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 世界史猛特訓  第 117 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
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 1本文
 
 第一次世界大戦
 
  1914年6月28日、サライェボを訪問中のオーストリア皇太子夫妻がセルビア
 人生年に暗殺された。サライェボ事件である。これに対してオーストリアはセ
 ルビアに最後通牒を突きつけ、ドイツの支持も得て7月28日にセルビアに対し
 て宣戦布告した。これに対して、ロシアはセルビア側に立って国内に総動員令
 を出して立場を明らかとするが、8月1日にドイツはロシアに宣戦、3日には
 フランスにも宣戦した。8月4日、ドイツは中立国であったベルギーを通過し
 てフランスへの攻撃を開始し、これに対してイギリスはドイツに宣戦した。こ
 うして、わずかな期間でヨーロッパの主要各国が参戦し、世界大戦が始まっ
 た。
 
  ドイツは、シュリーフェン=プランに従ってまずは戦力を西部に集中し、ベ
 ルギーを通過して北フランスに侵入した。ドイツはここでフランスの壊滅を目
 指したが、マルヌの会戦でフランスはドイツの進撃を阻止し、西部戦線は膠着
 状態となった。一方東部戦線では、ヒンデンブルク将軍の指揮によるドイツ軍
 がタンネンベルクの戦いでロシア軍を撃破し、ロシア領へと進撃した。しか
 し、1916年のユトランド沖の海戦で制海権をイギリスが握ると、ドイツは植民
 地との連絡を絶たれて海上封鎖状態となり、ドイツは潜水艦による攻撃を強め
 た。陸戦でも、西部戦線でヴェルダン要塞をめぐる攻防では決着が付かずに塹
 壕戦が続き、ソンムやイープルでの戦いも戦車や飛行機、毒ガスなどの登場に
 もかかわらず勝敗は決せず、膠着状態となった。
 
  戦争が降着する中、トルコやブルガリアがドイツ側で、日本やイタリアがフ
 ランス側で次々と参戦し、1917年にはアメリカも参戦して戦争の規模はますま
 す大きくなった。
 
  アメリカはモンロー主義の伝統もあり、第一次世界大戦初期は中立を守って
 いた。アメリカは交戦国との貿易で大きな利益を得ていたが、ヨーロッパに対
 して多額の債権を持ったために、回収の不安もあった。アメリカ船舶の被害も
 あって参戦すべきとの声が高まるなか、1817年2月にドイツが無制限潜水艦戦
 を開始すると中立国アメリカの船舶も標的となった。この結果、アメリカはモ
 ンロー主義による相互不干渉を転換して参戦した。
 
  第一次世界大戦は大規模で長期間に及んだため、各国は物量戦を強いられ、
 総動員態勢を敷いて総力戦を展開した。男性が徴兵されて戦場に送られたため
 に女性が職場に出るなど、総動員態勢は一般の市民にもおよび、戦争の影響は
 物資の欠乏や新兵器による攻撃といった点にもあらわれた。各国は挙国一致体
 制を樹立して戦争を乗り切ろうとし、イギリスではロイド=ジョージ内閣が、
 フランスではクレマンソー内閣が、それぞれ戦争の完遂を目指して反対勢力を
 押さえ込んだ。ドイツでは軍部による独裁が行われ、海上封鎖により物資が不
 足して困窮すると、統制がいっそう強化された。
 
  第一次世界大戦では帝国主義諸国間が正面から衝突したため、同盟国、協商
 国ともに戦争後の勢力分割についての秘密協定を結び、秘密外交が展開され
 た。特に協商国側は、イタリアの「未回収のイタリア」の回復や、ロシアのボ
 スフォラス・ダーダネルス海峡の支配権、フランスのアルザス・ロレーヌの回
 復、イギリス・フランス・ロシアのサイクス=ピコ協定による西アジアの分割
 などを取り決め、社会主義革命の起こったロシアを除いて戦後これに沿った調
 整が行われた。さらに、植民地や勢力圏とも自治や独立などの様々な協定によ
 り自陣営に引き入れた。特にイギリスは、西アジア地域でフサイン=マクマホ
 ン協定によりアラブ人の独立を支持する一方、バルフォア宣言でパレスチナに
 ユダヤ国家の建設を約束したが、実際にはサイクス=ピコ協定の内容に沿った
 領土分割が行われたため、内容の矛盾するフサイン=マクマホン協定とバルフ
 ォア宣言は無視された。これが現在に至る中東紛争の原因にもなった。
 
