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 世界史猛特訓  第 52 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
 メールマガジンについての詳細情報は
 http://www.sekaishi.com/support/
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 ************************************************************* 
 1本文
 
 教会の衰退
 
  中世の末期に近づくにつれ、教会の権威は低下していった。十字軍の失敗や
 教会、聖職者の世俗化や堕落により、人々は信仰心を次第に失っていった。ま
 た、教会の経済基盤であった荘園制も動揺したために教会財政は逼迫し、王権
 の伸張とともに教皇権も弱体化した。
 
  1303年、聖職者への課税問題をめぐってフランス王フィリップ4世と教皇ボ
 ニファティウス8世が対立した。フィリップ4世は三部会を召集して国内世論
 をまとめて国民の支持を取り付け、教皇をローマ近郊のアナーニで捕縛してア
 ナーニ事件を起こした。この時、ボニファティウス8世は憤死した。さらに
 1309年、フィリップ4世は教皇庁を南フランスのアヴィニョンに移し、教皇を
 フランス王の監督下においた。この事件は教皇のバビロン捕囚などと言われ、
 70年間に渡ってフランス王が教皇権に干渉した。
 
  教皇がローマに戻りって教皇のバビロン捕囚は終了したが、アヴィニョンに
 も教皇が立って正統を主張して並立したため、教会大分裂(シスマ)が起こっ
 た。後にピサにも教皇が立って、1417年のコンスタンツ公会議まで分裂が続い
 た。ドイツ皇帝ジギスムントの呼びかけによって召集されたコンスタンツ公会
 議は、ローマ教皇の正当性を確認してシスマに終止符を打った。これを機に教
 会の権威は失墜した。
 
  この時代、後の宗教改革の先駆とも言える教会改革の動きも出るようになっ
 た。14世紀後半、イギリスでウィクリフが教会の財産所有や教義を批判し、英
 国の政治・宗教の教皇から独立を主張した。しかし、教皇は彼にを異端とし
 た。また、ベーメン(ボヘミア)ではウィクリフの思想に共鳴したフスが教会
 改革を提唱したが、破門されて火あぶりに処せられた。
 
 
 荘園制の崩壊
 
  中世末期、荘園制は動揺し、崩壊の危機に瀕した。荘園制の崩壊はそれを財
 源とする領主を直撃し、その経済的基盤も危機に瀕した。一方、貨幣経済の普
 及と発達は農奴の蓄積も可能とし、その地位を向上させる者も現れた。
 
  11〜12世紀にかけて、重量有輪犂の導入や三圃式農業の普及、水車の導入な
 どによって農業の生産性が著しく向上した。これによって余剰生産物が発生
 し、商工業の発展も相まって荘園内部にも貨幣経済が浸透した。貨幣は交換性
 や蓄積性に優れていたから、この普及によって農奴にも富の蓄積の可能性が与
 えられた。一方、自給自足的だった荘園経済が変容するにつれ、古典荘園は純
 粋荘園へと姿を変えていった。領主は貨幣を欲したため、賦役をやめて直営地
 も貸し出すようになり、生産物地代は貨幣地代へと変わった。
 
  13世紀末、十字軍の長期遠征などによって領主は経済的に困窮した。外国遠
 征などで外国の品が流入するようになり、そうした贅沢品の購入等による生活
 費上昇も経済的困窮に拍車をかけた。さらにこの時期、黒死病(ペスト)の大
 流行によって人口が激減して労働力が稀少となったため、領主は以前より農奴
 の待遇を改善せざるを得なくなり、農奴への束縛は弱まった。
 
  このようにして領主の困窮と農奴の待遇改善が進行するとともに、農奴解放
 の動きがあらわれた。農奴解放は、農奴が一定額の納付金を領主に納める見返
 りに、独立自営農民として人権を認められるというものであった。イギリスで
 は、このようにして自立した独立自営農民のことを特にヨーマンという。一
 方、領主が直営地における賦役の復活を試みたり、農民の地位向上を阻止した
 りするなどの封建反動の動きも出た。封建反動に対して農奴は武力闘争で対抗
 し、1358年にフランスでジャックリーの乱が、1381年にイギリスでワット=タ
 イラーの乱がそれぞれ起こった。ワット=タイラーの乱ではジョン=ボールが
 思想的指導者の役割を果たし、「アダムが耕し、イブが紡いだとき、誰が貴族
 であったのか」とのスローガンを掲げて闘争した。一連の農奴解放と荘園崩壊
 で封建領主による農奴の支配体制は次第に崩壊し、地主と小作人といった関係
 へと変わっていった。
 
 
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 2カッコ抜き
 
 教会の衰退
 
  中世の末期に近づくにつれ、教会の権威は低下していった。十字軍の失敗や
 教会、聖職者の世俗化や堕落により、人々は信仰心を次第に失っていった。ま
 た、教会の経済基盤であった荘園制も動揺したために教会財政は逼迫し、王権
 の伸張とともに教皇権も弱体化した。
 
