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 世界史猛特訓  第 127 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
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 ************************************************************* 
 1本文
 
 イタリア
 
  1922年、ローマ進軍によって政権を獲得したファシスト党は、1928年にファ
 シズム大評議会を国家の最高機関として独裁体制を確立し、以後市民の権利は
 制限を受けるようになった。対外的には、1924年のフィウメ奪回や1926年のア
 ルバニア保護国化に続き、1929年のラテラン条約による教皇庁との和解などの
 成果を上げた。
 
  イタリアにも世界恐慌の影響は波及し、経済状態の悪化から工業生産の停滞
 と失業者の増加が問題となった。これに対してファシスト政権は全体主義的な
 体制を取ることで乗り切ろうとした。
 
  1935年、ローマ協定によりフランスの支持を取り付けたイタリアはエチオピ
 アに侵入し、1936年にエチオピアを併合した。これに対して国際連盟はイタリ
 アに対する経済制裁を決議するが、石油が制裁対象から外されたことや連盟未
 加盟のアメリカは制裁の外にあったことから、実効はあがらなかった。1937
 年、イタリアは国際連盟を脱退し、国際連盟の権威は失墜した。
 
 
 ドイツ
 
  ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)は、1919年に結成されたドイツ労働
 者党が1920年に改称して成立した。1921年にヒトラーがナチスの党首となる
 が、1923年のミュンヘン一揆に失敗したヒトラーは投獄された。獄中生活の中
 のヒトラーは『わが闘争』を口述筆記によって著述した。ナチスはドイツ民族
 の優秀性を説き、ヴェルサイユ条約の破棄やユダヤ人排斥、反共産主義などを
 掲げ、一方で社会主義的な政策も取り入れて、巧みな宣伝と大衆行動で勢力伸
 張を図った。しかし、ワイマール共和国の安定化のなか、極端な思想を掲げる
 ナチスへの支持は伸び悩んだ。
 
  その後、世界恐慌の波及によりドイツの経済が崩壊し失業者が増大した。こ
 うした状況に対し、ヒンデンブルク大統領が指名した内閣は保守系の少数与党
 内閣は有効な対策をうてず、国民の支持は共産党とナチスという両極端な勢力
 に分かれた。1932年の選挙ではナチスが第一党に躍進する一方で共産党も勢力
 を伸ばし、共産党の台頭をおそれた資本家や中産階級はナチスの支持にまわっ
 た。1933年1月、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことでナ
 チス政権が成立した。国会議事堂放火事件を口実に共産党を弾圧し、1933年の
 選挙でナチスは議席の過半数を占めた。同年3月、議会で全権委任法が制定さ
 れて政府に4年間の独裁権が付与され、憲法の停止やナチス以外の政党の解
 散、労働組合活動の禁止など一党独裁体制が確立された。
 
  1934年、ヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは大統領を兼務する
 総統に就任し、第三帝国の国家元首として独裁を完成した。ヒトラーの独裁の
 もと、親衛隊や秘密警察などによる暴力的な国家統制が行われ、あらゆる反対
 者やユダヤ人が迫害されるなど、画一的な全体主義国家の建設が進められた。
 1938年11月の「水晶の夜」にはユダヤ人への大量暴行が行われ、以後も迫害が
 続いた。その一方、恐慌の波及で疲弊した経済を立て直すために大規模な公共
 事業を実施し、4カ年計画を策定して経済の統制とともに軍備の増強をはかっ
 た。
 
  ヒトラーの外交は、領土の回復による民族の統合を目標とし、1933年のジュ
 ネーヴ軍縮会議で軍備平等の主張が退けられたために国際連盟を脱退した。1935
 年1月、ヴェルサイユ条約の規定に従って行われたザールの住民投票の結果を
 うけて、ザール地方を併合した。1935年3月、ヒトラーは再軍備宣言をして徴
 兵制の実施と軍の大増強を行った。これに対し、イギリス・フランス・イタリ
 アはストレーザ会議を開いて対ドイツ連合を結成し、さらにフランスはソ連と
 相互援助条約を結んでドイツに備えた。しかし一方、イギリスは英独海軍協定
 を結ぶなど宥和政策をとり、実質的に再軍備を容認した。1936年、ドイツはロ
 カルノ条約を破棄してラインラントへの進駐を強行した。これに対してフラン
 スは対抗しようとしたが、イギリスやイタリアが反対したために実現しなかっ
 た。一連のドイツの動きに対してヨーロッパ諸国は協調を欠き、有効な手だて
 を講ずることはできなかった。
 
