| -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
世界史猛特訓 第 116 号 バックナンバー配送バージョン
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
#この文書は「世界史猛特訓」のバックナンバーです。今までに配送し
#てきたものを、そのままの形で配送しています。
このメールは表示幅を71桁以上にしてご覧頂くと快適にお読み頂けます
もくじ
1------本文
2------カッコ抜き問題
3------一問一答
4------ご案内
5------連絡先など
メールマガジンについての詳細情報は
http://www.sekaishi.com/support/
からどうぞ。
*************************************************************
1本文
国際対立
19世紀後半、ビスマルク時代のドイツはヨーロッパの現状維持を目指し、フ
ランスを国際的な孤立状態におくことを基本として、三帝同盟や三国同盟など
で周辺各国との同盟関係を保った。一方、イギリスは光栄ある孤立を守り、い
ずれの国とも同盟関係を持たず、独自の立場を守っていた。しかし、ヴィルヘ
ルム2世が即位してビスマルクが辞任すると、新航路政策の下でドイツは各国
と衝突するようになり、ロシアとの間での再保障条約更新を拒否するなど、そ
れまでのロシアとの親和とフランスの孤立化という方針は崩れた。その結果、
ロシアはフランスに接近して露仏同盟が成立した。
19世紀末から20世紀初頭にかけては、帝国主義諸国間での勢力争いが激しく
なり、ファショダ事件でのイギリスとフランスの衝突や、イランやアフガニス
タン、さらには中国をめぐるイギリスとロシアの対立、バルカン半島をめぐる
オーストリアとロシアの対立などが鮮明となった。こうした中、イギリスは孤
立政策を転じ、まずは1902年に日英同盟を結んで日露戦争を支援し、ロシアの
極東進出を抑えることに成功した。さらに1904年、英仏協商を結んでフランス
との間でアフリカにおける利害を調整し、ドイツに共同で対抗することを約し
た。1907年、ロシアとの間の極東での対立を解消し、従来対立していた西アジ
アでの勢力争いについても、新たに3B政策を掲げて西アジアへの侵出を狙っ
たドイツに対抗することで一致して、英露協商が成立した。これにより、イラ
ンは立憲革命に干渉しつつ勢力圏を折半、アフガニスタンはイギリス勢力圏と
するなど、相互に勢力範囲が設定された。こうした動きの結果、大きく分けて
イギリス・フランス・ロシアの三国協商と、ドイツ・オーストリア・イタリア
の三国同盟とのふたつの同盟関係が対立することとなった。三国協商は元来は
各国間の利害調整と秩序維持を目的としたが、ドイツを中心とする三国同盟へ
の対抗から、軍事協定へと発展した。一方、三国同盟は内部に「未回収のイタ
リア」をめぐるイタリアとオーストリアの領土対立を抱えていたため、イタリ
アはフランスに接近して秘密条約を結び、大戦の際は同盟国側に加わらなかっ
た。
この時期、最も激しく対立したのはイギリスとドイツであった。ドイツでは
産業革命の進展と資本主義の発展により、重化学工業分野で大きな生産力を
持ってイギリスを圧倒し、経済競争を展開していた。1888年に即位したヴィル
ヘルム2世は、新航路政策を展開する中で大艦隊の建造を推進し、海軍国イギ
リスに挑戦して両国は相互に巨艦の建造を繰り広げた。さらに、バルカン半島
や西アジアへの侵出に力を入れたドイツは、3B政策を推し進めてバグダード
鉄道の建設を開始したり、トルコ陸軍の近代化に協力するなど、3C政策を掲
げて西アジアでの勢力拡大を目指すイギリスや、南下政策を進めるロシアとの
対立を深めた。また、アフリカ進出をめぐって起こした二回にわたるモロッコ
事件ではフランスとの対立も深め、ドイツはいっそう孤立化した。
バルカン半島は、その複雑な民族配置から未解決の民族問題が山積してお
り、さらにそこにオーストリアやロシア、さらにドイツが進出を狙うなど、
ヨーロッパの火薬庫とよばれるほど不安定な地域であった。1908年、トルコで
青年トルコ革命が発生するとブルガリアが独立を宣言し、オーストリアはこれ
を機にボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合した。バルカンでのオーストリアの
勢力拡大に対し、パン=スラヴ主義を掲げるセルビアは反発し、セルビアの背
