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 世界史猛特訓  第 133 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
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 1本文
 
 ヨーロッパ
 
  第二次世界大戦後のヨーロッパでは、旧ドイツ占領地域のうち西欧や北欧で
 は戦争前の政治体制にもどり、復興を目指した。イギリスでは1945年7月の選
 挙で労働党が勝利し、アトリーが首相となった。フランスはド=ゴールによっ
 て臨時政府が組織された後、第四共和政が正式発足した。イタリアは王政から
 共和政に移行した。
 
  一方、旧ドイツ占領地のうちソ連に解放された東欧諸国では、ソ連の後押し
 を受けた共産党を中核とした人民民主主義政権が誕生した。人民民主主義政権
 は土地改革や主要産業の国有化といった社会主義政策を展開した。さらに、イ
 タリアやフランスといった西欧諸国でも、戦争直後の混乱のなかで左翼勢力の
 伸張が目立った。ギリシアは王政復古の後、共産党の武装反乱によって内戦状
 態に陥った。
 
  1946年3月、チャーチルはアメリカのフルトンでの演説で「バルト海のステ
 ッテンからアドリア海のトリエステにかけて、鉄のカーテンが降ろされてい
 る」と表現し、社会主義国の閉鎖性とその脅威を訴えた。
 
  こうした状況のなか、アメリカはソ連の勢力伸張を警戒し、1947年3月、ト
 ルーマン宣言を発して共産主義に対する封じ込め政策(トルーマン=ドクトリ
 ン)を宣言し、議会もこれを承認した。その内容は、ギリシアとトルコへの経
 済援助を通じて反共勢力を支援することにあった。さらに同年6月、アメリカ
 国務長官マーシャルはマーシャル=プラン(欧州経済復興援助計画)を発表
 し、アメリカの援助による西欧経済の復興を目指した。これ以外にも対外援助
 の計画が存在し、いずれもアメリカの経済支援によってその地域の共産化を防
 ぎ、対ソ連の防壁とするものであった。
 
  西欧諸国はアメリカのマーシャル=プランの受け入れを表明し、OEEC
 (ヨーロッパ経済協力機構)を援助の受け皿機関として設立して、アメリカの
 援助のもとでヨーロッパ経済は復興を遂げた。OEECはヨーロッパ復興とい
 う当初の目標を遂げた後にOECDへと改組し、現在にいたっている。
 
  こうしたアメリカの動きに反発したソ連と東欧諸国は、1947年10月、東欧諸
 国の共産党とともにコミンフォルムを結成して、東欧諸国との政治的結束の強
 化を目指した。しかし、1948年にユーゴスラヴィアは除名された。1949年
 1月、ソ連と東欧の6カ国は、自給自足的な経済協力を目指すコメコンが結成
 された。こうしたソ連の動きは、衛星国化していた東欧の結束を固めることで
 西側陣営と対抗することを目的としていた。
 
  1948年2月、チェコスロヴァキアではマーシャルプランの受け入れをめぐる
 政権内部の対立から政変が起こり、共産党がクーデターによって政権を掌握し
 た。これによってギリシアを除く東欧諸国はすべて社会主義勢力が政権を握る
 こととなった。
 
  1948年3月、チェコスロヴァキアの政変を警戒してイギリス・フランス・ベ
 ネルクス3国がブリュッセル条約を締結し、西ヨーロッパ連合を結成した。以
 後、東西両陣営の対立は軍事同盟結成へと進んだ。1949年、西欧連合を母体と
 して北大西洋条約機構(NATO)が結成され、アメリカを含む軍事同盟が成
 立した。これに対してソ連は1955年にワルシャワ条約機構を結成して、東側陣
 営の軍事的共同防衛機構を構築した。
 
  1949年、ソ連が原爆保有を宣言してアメリカによる核の独占が崩れ、核兵器
 を持つ両陣営がにらみあう状況が生まれた。さらに、中国での国共内戦に共産
 党が勝利して中華人民共和国の成立したために、東アジアでも東西対立が激化
 し、1950年6月、朝鮮戦争が勃発した。
 
