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 世界史猛特訓  第 49 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
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 1本文
 
 十字軍
 
  十字軍は、セルジューク=トルコの侵攻から聖地イェルサレムを奪回するた
 めに派遣された。当時西ヨーロッパでは教皇権が絶頂に達しつつあり、西ヨー
 ロッパ各国の国力が充実してきたこともあって、大規模な遠征が実現した。ま
 た、十字軍と同時期のヨーロッパは、ドイツによるバルト海沿岸への東方植民
 活動、南イタリアでのノルマン王国によるイスラム勢力の駆逐、イベリア半島
 でのレコンキスタ(国土回復運動)の展開やフランスでのアルビジョワ派キリ
 スト教徒の討伐など、異教徒に対する領土拡張的な動きが目立った。
 
  十字軍派遣の直接原因は、ビザンツ皇帝アレクシオス1世が、マンディケル
 トの戦いでセルジューク=トルコに破れ、キリスト教支配地域の縮小をおそれ
 たために出した西への救援要請である。これにこたえて、ウルバヌス2世は
 1095年にクレルモン公会議を開いて十字軍を提唱し、翌1096年に聖地イェルサ
 レムの奪回を目指して十字軍が開始された。
 
  十字軍は西ヨーロッパ内部にも変化をもたらした。指導者として活動した国
 王は王権伸張に成功し、騎士達は長期に渡る従軍の負担や新兵器の登場などに
 より没落した。また、十字軍の最終的失敗によって教皇の権威は失墜した。西
 ヨーロッパが地中海の制海権を握ったために東方貿易が活発化し、地中海の都
 市やその地域での商業が発展した。また、ビザンツやイスラムから学問が流入
 し、西ヨーロッパでの学術研究が盛んになった。
 
  十字軍は合計7回行われている。1096年から99年にかけて行われた第1回十
 字軍は、イェルサレムを奪回してイェルサレム王国などの国家をを建国し、目
 的は達せられた。この際、ヨハネ騎士団やテンプル騎士団が結成された。
 
  第2回目の十字軍は神聖ローマ皇帝とフランス王の内紛によって失敗に終
 わった。第3回の十字軍は最大の規模で行われ、イギリス王リチャード1世、
 フランス王フィリップ2世、ドイツ皇帝フリードリヒ1世が参加し、帝王十字
 軍とも言われた。結果的に途中で分裂してしまうが、リチャード1世はアイ
 ユーブ朝のサラディンと戦い、聖地回復には失敗するもののサラディンとの和
 睦でキリスト教徒の聖地巡礼が保障された。
 
  続く第4回の十字軍は教皇インノケンティウス3世の提唱で行われたが、
 ヴェネツィア商人の誘導によってコンスタンティノープルを占領するなど、目
 的を外れて行動した。これ対して教皇は参加者を破門したが、コンスタンティ
 ノープルにはラテン帝国が建設され、これ以後ヴェネツィアが地中海貿易を独
 占した。コンスタンティノープルを追われたビザンツ勢力は小アジアに移って
 ニケーア帝国を建国し、ビザンツ帝国は一時中断した。
 
  第5回十字軍は外交手段によってイェルサレムの奪回に一時成功した。第
 6回はフランス王ルイ9世がエジプトを攻撃し、逆に捕虜となってしまった。
 また、第7回は同じくルイ9世がチュニスを攻撃したが、王は死んでしまい、
 兵士は帰還した。1291年、キリスト教の地中海東岸の最後の拠点であったアッ
 コンが陥落し、200年にのぼる十字軍は聖地を奪い返されて失敗に終わった。
 
 
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 2カッコ抜き
 
 十字軍
 
  十字軍は、セルジューク=トルコの侵攻から聖地イェルサレムを奪回するた
 めに派遣された。当時西ヨーロッパでは教皇権が絶頂に達しつつあり、西ヨー
 ロッパ各国の国力が充実してきたこともあって、大規模な遠征が実現した。ま
 た、十字軍と同時期のヨーロッパは、南イタリアでのノルマン王国によるイス
 ラム勢力の駆逐、イベリア半島での( 1 )の展開やフランスでのアルビジ
 ョワ派キリスト教徒の討伐など、異教徒に対する領土拡張的な動きが目立っ
 た。
 
  十字軍派遣の直接原因は、ビザンツ皇帝アレクシオス1世が、マンディケル
 トの戦いでセルジューク=トルコに破れ、キリスト教支配地域の縮小をおそれ
 たために出した西への救援要請である。これにこたえて、( 2 )は1095年
 にクレルモン公会議を開いて十字軍を提唱し、翌1096年に聖地イェルサレムの
 奪回を目指して十字軍が開始された。
 
  十字軍は西ヨーロッパ内部にも変化をもたらした。指導者として活動した国
 王は王権伸張に成功し、騎士達は長期に渡る従軍の負担や新兵器の登場などに
 より没落した。また、十字軍の最終的失敗によって教皇の権威は失墜した。西
 ヨーロッパが地中海の制海権を握ったために( 3 )が活発化し、地中海の
 都市やその地域での商業が発展した。また、ビザンツやイスラムから学問が流
 入し、西ヨーロッパでの学術研究が盛んになった。
 
  十字軍は合計7回行われている。1096年から99年にかけて行われた第1回十
 字軍は、イェルサレムを奪回して( 4 )王国などの国家をを建国し、目的
 は達せられた。この際、ヨハネ騎士団やテンプル騎士団が結成された。
 
  第2回目の十字軍は神聖ローマ皇帝とフランス王の内紛によって失敗に終
 わった。第3回の十字軍は最大の規模で行われ、イギリス王( 5 )、フラ
 ンス王フィリップ2世、ドイツ皇帝フリードリヒ1世が参加し、帝王十字軍と
 も言われた。結果的に途中で分裂してしまうが、リチャード1世はアイユーブ
 朝の( 6 )と戦い、聖地回復には失敗するもののサラディンとの和睦でキ
 リスト教徒の聖地巡礼が保障された。
 
  続く第4回の十字軍は教皇( 7 )の提唱で行われたが、ヴェネツィア商
 人の誘導によって( 8 )を占領するなど、目的を外れて行動した。これ対
 して教皇は参加者を破門したが、コンスタンティノープルには( 9 )が建
 設され、これ以後ヴェネツィアが地中海貿易を独占した。コンスタンティノー
 プルを追われたビザンツ勢力は小アジアに移ってニケーア帝国を建国し、ビザ
 ンツ帝国は一時中断した。
 
  第5回十字軍は外交手段によってイェルサレムの奪回に一時成功した。第
 6回はフランス王( 10 )がエジプトを攻撃し、逆に捕虜となってしまっ
 た。また、第7回は同じく( 10 )がチュニスを攻撃したが、王は死んでし
 まい、兵士は帰還した。1291年、キリスト教の地中海東岸の最後の拠点であっ
 た( 11 )が陥落し、200年にのぼる十字軍は聖地を奪い返されて失敗に終
 わった。
 
 
 解答
 1:レコンキスタ   2:ウルバヌス2世
 3:東方貿易(レヴァント貿易)   4:イェルサレム
 5:リチャード1世   6:サラディン   7:インノケンティウス3世
 8:コンスタンティノープル   9:ラテン帝国   10:ルイ9世
 11:アッコン
 
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 3一問一答
 
 1:十字軍の派遣が決定された公会議は何か。
 2:第4回十字軍が聖地に赴かなかったのは、何者の誘導によるものか。
 
 
 解答
 1:クレルモン公会議
 2:ヴェネツィア商人
 
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