  1303年、聖職者への課税問題をめぐってフランス王( 1 )と教皇
 ( 2 )が対立した。( 1 )は三部会を召集して国内世論をまとめて国
 民の支持を取り付け、教皇をローマ近郊の( 3 )で捕縛して( 3 )事
 件を起こした。この時、ボニファティウス8世は憤死した。さらに1309年、フ
 ィリップ4世は教皇庁を南フランスの( 4 )に移し、教皇をフランス王の
 監督下においた。この事件は教皇のバビロン捕囚などと言われ、70年間に渡っ
 てフランス王が教皇権に干渉した。
 
  教皇がローマに戻りって教皇のバビロン捕囚は終了したが、アヴィニョンに
 も教皇が立って正統を主張して並立したため、( 5 )が起こった。後にピ
 サにも教皇が立って、1417年の( 6 )まで分裂が続いた。ドイツ皇帝ジギ
 スムントの呼びかけによって召集された( 6 )は、ローマ教皇の正当性を
 確認してシスマに終止符を打った。これを機に教会の権威は失墜した。
 
  この時代、後の宗教改革の先駆とも言える教会改革の動きも出るようになっ
 た。14世紀後半、イギリスで( 7 )が教会の財産所有や教義を批判し、英
 国の政治・宗教の教皇から独立を主張した。しかし、教皇は彼にを異端とし
 た。また、ベーメン(ボヘミア)ではウィクリフの思想に共鳴した( 8 )
 が教会改革を提唱したが、破門されて火あぶりに処せられた。
 
 
 荘園制の崩壊
 
  中世末期、荘園制は動揺し、崩壊の危機に瀕した。荘園制の崩壊はそれを財
 源とする領主を直撃し、その経済的基盤も危機に瀕した。一方、貨幣経済の普
 及と発達は農奴の蓄積も可能とし、その地位を向上させる者も現れた。
 
  11〜12世紀にかけて、( 9 )の導入や( 10 )農業の普及、水車の導
 入などによって農業の生産性が著しく向上した。これによって余剰生産物が発
 生し、商工業の発展も相まって荘園内部にも貨幣経済が浸透した。貨幣は交換
 性や蓄積性に優れていたから、この普及によって農奴にも富の蓄積の可能性が
 与えられた。一方、自給自足的だった荘園経済が変容するにつれ、古典荘園は
 純粋荘園へと姿を変えていった。領主は貨幣を欲したため、賦役をやめて直営
 地も貸し出すようになり、生産物地代は( 11 )へと変わった。
 
  13世紀末、十字軍の長期遠征などによって領主は経済的に困窮した。外国遠
 征などで外国の品が流入するようになり、そうした贅沢品の購入等による生活
 費上昇も経済的困窮に拍車をかけた。さらにこの時期、( 12 )の大流行に
 よって人口が激減して労働力が稀少となったため、領主は以前より農奴の待遇
 を改善せざるを得なくなり、農奴への束縛は弱まった。
 
  このようにして領主の困窮と農奴の待遇改善が進行するとともに、農奴解放
 の動きがあらわれた。農奴解放は、農奴が独立自営農民となって一定の人権を
 認められるというものであった。イギリスでは、このようにして自立した独立
 自営農民のことを特に( 13 )という。一方、領主が直営地における賦役の
 復活を試みたり、農民の地位向上を阻止したりするなどの封建反動の動きも出
 た。封建反動に対して農奴は武力闘争で対抗し、1358年にフランスで
 ( 14 )が、1381年にイギリスで( 15 )がそれぞれ起こった。ワット=
 タイラーの乱ではジョン=ボールが思想的指導者の役割を果たし、「アダムが
 耕し、イブが紡いだとき、誰が貴族であったか」とのスローガンを掲げて闘争
 した。一連の農奴解放と荘園崩壊で封建領主による農奴の支配体制は次第に崩
 壊し、地主と小作人といった関係へと変わっていった。
 
 
 解答
 1:フィリップ4世   2:ボニファティウス8世   3:アナーニ
 4:アヴィニョン   5:教会大分裂(シスマ)
 6:コンスタンツ公会議   7:ウィクリフ   8:フス
 9:重量有輪犂(有輪犂)   10:三圃式   11:貨幣地代
 12:黒死病(ペスト)   13:ヨーマン   14:ジャックリーの乱
 15:ワット=タイラーの乱
 
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 3一問一答
 
 1:フィリップ4世が教皇をアヴィニョンに移し、教皇権にフランス王が干渉
   した事件は何といわれたか。
 2:ワット=タイラーの乱で思想的指導者の役割を果たしたのは誰か。
 
 解答
 1:教皇のバビロン捕囚
 2:ジョン=ボール
 
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