 
 ソ連
 
  戦時共産主義で生産性が悪化したソ連は、ネップ(新経済政策)をとって経
 済状態を回復させた。しかし、それは新たな貧富の差を生んだため、計画経済
 による経済発展を目指し、社会主義の建設にむけて政策を転換した。1928年、
 重工業の発展と農業の集団化を目指した第1次五カ年計画が開始された。この
 結果、世界恐慌の影響もほとんど受けずに経済は順調に発展した。しかし、重
 工業に偏重した経済政策や農業の強制的な集団化は、多くの餓死者をうむなど
 国民に犠牲を強いる結果にもなった。1933年、軽工業の発展と農業の機械化に
 重点をおいた第2次五カ年計画が開始された。第2次五カ年計画では、第1次
 五カ年計画のひずみを修正し、軽工業の発展による国民生活の向上がはかられ
 た。この結果、工業生産は世界有数となり、農業生産も完全に集団化されるな
 ど、社会主義経済の基礎が完成した。1938年、ドイツ戦に備えて軍需工業の育
 成と内陸部での重工業建設を目標とした第3次五カ年計画が開始された。しか
 し、第二次世界大戦の勃発で中断された。
 
  経済が順調に発展したソ連では、スターリンによる粛清が本格化し、独裁が
 強化されて個人崇拝が強制された。1936年、スターリン憲法が制定された。
 
  ソ連は対外的には平和共存策をとり、フランスやポーランドなどと相互不可
 侵条約を結び、アメリカとの国交も回復した。1934年には国際連盟に加盟し、
 1935年、フランスと相互援助条約を結んだ。1930年代のファシズム台頭に対し
 ては反ファシズム勢力の結集を提唱し、1935年のコミンテルン第7回大会では
 人民戦線の結成を呼びかけて、民主主義勢力との提携も目指した。
 
 
 スペイン内戦
 
  スペインでは、ブルボン家の王政下でポウリモ=デ=リベラの独裁が行わ
 れ、大地主や教会による封建的な社会体制が残存していた。ここにも世界恐慌
 が波及して経済は混乱し、1931年にスペイン革命が起こって王政は終わった。
 しかし、革命後の政局は混乱し、政党間の対立が絶えなかった。
 
  1936年、左派政党が結集してアサーニャを首班とする人民戦線内閣が成立
 し、土地改革やファシスト政党の解散といった政策を推進した。これに対し
 て、モロッコでフランコ率いる反政府軍が蜂起して本土上陸し、スペインは内
 戦状態になった。この内戦に対し、人民戦線内閣はソ連からの武器援助や世界
 各地の社会主義者の支援を受け、反政府軍は国内の保守勢力に支持された。さ
 らに、ドイツとイタリアが反政府軍を支援して大量の兵器と兵員を供給したこ
 とから、ドイツ空軍によるゲルニカ空爆やバルセロナでの市街戦など内戦は激
 化した。その後、人民戦線内閣側の派内対立もあって反政府軍が次第に優勢と
 なり、1939年にマドリードが陥落してフランコの独裁体制が成立した。こうし
 て、スペインもファシズム体制へと移行し、ヨーロッパのファシズム勢力は力
 を増した。スペイン内戦に対してイギリスとフランスは中立を保って宥和政策
 を維持し、フランコ政権の承認も行った。
 
 
 *************************************************************
 2カッコ抜き
 
 イタリア
  1922年、ローマ進軍によって政権を獲得したファシスト党は、1928年に
 ( 1 )を国家の最高機関として独裁体制を確立し、以後市民の権利は制限
 を受けるようになった。対外的には、1924年のフィウメ奪回や1926年のアルバ
 ニア保護国化に続き、1929年の( 2 )条約による教皇庁との和解などの成
 果を上げた。
 
