大陸側に位置す
 るカレーを残して大陸領土を全て喪失した。
 
  百年戦争の結果、フランスでは北フランスを中心に農村が荒廃するととも
 に、封建諸侯は大打撃を受け、以後王権は強化された。100年戦争を終結させた
 シャルル7世は国内の復興と王権の強化を目指し、大商人ジャック=クールを
 登用するなどして経済政策を行った。また、ルイ11世がブルゴーニュ地方を併
 合し、さらに、それに続くシャルル8世がフランス王権を確立した。一方イギ
 リスでは、フランスの領土を失ったことにでかえって国内問題に専念できるこ
 とにもなった。
 
  百年戦争後のイギリスでは、ばら戦争という内乱が起こった。ばら戦争はイ
 ギリス王家の王位争いに端を発し、ランカスター家とヨーク家が争った。ばら
 戦争は国内諸侯や騎士を巻き込んだ熾烈な内乱となって双方のの諸侯は没落
 し、その結果として相対的に王権は伸張した。ばら戦争を終結させたのは、テ
 ューダー朝のヘンリ7世で、彼は内乱を収拾すると絶対主義の基礎を固めた。
 ヘンリ7世は王権強化策として星室庁を設置し、王権に対抗する貴族勢力を排
 除した。また、商工業を奨励し、財政再建にも励んだ。
 
 
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 2カッコ抜き
 
 イギリス
 
  1066年から約100年間に渡り、イギリスは( 1 )朝支配が続いた。ノルマ
 ン朝は、ノルマンディー公ウィリアムによるノルマン=コンクェストによって
 成立した征服王朝だったから、当初から王権は強かった。そのため、ドゥーム
 ズ=デイブックとよばれる土地台帳を作成するなど、強力な支配を行うことが
 可能であった。また、王は大陸から封建制を導入した。
 
  ノルマン朝にの後に建てられたのは、フランスのアンジュー伯ヘンリ2世に
 よって創始された( 2 )朝である。この当時イギリス王家はフランス西北
 部も領有していたため、イギリス国王はフランス最大の封建諸侯でもあった。
 ヘンリ2世の次の国王リチャード1世は、第3回十字軍で活躍してサラディン
 と和睦し、獅子心王と呼ばれた。しかし、次の国王( 3 )は、フランス王
 フィリップ2世と争ってフランス国内の領土のほとんどを喪失し、教皇インノ
 ケンティウス3世に破門され、フランスからの領土回復戦争を企図して重税を
 課し貴族の抵抗を招くなど、失政続きで失地王などとも呼ばれた。こうした失
 政続きの王に対し、イギリス国内の諸侯は1215年に( 4 )(大憲章)を認
 めさせ、法による支配を確認し、貴族などの既得権を確認して王権を制限し
 た。マグナ=カルタは後の立憲政治の基礎となった。ジョン王の次の国王
 ( 5 )はマグナ=カルタを無視したが、( 6 )ら貴族の抵抗にあい、
 1265年に議会を招集してマグナ=カルタは再確認された。ヘンリ3世の次の国
 王エドワード1世は、1296年に( 7 )を開き、後の議会の典型となった。
 
 
 フランス
 
  カペー朝初期のフランスでは王権が弱小で、国内では諸侯が割拠していた。
 カペー朝が王権を伸張するためには国内諸侯の弱体化と、国内最大領主である
 イギリス王の追い出しが必要であったので、この後のフランス王はこの実現に
 腐心した。
 
  1223年に即位した( 8 )は王権の伸張を図ってイギリス王ジョンと抗争
 し、その結果ジョンの保有していたフランス領を奪取して王領に編入すること
 に成功した。また、内政分野では都市に自治権を付与して直轄化することに
 よって封建諸侯に対抗し、宗教分野ではフランス南部に勢力を伸ばしていたア
 ルビジョワ派の討伐を開始した。フィリップ2世はアルビジョワ派討伐の正当
 性を主張するためにローマ教皇に働きかけを行い、アルビジョワ派はインノケ
 ンティウス3世によって異端とされた。
 
  ルイ9世の時代にはアルビジョワ派の討伐が完了し、十字軍の統率などで王
 が指導力を発揮して王権の強化を印象づけた。フィリップ4世は、国内聖職者
 への課税問題で教皇( 9 )と抗争してローマ教会と正面対立し、国内では
 三部会を召集して国内の支持を取り付けた上で、( 9 )ををアナーニで捕
 縛した(アナーニ事件)。フィリップ4世は教皇を南仏の( 10 )におき統
 制下に置き、教皇のバビロン捕囚を始めた。アナーニ事件、教皇のバビロン捕
 囚、そしてその後の大シスマを通じて教皇権は失墜し、相対的に王権はいっそ
 う強大化した。
 