後にいるロシアとの対立も深まった。
1912年、ロシアの支持下でセルビア・モンテネグロ・ブルガリア・ギリシア
の4国はバルカン同盟を結成し、トルコに宣戦して第一次バルカン戦争が勃発
した。4国はこれに勝利して領土の拡大に成功し、トルコはイスタンブル周辺
を除くヨーロッパ側の領土を喪失したほか、アルバニアが新たに独立を果たし
た。しかし、バルカン同盟の4国は領土分割をめぐって対立し、1913年には第
二次バルカン戦争が勃発した。この結果、ブルガリアは他3国に大敗し、領土
を縮小された。2回の戦争の結果、トルコとブルガリアはドイツに接近し、セ
ルビアはさらなる勢力伸張を目指してオーストリアと対立し、バルカン半島の
情勢はいっそう不安定なものとなった。
*************************************************************
2カッコ抜き
国際対立
19世紀後半、ビスマルク時代のドイツはヨーロッパの現状維持を目指し、フ
ランスを国際的な孤立状態におくことを基本として、( 1 )同盟や三国同
盟などで周辺各国との同盟関係を保った。一方、イギリスは光栄ある孤立を守
り、いずれの国とも同盟関係を持たず、独自の立場を守っていた。しかし、
( 2 )が即位してビスマルクが辞任すると、新航路政策の下でドイツは各
国と衝突するようになり、ロシアとの間での( 3 )条約更新を拒否するな
ど、それまでのロシアとの親和とフランスの孤立化という方針は崩れた。その
結果、ロシアはフランスに接近して( 4 )が成立した。
19世紀末から20世紀初頭にかけては、帝国主義諸国間での勢力争いが激しく
なり、ファショダ事件でのイギリスとフランスの衝突や、イランやアフガニス
タン、さらには中国をめぐるイギリスとロシアの対立、バルカン半島をめぐる
オーストリアとロシアの対立などが鮮明となった。こうした中、イギリスは孤
立政策を転じ、まずは1902年に( 5 )を結んで日露戦争を支援し、ロシア
の極東進出を抑えることに成功した。さらに1904年、( 6 )を結んでフラ
ンスとの間でアフリカにおける利害を調整し、ドイツに共同で対抗することを
約した。1907年、ロシアとの間の極東での対立を解消し、従来対立していた西
アジアでの勢力争いについても、新たに3B政策を掲げて西アジアへの侵出を
狙ったドイツに対抗することで一致して、( 7 )が成立した。これによ
り、イランは立憲革命に干渉しつつ勢力圏を折半、アフガニスタンはイギリス
勢力圏とするなど、相互に勢力範囲が設定された。こうした動きの結果、大き
く分けてイギリス・フランス・ロシアの( 8 )と、ドイツ・オーストリ
ア・イタリアの( 9 )とのふたつの同盟関係が対立することとなった。
( 8 )は元来は各国間の利害調整と秩序維持を目的としたが、ドイツを中
心とする三国同盟への対抗から、軍事協定へと発展した。一方、( 9 )は
内部に「未回収のイタリア」をめぐるイタリアとオーストリアの領土対立を抱
えていたため、イタリアはフランスに接近して秘密条約を結び、大戦の際は同
盟国側に加わらなかった。
この時期、最も激しく対立したのはイギリスとドイツであった。ドイツでは
産業革命の進展と資本主義の発展により、重化学工業分野で大きな生産力を
持ってイギリスを圧倒し、経済競争を展開していた。1888年に即位したヴィル
ヘルム2世は、新航路政策を展開する中で大艦隊の建造を推進し、海軍国イギ
リスに挑戦して両国は相互に巨艦の建造を繰り広げた。さらに、バルカン半島
や西アジアへの侵出に力を入れたドイツは、3B政策を推し進めて( 10 )
鉄道の建設を開始したり、トルコ陸軍の近代化に協力するなど、3C政策を掲
げて西アジアでの勢力拡大を目指すイギリスや、南下政策を進めるロシアとの
対立を深めた。また、アフリカ進出をめぐって起こした二回にわたるモロッコ
事件ではフランスとの対立も深め、ドイツはいっそう孤立化した。
バルカン半島は、その複雑な民族配置から未解決の民族問題が山積してお
り、さらにそこにオーストリアやロシア、さらにドイツが進出を狙うなど、
ヨーロッパの火薬庫とよばれるほど不安定な地域であった。1908年、トルコで
青年トルコ革命が発生するとブルガリアが独立を宣言し、オーストリアはこれ
を機に( 11 )を併合した。バルカンでのオーストリアの勢力拡大に対し、
( 12 )主義を掲げるセルビアは反発し、セルビアの背後にいるロシアとの
対立も深まった。
1912年、ロシアの支持下でセルビア・モンテネグロ・ブルガリア・ギリシア