  この時期、アジアやアフリカも戦争の影響を受けた。ヨーロッパでの戦争が
 激しくなり、物量戦となると大量の物資や食料が植民地から徴発され、さらに
 兵士や労働者も動員されるようになった。こうしたなかで、植民地の本国支配
 は強化された。日本は、ヨーロッパの戦争中に中国での権益拡大を図り、1914
 年に日英同盟を根拠に宣戦、山東に出兵して青島を占領し、ドイツの利権を継
 承した。さらに、袁世凱の中国政府に対して広範な利権を要求する二十一カ条
 要求を突きつけて認めさせ、ドイツ領の太平洋諸島の北半分も占領した。
 
  ロシアでは、戦争の長期化のために国民生活は困窮を深めていた。こうした
 なか、1917年3月に三月革命が起こってロマノフ帝政は崩壊し、同年11月には
 十一月革命によって社会主義政権が成立した。社会主義政府は第一次世界大戦
 は帝国主義戦争であると位置づけ、外交文書の公表で秘密外交の内容を暴露
 し、平和に関する布告を発表して即時停戦を呼びかけた。この結果、1918年
 3月にブレスト=リトフスク条約でドイツとの単独講和を行い、ソ連は戦争を
 離脱した。
 
  1918年1月、アメリカ大統領ウィルソンは平和14原則を発表し、戦後の和平
 についての構想を表明した。同年3月にドイツは西部戦線で大攻勢をかけるが
 失敗し、連合軍の反撃が開始された。この結果、トルコとブルガリアは降伏
 し、オーストリアも単独で講和するなど、ドイツは追いつめられた。1918年11
 月、ドイツでは即時停戦を求めるキール軍港の水兵が反乱を起こし、ドイツ革
 命は全国に広がった。ドイツ革命の結果、皇帝は退位して亡命し、各領邦の君
 主も退位して、共和国が成立した。エーベルトが首班となった共和国臨時政府
 は、1918年11月11日に連合国と休戦し、第一次世界大戦は終結した。
 
 
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 2カッコ抜き
 
 第一次世界大戦
 
  1914年6月28日、( 1 )を訪問中のオーストリア皇太子夫妻がセルビア
 人生年に暗殺された。( 1 )事件である。これに対してオーストリアはセ
 ルビアに最後通牒を突きつけ、ドイツの支持も得て7月28日にセルビアに対し
 て宣戦布告した。これに対して、ロシアはセルビア側に立って国内に総動員令
 を出して立場を明らかとするが、8月1日にドイツはロシアに宣戦、3日には
 フランスにも宣戦した。8月4日、ドイツは中立国であったベルギーを通過し
 てフランスへの攻撃を開始し、これに対してイギリスはドイツに宣戦した。こ
 うして、わずかな期間でヨーロッパの主要各国が参戦し、世界大戦が始まっ
 た。
 
  ドイツは、シュリーフェン=プランに従ってまずは戦力を西部に集中し、
 ( 2 )を通過して北フランスに侵入した。ドイツはここでフランスの壊滅
 を目指したが、( 3 )の会戦でフランスはドイツの進撃を阻止し、西部戦
 線は膠着状態となった。一方東部戦線では、ヒンデンブルク将軍の指揮による
 ドイツ軍が( 4 )の戦いでロシア軍を撃破し、ロシア領へと進撃した。し
 かし、1916年のユトランド沖の海戦で制海権をイギリスが握ると、ドイツは植
 民地との連絡を絶たれて海上封鎖状態となり、ドイツは潜水艦による攻撃を強
 めた。陸戦でも、西部戦線で( 5 )要塞をめぐる攻防では決着が付かずに
 塹壕戦が続き、( 6 )やイープルでの戦いも戦車や飛行機、毒ガスなどの
 登場にもかかわらず勝敗は決せず、膠着状態となった。
 
  戦争が降着する中、トルコやブルガリアがドイツ側で、日本やイタリアがフ
 ランス側で次々と参戦し、1917年にはアメリカも参戦して戦争の規模はますま
 す大きくなった。
 
  アメリカはモンロー主義の伝統もあり、第一次世界大戦初期は中立を守って
 いた。アメリカは交戦国との貿易で大きな利益を得ていたが、ヨーロッパに対
 して多額の債権を持ったために、回収の不安もあった。アメリカ船舶の被害も
 あって参戦すべきとの声が高まるなか、1817年2月にドイツが( 7 )を開
 始すると中立国アメリカの船舶も標的となった。この結果、アメリカはモン
 ロー主義による相互不干渉を転換して参戦した。
 