 
 百年戦争
 
  百年戦争は1339年から1453年に渡って展開されたフランスとイギリスの戦争
 である。この対立が戦争にまで発展した背景には、当時の毛織物工業の中心地
 であったフランドル地方の支配権問題がある。フランドル地方はイギリス産羊
 毛の輸出先であり、イギリスとフランスの両国はこの地域を巡って対立してい
 た。また、ギュイエンヌ地方の支配権問題での対立も背景となった。こうした
 中、1328年にフランスのカペー朝が断絶してフランスではヴァロア朝が成立し
 た。これに対して、イギリス王エドワード3世は母がカペー家出身であること
 を口実にフランスの王位継承権を主張し、フランスに上陸して開戦した。1339
 年に戦闘が開始され、当初は( 11 )の活躍もあってイギリス軍優位で戦争
 が進行し、クレシーの戦いやポワティエの戦いなどで勝利した。1428年、フラ
 ンス王シャルル7世は( 12 )城に包囲されてフランスは危機に追い込まれ
 た。しかし、1429年に( 13 )がオルレアンを解放し、その後戦況は一変し
 てフランス軍の代進撃となり、1453年に百年戦争は終結した。100年戦争はフラ
 ンスの勝利に終わり、イギリスはドーバ海峡の大陸側に位置する( 14 )を
 残して大陸領土を全て喪失した。
 
  百年戦争の結果、フランスでは北フランスを中心に農村が荒廃するととも
 に、封建諸侯は大打撃を受け、以後王権は強化された。100年戦争を終結させた
 シャルル7世は国内の復興と王権の強化を目指し、大商人ジャック=クールを
 登用するなどして経済政策を行った。また、ルイ11世がブルゴーニュ地方を併
 合し、さらに、それに続くシャルル8世がフランス王権を確立した。一方イギ
 リスでは、フランスの領土を失ったことにでかえって国内問題に専念できるこ
 とにもなった。
 
  百年戦争後のイギリスでは、ばら戦争という内乱が起こった。ばら戦争はイ
 ギリス王家の王位争いに端を発し、( 15 )家と( 16 )家が争った。ば
 ら戦争は国内諸侯や騎士を巻き込んだ熾烈な内乱となって双方のの諸侯は没落
 し、その結果として相対的に王権は伸張した。ばら戦争を終結させたのは、
 ( 17 )朝のヘンリ7世で、彼は内乱を収拾すると絶対主義の基礎を固め
 た。ヘンリ7世は王権強化策として( 18 )を設置し、王権に対抗する貴族
 勢力を排除した。また、商工業を奨励し、財政再建にも励んだ。
 
 
 
 解答
 1:ノルマン   2:プランタジネット   3:ジョン
 4:マグナ=カルタ   5:ヘンリ3世
 6:シモン=ド=モンフォール   7:模範議会   8:フィリップ2世
 9:ボニファティウス8世   10:アヴィニョン
 11:エドワード黒太子   12:オルレアン   13:ジャンヌ=ダルク
 14:カレー   15・16:ランカスター/ヨーク(順不同)
 17:テューダー   18:星室庁
 
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 3一問一答
 
 
 1:イギリスのノルマン朝を創始したのは君主は誰か
 2:「1」の人物によるイギリス侵略を何というか
 3:プランタジネット朝を創始した君主は誰か
 4:リチャード1世が十字軍で戦い、和睦した敵軍の将は誰か
 5:「4」の人物が創始したイスラム王朝は何朝か
 6:模範議会を開いたイギリス王は誰か
 7:フィリップ2世の時代からルイ9世の時代にかけて討伐された南フ
   ランスのキリスト教一派を何というか
 8:オルレアン解放とともに即位したフランス王は誰か
 
 
 
 解答
 1:(ノルマンディー侯)ウィリアム
 2:ノルマン=コンクェスト
 3:(アンジュー伯)ヘンリ2世
 4:サラディン  (「サラーフ=アッディーン」可)
 5:アイユーブ朝
 6:エドワード1世
 7:アルビジョワ派
 8:シャルル7世
 
 
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