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世界史猛特訓 第 109 号 バックナンバー配送バージョン
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もくじ
1------本文
2------カッコ抜き問題
3------一問一答
4------ご案内
5------連絡先など
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1本文
日本
18世紀末から、列強各国は日本を訪れて開国と通商を求めるようになった
が、江戸幕府は鎖国政策を維持していた。1853年、アメリカ使節のペリーが来
航し、翌1854年の日米和親条約によって下田と函館の開港が決められた。その
後1858年に結ばれた日米修好通商条約は関税自主権や領事裁判権などの点で日
本に不利な不平等条約で、後の明治政府は不平等の是正のため日本の近代化を
進めた。これらの条約で日本が開国したことにより、日本もまた世界市場の一
部となった。
1868年、明治維新が起こって天皇を中心とする新政権が生まれた。明治政府
は富国強兵と殖産興業を掲げ、国力の充実と中央集権的な国家体制の確立を目
指した。1870年代になると自由民権運動が展開され、1889年に大日本帝国憲法
が発布されたのに続いて翌1890年には第1回帝国議会が開かれた。明治政府は
近隣の地域にも積極的に進出した。1874年に台湾に出兵し、1876年に日朝修好
条規を締結して朝鮮を開国させた。さらに、1879年の琉球処分では琉球王国を
廃止して沖縄県を設置した。北方でも、千島樺太交換条約などでロシアとの国
境を策定した。
19世紀後半、列強各国はアジアやアフリカに積極的な進出を続けたが、明治
政府が成立した時期、列強各国は日本への進出は行わず、また、明治政府も植
民地化への危惧から近代化を推進したため、日本は植民地化されなかった。
朝鮮
李氏朝鮮は李成桂が14世紀に建国して以来、明、清の宗主権下で朝鮮半島を
支配した。最盛期を過ぎた李氏朝鮮では激しい党争が繰り広げられ、国内の農
村は疲弊した。1863年に国王の父である大院君が摂政となると対外鎖国政策を
行ったが、1873年には閔妃の一族が政権を掌握した。
1875年の江華島事件をきっかけに、1876年に日本は日朝修好条規を結んだ。
日朝修好条規は、釜山や仁川などの開港、日本公使館の設置、領事裁判権の承
認などが盛り込まれた不平等条約で、日本の朝鮮進出の開始となった。一方、
朝鮮の宗主国である清は日本の朝鮮半島進出に対して警戒し、日清間の対立が
後に深刻化した。
その後も朝鮮の政治は混乱し、清の支援を受けた閔妃一族ら事大党などの保
守派と、日本の支援を受けた金玉均ら独立党と言われた開化派との争いが続い
た。1882年、大院君派の軍隊が起こした壬午の軍乱では、清が軍を派遣して閔
氏を援助して閔氏が政権を奪回した。1884年、日本の支援を得た独立党が甲申
の政変を起こすが清が軍事介入し、失敗した。1885年の天津条約で、日清両国
は朝鮮からの撤兵と出兵時の事前相互通告を取り決めた。
日清戦争
1894年、朝鮮で甲午農民戦争(東学党の乱)が起こった。逐洋斥倭を掲げて
対外勢力の排斥を求めたこの反乱は全国に波及し、これを独力で鎮圧できな
かった朝鮮は清に出兵を要請し、これに対して日本も出兵した。日本は朝鮮へ
の出兵後清に宣戦し、日本軍は朝鮮半島から中国東北地方へと侵入して連戦連
勝した。日清戦争の講和条約となった1895年の下関条約では、朝鮮が独立国で
あることを清が承認して宗主権から独立させること、遼東半島・台湾・膨湖島
を日本に割譲すること、中国が新たに開港地を増やすこと、開港地での生産経
営権を認めること、賠償金二億両を支払うことが盛り込まれた。日本の遼東半
島獲得に反発したロシアはドイツとフランスを誘って三国干渉を行い、日本は
これに屈して遼東半島は清に返還された。
日清戦争の勝利によって、日本は国際的地位は上昇させるとともに大陸侵略
への足場も築いた。このことは中国東北部への進出を狙うロシアとの対立を招
いたが、日本は後の日露戦争にも勝利する。また、清から得た多額の賠償金で
金本位制を確立し、官営八幡製鉄所を建設するなど、国内の経済体制整備も進
んだ。一方、日清戦争に敗れた清はベトナムに続いて朝鮮に対する宗主権も喪
失し、その弱体化を露呈したため、列強が進出をいっそう強めたために中国分
割が進行した。
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2カッコ抜き
