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 世界史猛特訓  第 129 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
 メールマガジンについての詳細情報は
 http://www.sekaishi.com/support/
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 ************************************************************* 
 1本文
 
 第二次世界大戦(前期・欧州)
 
  ヴェルサイユ体制を破壊したドイツは、生活圏の建設を掲げて東ヨーロッパ
 の支配を目指し、侵略政策を展開した。これに対してイギリスやフランスは、
 侵略の矛先が東欧に向いていて自国への直接的な脅威が少なかったこともあ
 り、宥和政策をとってドイツの侵略活動を黙認した。しかし、イギリスやフラ
 ンスのこうした態度がファシズム勢力を増長させる結果となり、第二次世界大
 戦へとつながった。
 
  1938年3月、ドイツはオーストリア国内での親ナチス政党のドイツとの併合
 運動を利用し、オーストリアを併合してドイツ民族の統合をはかった。さら
 に、同年9月、チェコに対してドイツ民族居住者が多かったズデーテン地方の
 割譲を要求した。チェコはこの要求を拒否し、ソ連やフランスの支援を期待し
 た。しかし、9月末のミュンヘン会談でイギリスとフランスはドイツとの正面
 衝突を避け、ドイツの要求を容認する内容のミュンヘン協定を結んだ。ミュン
 ヘン会談にはイギリスのネヴィル=チェンバレン、フランスのダラディエ、イ
 タリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラーが参加していた。しかし、1939年
 3月、ドイツはミュンヘン協定を無視してチェコスロヴァキアを解体し、西半
 分の地方を併合、東半分を保護国化した。1939年4月、イタリアがアルバニア
 を併合した。5月、ドイツはポーランドに対し、飛び地の東プロイセンとの交
 通を確保するためにポーランド回廊での鉄道と道路の建設を要求し、ヴェルサ
 イユ条約で国際連盟管理とされたダンチヒの返還もせまった。
 
  ドイツのこうした動きに対し、イギリスとフランスはそれまでの宥和政策か
 ら強硬姿勢に転じ、軍備拡張をすすめて対独戦に備えた。一方、ソ連に対して
 はそれまでの警戒姿勢を改めて接近をはかるが、軍事同盟の交渉は緩慢であっ
 た。1939年8月、欧州戦での二面作戦を回避して英仏に圧力をかけたいドイツ
 と、遅々として進まない交渉のためにイギリスとフランスに不信感を持ってい
 たソ連とが、独ソ不可侵条約を締結した。ドイツ外相リッペントロップとソ連
 外相モロトフとの間で結ばれたこの条約には、独ソによるポーランド分割とバ
 ルト三国に関する秘密協定が盛り込まれた。ドイツとソ連の提携は予想外で
 あったため、衝撃を与えた。
 
  1939年9月1日、ドイツ軍はポーランドに侵攻し、空軍と戦車による電撃戦
 でポーランドの西半分を制圧した。これに対し、9月3日にイギリスとフラン
 スはドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が始まった。しかし、イギリスとフ
 ランスは具体的な軍事行動には至らなかった。9月17日、ソ連が東側からポー
 ランドに侵攻し、9月27日にポーランドは降伏した。こうして、ポーランドは
 ドイツとソ連に分割された。さらに11月、ソ連はフィンランドに侵攻してソ
 連・フィンランド戦争を起こし、国境地帯を奪った。これにより、ソ連は国際
 連盟を除名された。その後、ソ連はルーマニアからベッサラビアを奪い、バル
 ト三国を併合した。
 
  第二次世界大戦開始直後、アメリカは中立法を制定して不干渉の姿勢を示し
 た。しかし、大統領ローズヴェルトは反ドイツ勢力の支援に動き、フランス降
 伏後の1941年3月、武器貸与法を制定してイギリスに軍需品を供給した。同年
 8月、大西洋憲章を発表してアメリカの提唱する戦後の枠組みを明らかとし
 た。12月、日本の真珠湾攻撃を発端に日米戦が開戦すると、アメリカは正式に
 ドイツとイタリアにも宣戦布告して第二次世界大戦に加わった。
 
  大戦開戦後、ドイツはポーランドに続いてデンマークとノルウェーに侵攻
 し、親ドイツ政権を樹立した。1940年5月、中立国だったオランダとベルギー
 を通過する北ルートと、ドイツとフランスとの国境線を直接突破する東ルート
 との2方面からフランスに侵攻し、6月にはパリを占領した。これによりフラ
 ンスは降伏した。降伏後、フランス北部はドイツの占領地となり、フランス南
 部にはドイツに協力的なヴィシー政府が成立した。同じく6月、イタリアが参
 戦した。
 
  フランス降伏より前の1940年5月、イギリスではチャーチル内閣が成立して
 徹底抗戦を宣言し、ドイツ空軍のイギリス本土空襲に耐えてドイツ軍の本土上
 陸を阻止した。イギリスはアメリカに支援を要請し、戦争を物量戦に持ち込む
 ことでドイツへの勝利を狙った。一方、イギリスに亡命したフランスのド=
 ゴールはロンドンで自由フランス亡命政府を樹立し、レジスタンスなどによる
 徹底抗戦を呼びかけた。
 