の4国はバルカン同盟を結成し、トルコに宣戦して( 13 )が勃発した。
4国はこれに勝利して領土の拡大に成功し、トルコはイスタンブル周辺を除く
ヨーロッパ側の領土を喪失したほか、アルバニアが新たに独立を果たした。し
かし、バルカン同盟の4国は領土分割をめぐって対立し、1913年には( 14 )
が勃発した。この結果、ブルガリアは他3国に大敗し、領土を縮小された。
2回の戦争の結果、トルコとブルガリアはドイツに接近し、セルビアはさらな
る勢力伸張を目指してオーストリアと対立し、バルカン半島の情勢はいっそう
不安定なものとなった。
解答
1:三帝 2:ヴィルヘルム2世 3:再保障 4:露仏同盟
5:日英同盟 6:英仏協商 7:英露協商 8:三国協商
9:三国同盟 10:バグダード 11:ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
12:パン=スラヴ 13:第一次バルカン戦争
14:第二次バルカン戦争
*************************************************************
3一問一答
1:1898年、アフリカのモロッコでイギリスとフランスが衝突した事件を何と
いうか。
2:ドイツの西アジア進出政策のことを何というか。
3:南アフリカとエジプト、インドに渡る地域を勢力圏におこうとしたイギリ
スの政策を何というか。
4:三国同盟内では、イタリアとオーストリアが「未回収のイタリア」をめぐっ
て対立するが、「未回収のイタリア」とはどこを指すか。
5:大戦前の情勢不安定なバルカン半島は何とよばれたか。
6:ロシアの支持下でセルビア・モンテネグロ・ブルガリア・ギリシアが結成
した同盟は何か。
解答
1:ファショダ事件
2:3B政策
3:3C政策
4:チロル・トリエステ
5:ヨーロッパの火薬庫
6:バルカン同盟
*************************************************************
4ご案内
====メールマガジン関連のご案内====
ここに掲載する内容は正誤を確認してはおりますが、大量の資料を扱うため
予期せずに間違いが流れてしまうことがあります。間違いを発見なさった方
はwebmaster@sekaishi.comまでご連絡いただきたいと思います。また、
致命的な間違いは、発見され次第、訂正版をお送りいたします。
このメールマガジン内で記述された会社名・商品名は、各社の商標または登
録商標です。
※このメールマガジンに起因するいかなる損害も作者は保証いたしません
※このメールマガジンに関し、編集・発行者は著作権を主張します。
※詳しくは、http://www.sekaishi.com/support/author.html
※の「著作権について」をご覧下さい。
====ウェブサイトのご案内====
メールマガジン登録・解除(機能的です)
http://www.sekaishi.com/mailmag/tokai.html
掲示板(暫定運営中)
http://www.sekaishi.com/bbs/
バックナンバー集(全てのバックナンバーを一覧できます)
http://www.sekaishi.com/mailmag/sekamo/
更新情報
http://www.sekaishi.com/whatsnew.html
中国歴史用語変換辞書for ATOK9/ATOK11(日本語変換ライブラリ)
http://www.sekaishi.com/im/
*「ATOK」は株式会社ジャストシステムの登録商標です。
*************************************************************
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
編集・発行:世界史猛特訓製作委員会
The World History
連絡先:webmaster@sekaishi.com
ホーム:http://www.sekaishi.com/
メルマガの登録・解除、バックナンバーのページ等があります。
このメールマガジンの著作権は編集・発行人が保持しています。
(c) 1998-2002 世界史猛特訓製作委員会
The World History
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= |
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
|