  イタリアにも世界恐慌の影響は波及し、経済状態の悪化から工業生産の停滞
 と失業者の増加が問題となった。これに対してファシスト政権は全体主義的な
 体制を取ることで乗り切ろうとした。
 
  1935年、ローマ協定によりフランスの支持を取り付けたイタリアは( 3 )
 に侵入し、1936年にエチオピアを併合した。これに対して国際連盟はイタリア
 に対する経済制裁を決議するが、石油が制裁対象から外されたことや連盟未加
 盟のアメリカは制裁の外にあったことから、実効はあがらなかった。1937年、
 イタリアは国際連盟を脱退し、国際連盟の権威は失墜した。
 
 
 ドイツ
 
  ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)は、1919年に結成されたドイツ労働
 者党が1920年に改称して成立した。1921年にヒトラーがナチスの党首となる
 が、1923年の( 4 )に失敗したヒトラーは投獄された。獄中生活の中のヒ
 トラーは『( 5 )』を口述筆記によって著述した。ナチスはドイツ民族の
 優秀性を説き、ヴェルサイユ条約の破棄やユダヤ人排斥、反共産主義などを掲
 げ、一方で社会主義的な政策も取り入れて、巧みな宣伝と大衆行動で勢力伸張
 を図った。しかし、ワイマール共和国の安定化のなか、極端な思想を掲げるナ
 チスへの支持は伸び悩んだ。
 
  その後、世界恐慌の波及によりドイツの経済が崩壊し失業者が増大した。こ
 うした状況に対し、ヒンデンブルク大統領が指名した内閣は保守系の少数与党
 内閣は有効な対策をうてず、国民の支持は共産党とナチスという両極端な勢力
 に分かれた。1932年の選挙ではナチスが第一党に躍進する一方で共産党も勢力
 を伸ばし、共産党の台頭をおそれた資本家や中産階級はナチスの支持にまわっ
 た。1933年1月、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命したことでナ
 チス政権が成立した。国会議事堂放火事件を口実に共産党を弾圧し、1933年の
 選挙でナチスは議席の過半数を占めた。同年3月、議会で( 6 )法が制定
 されて政府に4年間の独裁権が付与され、憲法の停止やナチス以外の政党の解
 散、労働組合活動の禁止など一党独裁体制が確立された。
 
  1934年、ヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは大統領を兼務する
 総統に就任し、第三帝国の国家元首として独裁を完成した。ヒトラーの独裁の
 もと、親衛隊や秘密警察などによる暴力的な国家統制が行われ、あらゆる反対
 者やユダヤ人が迫害されるなど、画一的な全体主義国家の建設が進められた。
 1938年11月の「水晶の夜」にはユダヤ人への大量暴行が行われ、以後も迫害が
 続いた。その一方、恐慌の波及で疲弊した経済を立て直すために大規模な公共
 事業を実施し、4カ年計画を策定して経済の統制とともに軍備の増強をはかっ
 た。
 
  ヒトラーの外交は、領土の回復による民族の統合を目標とし、1933年のジュ
 ネーヴ軍縮会議で軍備平等の主張が退けられたために国際連盟を脱退した。1935
 年1月、ヴェルサイユ条約の規定に従って行われた( 7 )の住民投票の結
 果をうけて、( 7 )地方を併合した。1935年3月、ヒトラーは( 8 )
 をして徴兵制の実施と軍の大増強を行った。これに対し、イギリス・フラン
 ス・イタリアはストレーザ会議を開いて対ドイツ連合を結成し、さらにフラン
 スはソ連と相互援助条約を結んでドイツに備えた。しかし一方、イギリスは
 ( 9 )を結ぶなど宥和政策をとり、実質的に再軍備を容認した。1936年、
 ドイツは( 10 )条約を破棄してラインラントへの進駐を強行した。これに
 対してフランスは対抗しようとしたが、イギリスやイタリアが反対したために
 実現しなかった。一連のドイツの動きに対してヨーロッパ諸国は協調を欠き、
 有効な手だてを講ずることはできなかった。
 