  第一次世界大戦は大規模で長期間に及んだため、各国は物量戦を強いられ、
 総動員態勢を敷いて総力戦を展開した。男性が徴兵されて戦場に送られたため
 に女性が職場に出るなど、総動員態勢は一般の市民にもおよび、戦争の影響は
 物資の欠乏や新兵器による攻撃といった点にもあらわれた。各国は挙国一致体
 制を樹立して戦争を乗り切ろうとし、イギリスではロイド=ジョージ内閣が、
 フランスではクレマンソー内閣が、それぞれ戦争の完遂を目指して反対勢力を
 押さえ込んだ。ドイツでは軍部による独裁が行われ、海上封鎖により物資が不
 足して困窮すると、統制がいっそう強化された。
 
  第一次世界大戦では帝国主義諸国間が正面から衝突したため、同盟国、協商
 国ともに戦争後の勢力分割についての秘密協定を結び、秘密外交が展開され
 た。特に協商国側は、イタリアの「未回収のイタリア」の回復や、ロシアのボ
 スフォラス・ダーダネルス海峡の支配権、フランスのアルザス・ロレーヌの回
 復、イギリス・フランス・ロシアの( 8 )による西アジアの分割などを取
 り決め、社会主義革命の起こったロシアを除いて戦後これに沿った調整が行わ
 れた。さらに、植民地や勢力圏とも自治や独立などの様々な協定により自陣営
 に引き入れた。特にイギリスは、西アジア地域で( 9 )によりアラブ人の
 独立を支持する一方、( 10 )でパレスチナにユダヤ国家の建設を約束した
 が、実際には( 8 )の内容に沿った領土分割が行われたため、内容の矛盾
 するフ( 9 )と( 10 )は無視された。これが現在に至る中東紛争の原
 因にもなった。
 
  この時期、アジアやアフリカも戦争の影響を受けた。ヨーロッパでの戦争が
 激しくなり、物量戦となると大量の物資や食料が植民地から徴発され、さらに
 兵士や労働者も動員されるようになった。こうしたなかで、植民地の本国支配
 は強化された。日本は、ヨーロッパの戦争中に中国での権益拡大を図り、1914
 年に日英同盟を根拠に宣戦、山東に出兵して青島を占領し、ドイツの利権を継
 承した。さらに、袁世凱の中国政府に対して広範な利権を要求する( 11 )
 を突きつけて認めさせ、ドイツ領の太平洋諸島の北半分も占領した。
 
  ロシアでは、戦争の長期化のために国民生活は困窮を深めていた。こうした
 なか、1917年3月に三月革命が起こってロマノフ帝政は崩壊し、同年11月には
 十一月革命によって社会主義政権が成立した。社会主義政府は第一次世界大戦
 は帝国主義戦争であると位置づけ、外交文書の公表で秘密外交の内容を暴露
 し、( 12 )を発表して即時停戦を呼びかけた。この結果、1918年3月にブ
 レスト=リトフスク条約でドイツとの単独講和を行い、ソ連は戦争を離脱し
 た。
 
  1918年1月、アメリカ大統領ウィルソンは平和14原則を発表し、戦後の和平
 についての構想を表明した。同年3月にドイツは西部戦線で大攻勢をかけるが
 失敗し、連合軍の反撃が開始された。この結果、トルコとブルガリアは降伏
 し、オーストリアも単独で講和するなど、ドイツは追いつめられた。1918年11
 月、ドイツでは即時停戦を求める( 13 )軍港の水兵が反乱を起こし、
 ( 14 )は全国に広がった。ドイツ革命の結果、皇帝は退位して亡命し、各
 領邦の君主も退位して、共和国が成立した。エーベルトが首班となった共和国
 臨時政府は、1918年11月11日に連合国と休戦し、第一次世界大戦は終結した。
 
 
 
 解答
 1:サライェボ   2:ベルギー   3:マルヌ
 4:タンネンベルク   5:ヴェルダン   6:ソンム
 7:無制限潜水艦戦   8:サイクス=ピコ協定
 9:フサイン=マクマホン協定   10:バルフォア宣言
 11:二十一カ条要求   12:平和に関する布告   13:キール
 14:ドイツ革命
 
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 3一問一答
 
 1:革命ソヴィエトがドイツと単独講和した条約は何か
 2:ドイツ革命後のドイツ共和国臨時政府の首班となり、その後ドイツの大統
   領となった人物は誰か。
 
 解答
 1:ブレスト=リトフスク条約
 2:エーベルト
 
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 4ご案内
 
 
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