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 世界史猛特訓  第 107 号        バックナンバー配送バージョン
 
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 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
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 からどうぞ。
 
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 1本文
 
 東南アジア
 
  インドネシアは、オランダ領東インドとして植民地支配を受けた。オランダ
 は1602年に東インド会社を設立し、東南アジアからポルトガル勢力を駆逐して
 香辛料貿易を独占した。1619年、バタヴィアに総督府を設置してジャワ島の経
 営に着手し、18世紀にはマタラム王国を征服した。1623年、アンボイナ事件で
 東南アジアからイギリス勢力を駆逐してこの地域での支配権を確立し、1799
 年、東インド会社が経営難のために解散されてインドネシアはオランダ本国の
 直轄となった。1811年、ジャワ島はイギリスに占領されたが1814年にオランダ
 に返還され、その後の反オランダの抵抗運動も鎮圧して植民地支配を強めた。
 1830年、総督ファン=デン=ボスが強制栽培制度を導入し、ジャワ島の島民に
 一定割合の耕地で商品作物の栽培を強制した。これによって莫大な利益があ
 がって財政は窮状を脱したが、農村は疲弊して飢饉が頻発するようになった。
 1870年代以後、オランダはスマトラ島にも進出してスマトラ島北部のアチェー
 王国と抗争し、アチェー戦争の結果1904年にこれを滅ぼしてオランダ領東イン
 ドに編入した。
 
  フィリピンは、1521年に世界就航中のマゼランが到達し、1565年にスペイン
 総督レガスピが上陸して以後スペインの領有となった。スペインはフィリピン
 にカトリックを布教し、南部を除いてカトリックに改宗させた。1571年、マニ
 ラを建設してアカプルコ貿易の拠点とし、19世紀にはプランテーションなど商
 品作物を中心とした経済開発が行われた。19世紀末、ホセ=リサールやアギナ
 ルドらが独立を求めて民族運動をおこすが、米西戦争の結果フィリピンはアメ
 リカ植民地となった。
 
  ナポレオン戦争中、イギリスはジャワ島を占領するが、ウィーン会議でこれ
 を返還し、ジャワ島はオランダ領に戻った。1819年、イギリスはラッフルズの
 活躍によりシンガポールを獲得し、これとマラッカ、ペナン島をあわせて1826
 年に海峡植民地とした。1867年、海峡植民地はイギリス本国の直轄となり、さ
 らに錫などの天然資源を求めて半島内部にも進出して、天然ゴムの栽培にも着
 手するなど半島の経営に着手した。1895年、この地域にはマライ連邦が組織さ
 れた。
 
  ビルマでは、1531年にトゥングー朝が起こったが、国内少数民族の反乱やタ
 イとの抗争によって疲弊して滅亡し、1752年にコンバウン朝(アラウンパヤ
 朝)が建てられた。コンバウン朝は国内を統一してタイを抗略し、アユタヤ朝
 を滅ぼした。18世紀末、イギリス東インド会社との間で和親通商条約を結ぶ
 が、19世紀にビルマがアッサムに侵攻してイギリスと対立するようになり、
 3度に渡るビルマ戦争でイギリスに滅ぼされて英領インド帝国に併合された。
 
  ヴェトナムでは、1428年に黎朝が成立してチャンパーを征服し、カンボジア
 を圧迫して南へと勢力を拡大した。しかし、後に黎朝は南北分裂し、西山党の
 乱が起こって西山朝に取って代わられた。1802年、フランス人宣教師ピニョー
 の支援を受けた阮福映が西山朝を倒して阮朝を建て、ヴェトナムを統一して清
 の宗主権下で越南国の王に封ぜられた。1806年、阮福映は嘉隆帝として即位
 し、ユエに都をおいた。しかし、儒教を奨励しキリスト教を迫害したため、こ
 れを口実とするフランスの軍事介入を招いた。1858年、ナポレオン3世はキリ
 スト教徒保護を口実にインドシナに出兵してサイゴンを占領し、1862年のサイ
 ゴン条約でフランスはコーチシナ東部を獲得した。1863年、フランスはカンボ
 ジアを保護国化してこれを領有し、その後北部のトンキンや中部のアンナンも
 領有して、1883年のユエ条約でヴェトナムを保護国化した。こうしたフランス
 の進出に対してヴェトナム国民各層は抵抗し、黒旗軍が活躍するなどの反抗が
 続いた。ヴェトナムの宗主国である清もこうした動きに反発し、1884年に清仏
 戦争を起こすが破れ、1885年の天津条約で清はフランスの保護権を承認した。
 1887年、仏領インドシナ連邦が成立し、1893年にフランスに保護国化されたラ
 オスも1899年に編入された。
 
  タイは、こうした状況にあって東南アジアで唯一独立を保持した。1767年に
 ビルマの侵入によってアユタヤ朝が滅亡した後、1882年にプラヤー=チャクリ
 がラーマ1世と称してバンコクを首都とするチャクリ朝(バンコク朝)を建て
 た。ラーマ4世は列強から不平等条約を押しつけられつつも、イギリスとフラ
 ンスの勢力均衡につとめ、両国の緩衝地帯に位置したこともあって独立を保持
 した。1868年に即位したラーマ5世(チュラロンコーン)は近代化政策をと
 り、領土の保全を図って独立を維持した。
 