  1941年春、ドイツはイタリアと共同してバルカン半島に侵攻し、この地域を
 制圧した。このためソ連との関係が悪化した。1941年4月、日ソ中立条約を結
 んだソ連は日本との衝突の心配がなくなり、独ソ戦に備えた。6月、ドイツは
 ウクライナの穀物やカフカスの石油の獲得をめざして不可侵条約を破棄し、ソ
 連に侵攻した。ここに、独ソ戦が開始された。開戦時のソ連軍はスターリンに
 よる大粛清のために有能な将校を失っており、戦争準備が十分とは言えなかっ
 た。ドイツ軍は機械部隊によりウクライナの大半を占領、レニングラードを包
 囲してモスクワに迫った。これに対してソ連はパルチザン闘争などの抵抗をみ
 せ、戦線は膠着状態になった。
 
  植民地を持てる国と持たざる国との間での帝国主義戦争として始まった第二
 次世界大戦は、独ソ戦の開始とそれに続くアメリカの参戦によって、ファシズ
 ムに対する戦いという要素を強めた。1941年8月、アメリカ大統領ローズヴェ
 ルト大統領とイギリス首相チャーチルは大西洋上で会談し、ナチス打倒を掲げ
 て戦争目的を明確にするとともに、国際連合を含む戦後の平和構想を打ち立て
 て大西洋憲章を発表した。さらに、アメリカはソ連にも武器貸与法を適用して
 大量の物資を供給し、イギリスは英ソ軍事協定を締結して協力関係を結んだ。
 一方、ソ連はコミンテルンを解散してイギリスやアメリカといっそうの協調を
 はかり、ドイツの打倒を目指した。
 
  ソ連と英米の協調はないと考えていたドイツの予想は裏切られ、ドイツは不
 利な情勢に追い込まれた。ドイツ占領下の地域では、厳しい抑圧と搾取が行わ
 れた。特にユダヤ人の絶滅を目指した人種政策は苛烈を極め、強制労働やアウ
 シュヴィッツに代表される強制収容所への収容、さらには大量虐殺が行われ
 た。これに対し、占領地では各地で民衆によるパルチザンが展開された。
 
 
 
 *************************************************************
 2カッコ抜き
 
 第二次世界大戦(前期・欧州)
 
  ヴェルサイユ体制を破壊したドイツは、生活圏の建設を掲げて東ヨーロッパ
 の支配を目指し、侵略政策を展開した。これに対してイギリスやフランスは、
 侵略の矛先が東欧に向いていて自国への直接的な脅威が少なかったこともあ
 り、宥和政策をとってドイツの侵略活動を黙認した。しかし、イギリスやフラ
 ンスのこうした態度がファシズム勢力を増長させる結果となり、第二次世界大
 戦へとつながった。
 
  1938年3月、ドイツはオーストリア国内での親ナチス政党のドイツとの併合
 運動を利用し、オーストリアを併合してドイツ民族の統合をはかった。さら
 に、同年9月、チェコに対してドイツ民族居住者が多かった( 1 )地方の
 割譲を要求した。チェコはこの要求を拒否し、ソ連やフランスの支援を期待し
 た。しかし、9月末の( 2 )会談でイギリスとフランスはドイツとの正面
 衝突を避け、ドイツの要求を容認する内容のミュンヘン協定を結んだ。
 ( 2 )会談にはイギリスの( 3 )、フランスのダラディエ、イタリア
 のムッソリーニ、ドイツのヒトラーが参加していた。しかし、1939年3月、ド
 イツは( 2 )協定を無視してチェコスロヴァキアを解体し、西半分の地方
 を併合、東半分を保護国化した。1939年4月、イタリアがアルバニアを併合し
 た。5月、ドイツはポーランドに対し、飛び地の東プロイセンとの交通を確保
 するためにポーランド回廊での鉄道と道路の建設を要求し、ヴェルサイユ条約
 で国際連盟管理とされた( 4 )の返還もせまった。
 
  ドイツのこうした動きに対し、イギリスとフランスはそれまでの宥和政策か
 ら強硬姿勢に転じ、軍備拡張をすすめて対独戦に備えた。一方、ソ連に対して
 はそれまでの警戒姿勢を改めて接近をはかるが、軍事同盟の交渉は緩慢であっ
 た。1939年8月、欧州戦での二面作戦を回避して英仏に圧力をかけたいドイツ
 と、遅々として進まない交渉のためにイギリスとフランスに不信感を持ってい
 たソ連とが、( 5 )を締結した。ドイツ外相リッペントロップとソ連外相
 モロトフとの間で結ばれたこの条約には、独ソによるポーランド分割とバルト
 三国に関する秘密協定が盛り込まれた。ドイツとソ連の提携は予想外であった
 ため、衝撃を与えた。
 