日本
18世紀末から、列強各国は日本を訪れて開国と通商を求めるようになった
が、江戸幕府は鎖国政策を維持していた。1853年、アメリカ使節のペリーが来
航し、翌1854年の( 1 )条約によって下田と函館の開港が決められた。そ
の後1858年に結ばれた( 2 )条約は関税自主権や領事裁判権などの点で日
本に不利な不平等条約で、後の明治政府は不平等の是正のため日本の近代化を
進めた。これらの条約で日本が開国したことにより、日本もまた世界市場の一
部となった。
1868年、明治維新が起こって天皇を中心とする新政権が生まれた。明治政府
は富国強兵と殖産興業を掲げ、国力の充実と中央集権的な国家体制の確立を目
指した。1870年代になると自由民権運動が展開され、1889年に( 3 )が発
布されたのに続いて翌1890年には第1回帝国議会が開かれた。明治政府は近隣
の地域にも積極的に進出した。1874年に台湾に出兵し、1876年に( 4 )を
締結して朝鮮を開国させた。さらに、1879年の琉球処分では琉球王国を廃止し
て沖縄県を設置した。北方でも、千島樺太交換条約などでロシアとの国境を策
定した。
19世紀後半、列強各国はアジアやアフリカに積極的な進出を続けたが、明治
政府が成立した時期、列強各国は日本への進出は行わず、また、明治政府も植
民地化への危惧から近代化を推進したため、日本は植民地化されなかった。
朝鮮
李氏朝鮮は李成桂が14世紀に建国して以来、明、清の宗主権下で朝鮮半島を
支配した。最盛期を過ぎた李氏朝鮮では激しい党争が繰り広げられ、国内の農
村は疲弊した。1863年に国王の父である( 5 )が摂政となると対外鎖国政
策を行ったが、1873年には閔妃の一族が政権を掌握した。
1875年の( 6 )事件をきっかけに、1876年に日本は( 4 )を結ん
だ。( 4 )は、釜山や仁川などの開港、日本公使館の設置、領事裁判権の
承認などが盛り込まれた不平等条約で、日本の朝鮮進出の開始となった。一
方、朝鮮の宗主国である清は日本の朝鮮半島進出に対して警戒し、日清間の対
立が後に深刻化した。
その後も朝鮮の政治は混乱し、清の支援を受けた閔妃一族ら事大党などの保
守派と、日本の支援を受けた金玉均ら独立党と言われた開化派との争いが続い
た。1882年、大院君派の軍隊が起こした壬午の軍乱では、清が軍を派遣して閔
氏を援助して閔氏が政権を奪回した。1884年、日本の支援を得た独立党が
( 7 )を起こすが清が軍事介入し、失敗した。1885年の( 8 )条約
で、日清両国は朝鮮からの撤兵と出兵時の事前相互通告を取り決めた。
日清戦争
1894年、朝鮮で( 9 )が起こった。逐洋斥倭を掲げて対外勢力の排斥を
求めたこの反乱は全国に波及し、これを独力で鎮圧できなかった朝鮮は清に出
兵を要請し、これに対して日本も出兵した。日本は朝鮮への出兵後清に宣戦
し、日本軍は朝鮮半島から中国東北地方へと侵入して連戦連勝した。日清戦争
の講和条約となった1895年の下関条約では、朝鮮が独立国であることを清が承
認して宗主権から独立させること、( 10 )・( 11 )・( 12 )を日
本に割譲すること、中国が新たに開港地を増やすこと、開港地での生産経営権
を認めること、賠償金二億両を支払うことが盛り込まれた。日本の遼東半島獲
得に反発したロシアはドイツとフランスを誘って( 13 )を行い、日本はこ
れに屈して遼東半島は清に返還された。
日清戦争の勝利によって、日本は国際的地位は上昇させるとともに大陸侵略
への足場も築いた。このことは中国東北部への進出を狙うロシアとの対立を招
いたが、日本は後の日露戦争にも勝利する。また、清から得た多額の賠償金で
金本位制を確立し、官営八幡製鉄所を建設するなど、国内の経済体制整備も進
んだ。一方、日清戦争に敗れた清はベトナムに続いて朝鮮に対する宗主権も喪
失し、その弱体化を露呈したため、列強が進出をいっそう強めたために中国分
割が進行した。
解答
1:日米和親 2:日米修好通商 3:大日本帝国憲法
4:日朝修好条規 5:大院君 6:江華島 7:甲申の政変
8:天津 9:甲午農民戦争(東学党の乱)
10・11・12:遼東半島/台湾/膨湖島 13:三国干渉
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3一問一答
1:李氏朝鮮を建国したのは誰か。
2:日清戦争の講和条約は何か。
解答
1:李成桂
2:下関条約
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