 
 ドイツ
 
  東西対立が激化するなか、分割占領されていたドイツは分裂への道を歩ん
 だ。1948年6月、ソ連に無断で西側占領地での通貨改革が断行された。ソ連は
 これをポツダム協定違反として反発し、東ドイツの混乱をおそれて西ベルリン
 に通じる陸上交通を遮断した。ベルリン封鎖である。西側諸国は生活物資の空
 中輸送で対抗した。ベルリン封鎖は翌年5月まで続いた後、解除された。
 
  その後、西ドイツではドイツ連邦共和国基本法が制定され、1949年9月にア
 デナウアーを初代首相とするドイツ連邦共和国が発足した。1952年、西ドイツ
 は単独でアメリカ・イギリス・フランスと講和を結び、1954年のパリ協定では
 西ドイツの主権回復と再軍備、NATO加盟が決定された。翌1955年、西ドイ
 ツはNATOに正式加盟し、西側陣営へと組み込まれた。一方東ドイツでは、
 同年10月にグローデヴォールを首相とするドイツ民主共和国が発足して東側陣
 営に属し、東西ドイツの分裂が確定的となった。
 
  東西ドイツ分裂後も、西ベルリンを経由して西側に亡命する東側の人々が後
 を絶たなかった。1961年、東ドイツはベルリンの西ドイツ領域との境界にベル
 リンの壁を建設し、往来を遮断した。
 
  その後、西ドイツ首相のブラントが東方外交に尽力し、1972年の東西ドイツ
 基本条約で相互の国を承認し、翌年、両国は国連に同時加盟をはたした。1990
 年、東ドイツが西ドイツに編入される形で、東西両ドイツの統一が成った。
 
 
 
 *************************************************************
 2カッコ抜き
 
 ヨーロッパ
 
  第二次世界大戦後のヨーロッパでは、旧ドイツ占領地域のうち西欧や北欧で
 は戦争前の政治体制にもどり、復興を目指した。イギリスでは1945年7月の選
 挙で労働党が勝利し、( 1 )が首相となった。フランスは( 2 )に
 よって臨時政府が組織された後、( 3 )が正式発足した。イタリアは王政
 から共和政に移行した。
 
  一方、旧ドイツ占領地のうちソ連に解放された東欧諸国では、ソ連の後押し
 を受けた共産党を中核とした( 4 )政権が誕生した。人民民主主義政権は
 土地改革や主要産業の国有化といった社会主義政策を展開した。さらに、イタ
 リアやフランスといった西欧諸国でも、戦争直後の混乱のなかで左翼勢力の伸
 張が目立った。ギリシアは王政復古の後、共産党の武装反乱によって内戦状態
 に陥った。
 
  1946年3月、チャーチルはアメリカのフルトンでの演説で「バルト海のステ
 ッテンからアドリア海のトリエステにかけて、鉄のカーテンが降ろされてい
 る」と表現し、社会主義国の閉鎖性とその脅威を訴えた。
 
  こうした状況のなか、アメリカはソ連の勢力伸張を警戒し、1947年3月、ト
 ルーマン宣言を発して共産主義に対する( 5 )を宣言し、議会もこれを承
 認した。その内容は、ギリシアとトルコへの経済援助を通じて反共勢力を支援
 することにあった。さらに同年6月、アメリカ国務長官( 6 )は( 6 )
 =プラン(欧州経済復興援助計画)を発表し、アメリカの援助による西欧経済
 の復興を目指した。これ以外にも対外援助の計画が存在し、いずれもアメリカ
 の経済支援によってその地域の共産化を防ぎ、対ソ連の防壁とするものであっ
 た。
 
  西欧諸国はアメリカの( 6 )=プランの受け入れを表明し、OEEC
 (ヨーロッパ経済協力機構)を援助の受け皿機関として設立して、アメリカの
 援助のもとでヨーロッパ経済は復興を遂げた。OEECはヨーロッパ復興とい
 う当初の目標を遂げた後にOECDへと改組し、現在にいたっている。
 