  1939年9月1日、ドイツ軍は( 6 )に侵攻し、空軍と戦車による電撃戦
 で( 6 )の西半分を制圧した。これに対し、9月3日にイギリスとフラン
 スはドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が始まった。しかし、イギリスとフ
 ランスは具体的な軍事行動には至らなかった。9月17日、ソ連が東側から
 ( 6 )に侵攻し、9月27日にポーランドは降伏した。こうして、( 6 )
 はドイツとソ連に分割された。さらに11月、ソ連は( 7 )に侵攻してソ
 連・( 7 )戦争を起こし、国境地帯を奪った。これにより、ソ連は国際連
 盟を除名された。その後、ソ連はルーマニアからベッサラビアを奪い、バルト
 三国を併合した。
 
  第二次世界大戦開始直後、アメリカは中立法を制定して不干渉の姿勢を示し
 た。しかし、大統領ローズヴェルトは反ドイツ勢力の支援に動き、フランス降
 伏後の1941年3月、武器貸与法を制定してイギリスに軍需品を供給した。同年
 8月、( 8 )を発表してアメリカの提唱する戦後の枠組みを明らかとし
 た。12月、日本の真珠湾攻撃を発端に日米戦が開戦すると、アメリカは正式に
 ドイツとイタリアにも宣戦布告して第二次世界大戦に加わった。
 
  大戦開戦後、ドイツはポーランドに続いてデンマークとノルウェーに侵攻
 し、親ドイツ政権を樹立した。1940年5月、中立国だったオランダとベルギー
 を通過する北ルートと、ドイツとフランスとの国境線を直接突破する東ルート
 との2方面からフランスに侵攻し、6月にはパリを占領した。これによりフラ
 ンスは降伏した。降伏後、フランス北部はドイツの占領地となり、フランス南
 部にはドイツに協力的な( 9 )政府が成立した。同じく6月、イタリアが
 参戦した。
 
  フランス降伏より前の1940年5月、イギリスでは( 10 )内閣が成立して
 徹底抗戦を宣言し、ドイツ空軍のイギリス本土空襲に耐えてドイツ軍の本土上
 陸を阻止した。イギリスはアメリカに支援を要請し、戦争を物量戦に持ち込む
 ことでドイツへの勝利を狙った。一方、イギリスに亡命したフランスのド=
 ゴールはロンドンで自由フランス亡命政府を樹立し、レジスタンスなどによる
 徹底抗戦を呼びかけた。
 
  1941年春、ドイツはイタリアと共同してバルカン半島に侵攻し、この地域を
 制圧した。このためソ連との関係が悪化した。1941年4月、( 11 )を結ん
 だソ連は日本との衝突の心配がなくなり、独ソ戦に備えた。6月、ドイツはウ
 クライナの穀物やカフカスの石油の獲得をめざして不可侵条約を破棄し、ソ連
 に侵攻した。ここに、独ソ戦が開始された。開戦時のソ連軍はスターリンによ
 る大粛清のために有能な将校を失っており、戦争準備が十分とは言えなかっ
 た。ドイツ軍は機械部隊によりウクライナの大半を占領、レニングラードを包
 囲してモスクワに迫った。これに対してソ連はパルチザン闘争などの抵抗をみ
 せ、戦線は膠着状態になった。
 
  植民地を持てる国と持たざる国との間での帝国主義戦争として始まった第二
 次世界大戦は、独ソ戦の開始とそれに続くアメリカの参戦によって、ファシズ
 ムに対する戦いという要素を強めた。1941年8月、アメリカ大統領ローズヴェ
 ルト大統領とイギリス首相チャーチルは大西洋上で会談し、ナチス打倒を掲げ
 て戦争目的を明確にするとともに、国際連合を含む戦後の平和構想を打ち立て
 て( 8 )を発表した。さらに、アメリカはソ連にも武器貸与法を適用して
 大量の物資を供給し、イギリスは英ソ軍事協定を締結して協力関係を結んだ。
 一方、ソ連はコミンテルンを解散してイギリスやアメリカといっそうの協調を
 はかり、ドイツの打倒を目指した。
 
  ソ連と英米の協調はないと考えていたドイツの予想は裏切られ、ドイツは不
 利な情勢に追い込まれた。ドイツ占領下の地域では、厳しい抑圧と搾取が行わ
 れた。特にユダヤ人の絶滅を目指した人種政策は苛烈を極め、強制労働やアウ
 シュヴィッツに代表される強制収容所への収容、さらには大量虐殺が行われ
 た。これに対し、占領地では各地で民衆によるパルチザンが展開された。
 
 
 解答
 1:ズデーテン   2:ミュンヘン   3:ネヴィル=チェンバレン
 4:ダンチヒ   5:独ソ不可侵条約   6:ポーランド
 7:フィンランド   8:大西洋憲章   9:ヴィシー
 10:チャーチル   11:日ソ中立条約
 
 
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 3一問一答
 
 1:大西洋会談で会談したアメリカ大統領とイギリス首相は誰か。
 
 
 解答
 1:ローズヴェルト チャーチル
 
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