 
 ソ連
 
  戦時共産主義で生産性が悪化したソ連は、ネップ(新経済政策)をとって経
 済状態を回復させた。しかし、それは新たな貧富の差を生んだため、計画経済
 による経済発展を目指し、社会主義の建設にむけて政策を転換した。1928年、
 重工業の発展と農業の集団化を目指した( 11 )が開始された。この結果、
 世界恐慌の影響もほとんど受けずに経済は順調に発展した。しかし、重工業に
 偏重した経済政策や農業の強制的な集団化は、多くの餓死者をうむなど国民に
 犠牲を強いる結果にもなった。1933年、軽工業の発展と農業の機械化に重点を
 おいた第2次五カ年計画が開始された。第2次五カ年計画では、第1次五カ年
 計画のひずみを修正し、軽工業の発展による国民生活の向上がはかられた。こ
 の結果、工業生産は世界有数となり、農業生産も完全に集団化されるなど、社
 会主義経済の基礎が完成した。1938年、ドイツ戦に備えて軍需工業の育成と内
 陸部での重工業建設を目標とした第3次五カ年計画が開始された。しかし、第
 二次世界大戦の勃発で中断された。
 
  経済が順調に発展したソ連では、( 12 )による粛清が本格化し、独裁が
 強化されて個人崇拝が強制された。1936年、( 12 )憲法が制定された。
 
  ソ連は対外的には平和共存策をとり、フランスやポーランドなどと相互不可
 侵条約を結び、アメリカとの国交も回復した。1934年には国際連盟に加盟し、
 1935年、フランスと相互援助条約を結んだ。1930年代のファシズム台頭に対し
 ては反ファシズム勢力の結集を提唱し、1935年のコミンテルン第7回大会では
 人民戦線の結成を呼びかけて、民主主義勢力との提携も目指した。
 
 
 スペイン内戦
 
  スペインでは、ブルボン家の王政下でポウリモ=デ=リベラの独裁が行わ
 れ、大地主や教会による封建的な社会体制が残存していた。ここにも世界恐慌
 が波及して経済は混乱し、1931年にスペイン革命が起こって王政は終わった。
 しかし、革命後の政局は混乱し、政党間の対立が絶えなかった。
 
  1936年、左派政党が結集してアサーニャを首班とする人民戦線内閣が成立
 し、土地改革やファシスト政党の解散といった政策を推進した。これに対し
 て、モロッコで( 13 )率いる反政府軍が蜂起して本土上陸し、スペインは
 内戦状態になった。この内戦に対し、人民戦線内閣はソ連からの武器援助や世
 界各地の社会主義者の支援を受け、反政府軍は国内の保守勢力に支持された。
 さらに、ドイツとイタリアが反政府軍を支援して大量の兵器と兵員を供給した
 ことから、ドイツ空軍によるゲルニカ空爆やバルセロナでの市街戦など内戦は
 激化した。その後、人民戦線内閣側の派内対立もあって反政府軍が次第に優勢
 となり、1939年にマドリードが陥落してフランコの独裁体制が成立した。こう
 して、スペインもファシズム体制へと移行し、ヨーロッパのファシズム勢力は
 力を増した。スペイン内戦に対してイギリスとフランスは中立を保って宥和政
 策を維持し、フランコ政権の承認も行った。
 
 
 
 解答
 1:ファシズム大評議会   2:ラテラン   3:エチオピア
 4:ミュンヘン一揆   5:わが闘争   6:全権委任   7:ザール
 8:再軍備宣言   9:英独海軍協定   10:ロカルノ
 11:第1次五カ年計画   12:スターリン   13:フランコ
 
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 3一問一答
 
 1:ナチスの正式名称は何か
 2:1936年、ドイツがロカルノ条約を破棄して進駐したのはどこか。
 3:スペイン内戦でドイツに空爆されたある都市を題材として描かれ、その都
   市名を題名としたピカソの絵は何か。
 
 解答
 1:国家社会主義ドイツ労働者党
 2:ラインラント
 3:ゲルニカ
 
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