  こうしたアメリカの動きに反発したソ連と東欧諸国は、1947年10月、東欧諸
 国の共産党とともに( 7 )を結成して、東欧諸国との政治的結束の強化を
 目指した。しかし、1948年にユーゴスラヴィアは除名された。1949年1月、ソ
 連と東欧の6カ国は、自給自足的な経済協力を目指す( 8 )が結成され
 た。こうしたソ連の動きは、衛星国化していた東欧の結束を固めることで西側
 陣営と対抗することを目的としていた。
 
  1948年2月、チェコスロヴァキアではマーシャルプランの受け入れをめぐる
 政権内部の対立から政変が起こり、共産党がクーデターによって政権を掌握し
 た。これによってギリシアを除く東欧諸国はすべて社会主義勢力が政権を握る
 こととなった。
 
  1948年3月、チェコスロヴァキアの政変を警戒してイギリス・フランス・ベ
 ネルクス3国が( 9 )条約を締結し、( 10 )を結成した。以後、東西
 両陣営の対立は軍事同盟結成へと進んだ。1949年、西欧連合を母体として北大
 西洋条約機構(NATO)が結成され、アメリカを含む軍事同盟が成立した。
 これに対してソ連は1955年に( 11 )を結成して、東側陣営の軍事的共同防
 衛機構を構築した。
 
  1949年、ソ連が原爆保有を宣言してアメリカによる核の独占が崩れ、核兵器
 を持つ両陣営がにらみあう状況が生まれた。さらに、中国での国共内戦に共産
 党が勝利して中華人民共和国の成立したために、東アジアでも東西対立が激化
 し、1950年6月、朝鮮戦争が勃発した。
 
 
 ドイツ
 
  東西対立が激化するなか、分割占領されていたドイツは分裂への道を歩ん
 だ。1948年6月、ソ連に無断で西側占領地での通貨改革が断行された。ソ連は
 これをポツダム協定違反として反発し、東ドイツの混乱をおそれて西ベルリン
 に通じる陸上交通を遮断した。( 12 )である。西側諸国は生活物資の空中
 輸送で対抗した。ベルリン封鎖は翌年5月まで続いた後、解除された。
 
  その後、西ドイツではドイツ連邦共和国基本法が制定され、1949年9月に
 ( 13 )を初代首相とするドイツ連邦共和国が発足した。1952年、西ドイツ
 は単独でアメリカ・イギリス・フランスと講和を結び、1954年のパリ協定では
 西ドイツの主権回復と再軍備、NATO加盟が決定された。翌1955年、西ドイ
 ツはNATOに正式加盟し、西側陣営へと組み込まれた。一方東ドイツでは、
 同年10月にグローデヴォールを首相とするドイツ民主共和国が発足して東側陣
 営に属し、東西ドイツの分裂が確定的となった。
 
  東西ドイツ分裂後も、西ベルリンを経由して西側に亡命する東側の人々が後
 を絶たなかった。1961年、東ドイツはベルリンの西ドイツ領域との境界にベル
 リンの壁を建設し、往来を遮断した。
 
  その後、西ドイツ首相の( 14 )が東方外交に尽力し、1972年の東西ドイ
 ツ基本条約で相互の国を承認し、翌年、両国は国連に同時加盟をはたした。19
 90年、東ドイツが西ドイツに編入される形で、東西両ドイツの統一が成った。
 
 
 
 解答
 1:アトリー   2:ド=ゴール   3:第四共和政
 4:人民民主主義   5:封じ込め政策   6:マーシャル
 7:コミンフォルム   8:コメコン   9:ブリュッセル
 10:西ヨーロッパ連合   11:ワルシャワ条約機構   12:ベルリン封鎖
 13:アデナウアー   14:ブラント
 
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 3一問一答
 
 1:NATOの日本語名称は何か
 2:西ドイツの正式名称は何か
 3:東ドイツの正式名称は何か
 
 解答
 1:北大西洋条約機構
 2:ドイツ連邦共和国
 3:ドイツ民主共和国
 
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