 
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 2カッコ抜き
 
 東南アジア
 
  インドネシアは、オランダ領東インドとして植民地支配を受けた。オランダ
 は1602年に東インド会社を設立し、東南アジアからポルトガル勢力を駆逐して
 香辛料貿易を独占した。1619年、( 1 )に総督府を設置してジャワ島の経
 営に着手し、18世紀にはマタラム王国を征服した。1623年、( 2 )事件で
 東南アジアからイギリス勢力を駆逐してこの地域での支配権を確立し、1799
 年、東インド会社が経営難のために解散されてインドネシアはオランダ本国の
 直轄となった。1811年、ジャワ島はイギリスに占領されたが1814年にオランダ
 に返還され、その後の反オランダの抵抗運動も鎮圧して植民地支配を強めた。
 1830年、総督ファン=デン=ボスが( 3 )を導入し、ジャワ島の島民に一
 定割合の耕地で商品作物の栽培を強制した。これによって莫大な利益があがっ
 て財政は窮状を脱したが、農村は疲弊して飢饉が頻発するようになった。1870
 年代以後、オランダはスマトラ島にも進出してスマトラ島北部の( 4 )王
 国と抗争し、( 4 )戦争の結果1904年にこれを滅ぼしてオランダ領東イン
 ドに編入した。
 
  フィリピンは、1521年に世界就航中の( 5 )が到達し、1565年にスペイ
 ン総督レガスピが上陸して以後スペインの領有となった。スペインはフィリピ
 ンにカトリックを布教し、南部を除いてカトリックに改宗させた。1571年、
 ( 6 )を建設してアカプルコ貿易の拠点とし、19世紀にはプランテーショ
 ンなど商品作物を中心とした経済開発が行われた。19世紀末、( 7 )や
 ( 8 )らが独立を求めて民族運動をおこすが、米西戦争の結果フィリピン
 はアメリカ植民地となった。
 
  ナポレオン戦争中、イギリスはジャワ島を占領するが、ウィーン会議でこれ
 を返還し、ジャワ島はオランダ領に戻った。1819年、イギリスはラッフルズの
 活躍により( 9 )を獲得し、これと( 10 )、( 11 )をあわせて
 1826年に海峡植民地とした。1867年、海峡植民地はイギリス本国の直轄とな
 り、さらに錫などの天然資源を求めて半島内部にも進出して、天然ゴムの栽培
 にも着手するなど半島の経営に着手した。1895年、この地域には( 12 )が
 組織された。
 
  ビルマでは、1531年にトゥングー朝が起こったが、国内少数民族の反乱やタ
 イとの抗争によって疲弊して滅亡し、1752年に( 13 )が建てられた。コン
 バウン朝は国内を統一してタイを抗略し、アユタヤ朝を滅ぼした。18世紀末、
 イギリス東インド会社との間で和親通商条約を結ぶが、19世紀にビルマがアッ
 サムに侵攻してイギリスと対立するようになり、3度に渡る( 14 )戦争で
 イギリスに滅ぼされて英領インド帝国に併合された。
 
  ヴェトナムでは、1428年に黎朝が成立してチャンパーを征服し、カンボジア
 を圧迫して南へと勢力を拡大した。しかし、後に黎朝は南北分裂し、西山党の
 乱が起こって西山朝に取って代わられた。1802年、フランス人宣教師ピニョー
 の支援を受けた( 15 )が西山朝を倒して阮朝を建て、ヴェトナムを統一し
 て清の宗主権下で越南国の王に封ぜられた。1806年、阮福映は嘉隆帝として即
 位し、ユエに都をおいた。しかし、儒教を奨励しキリスト教を迫害したため、
 これを口実とするフランスの軍事介入を招いた。1858年、ナポレオン3世はキ
 リスト教徒保護を口実にインドシナに出兵してサイゴンを占領し、1862年の
 ( 16 )条約でフランスはコーチシナ東部を獲得した。1863年、フランスは
 カンボジアを保護国化してこれを領有し、その後北部のトンキンや中部のアン
 ナンも領有して、1883年のユエ条約でヴェトナムを保護国化した。こうしたフ
 ランスの進出に対してヴェトナム国民各層は抵抗し、黒旗軍が活躍するなどの
 反抗が続いた。ヴェトナムの宗主国である清もこうした動きに反発し、1884年
 に( 17 )戦争を起こすが破れ、1885年の天津条約で清はフランスの保護権
 を承認した。1887年、仏領インドシナ連邦が成立し、1893年にフランスに保護
 国化された( 18 )も1899年に編入された。
 
  タイは、こうした状況にあって東南アジアで唯一独立を保持した。1767年に
 ビルマの侵入によって( 19 )朝が滅亡した後、1882年にプラヤー=チャク
 リがラーマ1世と称してバンコクを首都とする( 20 )を建てた。ラーマ
 4世は列強から不平等条約を押しつけられつつも、イギリスとフランスの勢力
 均衡につとめ、両国の緩衝地帯に位置したこともあって独立を保持した。1868
 年に即位した( 21 )は近代化政策をとり、領土の保全を図って独立を維持
 した。
 
 
 
 解答
 1:バタヴィア   2:アンボイナ   3:強制栽培制度
 4:アチェー   5:マゼラン   6:マニラ
 7・8:ホセ=リサール/アギナルド(順不同)   9:シンガポール
 10・11:マラッカ/ペナン島   12:マライ連邦
 13:コンバウン朝(アラウンパヤ朝)   14:ビルマ   15:阮福映
 16:サイゴン   17:清仏   18:ラオス   19:アユタヤ
 20:チャクリ朝(バンコク朝)   21:ラーマ5世(チュラロンコーン)
 
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 3一問一答
 
 1:オランダが領有した、現在のインドネシアに当たる地域の植民地を何とい
   うか。
 2:ペナン島・マラッカ・シンガポールをあわせて1826年に形成されたイギリ
   スの植民地を何というか
 3:ヴェトナムで西山朝を倒して建てられた王朝は何朝か
 
 解答
 1:オランダ領東インド
 2:海峡植民地
 3:阮朝
 
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 4ご案内
 
 
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