トップページ   更新履歴 |  文書年表試験 |  メルマガ |  変換辞書 |  サポート |  ダウンロード |  リンク   サイト内検索 
所在地:ドキュメントルートメールマガジンセンターバックナンバー→世界史猛特訓第 102 号直前の目次に戻る




前の号へ    目次へ戻る    次の号へ





 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
 
 世界史猛特訓  第 102 号        バックナンバー配送バージョン
 
 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
 
 #この文書は「世界史猛特訓」のバックナンバーです。今までに配送し
 #てきたものを、そのままの形で配送しています。
 
 このメールは表示幅を71桁以上にしてご覧頂くと快適にお読み頂けます
 
 
 もくじ
 1------本文
 2------カッコ抜き問題
 3------一問一答
 4------ご案内
 5------連絡先など
 
 
 メールマガジンについての詳細情報は
 http://www.sekaishi.com/support/
 からどうぞ。
 
 ************************************************************* 
 1本文
 
 アメリカ合衆国
 
  独立後のアメリカでは初代大統領ワシントンが国内体制を整備し、2代大統
 領アダムズの時代にはワシントン特別区が首都となった。3代大統領トマス=
 ジェファソンは中央政府と州との権限の調和を図り、資本家中心であった政治
 を改めて自由主義的な国家を形成することに尽力した。1812年、イギリスの大
 陸逆封鎖によってアメリカの通商が妨害されたとして、アメリカがイギリスに
 宣戦し米英戦争が起こった。米英戦争はヨーロッパでのナポレオン戦争終結と
 ともに終戦を迎えたが、アメリカではこの戦争の間イギリスからの工業製品流
 入が途絶えたため、アメリカの経済的自立が促進された。5代大統領モンロー
 は、ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸の相互不干渉を内容とするモンロー宣言を
 出した。この方針は20世紀まで外交の基本方針となり、第一次世界大戦まで維
 持された。7代大統領ジャクソンは、アメリカ史上初の西部出身の大統領で
 あった。彼は選挙権の拡大をはかるなど民主主義的な政策を進め、中小農民や
 労働者を保護するなど西部の利益を代表した政治を行った。一方で、インディ
 アン強制移住法を制定して、先住アメリカ人を居留地と呼ばれる地域へ強制移
 住させた。
 
  この間、アメリカは領土の拡張を続けた。1803年、ナポレオン戦争中のフラ
 ンスからミシシッピ以西のルイジアナを買収し、1819年、スペインからフロリ
 ダを買収した。1845年、テキサス共和国を併合し、1846年にイギリス領カナダ
 との国境線を画定してオレゴンを併合した。1848年にカリフォルニアとニュー
 メキシコをメキシコから獲得した。1867年、ロシアからアラスカを買収して、
 アメリカ本土は現在の形となった。
 
  アメリカの西部開拓は、明白な天命などの言葉のもと、東部に居住していた
 人々やヨーロッパからの移民によって行われた。政府も西部の公有地の払い下
 げを行うなどの奨励策をとり、人口が5000人に達した地域には準州として自治
 が認められ、人口が6万人に達した準州は連邦議会の承認を経て州に昇格し
 た。西漸運動によってフロンティアは西方に移動し、豊富な資源産出と食料生
 産が可能となった。それと同時に国内市場規模も拡大したから、産業発展が促
 進された。
 
 
 南北戦争
 
  西部開拓の進展と並行して、アメリカ国内では南北の対立が深刻化した。北
 部では工業が発展し、連邦主義や保護関税政策などの国内産業保護策が支持さ
 れた。北部で支持された政党は国民共和党であった。一方、南部ではプラン
 テーション農業が中心で、産業革命で綿花需要が増大したイギリスへの綿花輸
 出が経済の要となっていたから、州権主義や自由貿易政策が支持された。南部
 で支持された政党は民主党であった。奴隷制についても、そもそも奴隷の数が
 少なかったために廃止を主張する北部と、プランテーションの労働力に必須と
 して存続を求める南部とが対立した。こうした中で、奴隷制の問題は政治問題
 化し、各州2名の議席を持つ上院での勢力争いから、連邦に新規加盟する州を
 奴隷州とするか自由州とするかという争いも起きた。
 
  1820年、ミズーリ協定が結ばれて、自由州と奴隷州の境界線が設定されたこ
 とで南北の妥協が成立した。しかし、1840年代の領土拡大と開拓の進展は南北
 対立を再燃させ、1850年、カリフォルニアを自由州とする一方でユタ・ニュー
 メキシコは奴隷制の可否を定めずに準州とし、北部が逃亡奴隷法を承認するこ
 とが決められた。1852年、ストゥ夫人が『アンクル=トムの小屋』を発表して
 奴隷の悲惨な生活状況を描写したことで、反奴隷の世論が高まったが、一方で
 1854年、カンザス=ネブラスカ法ではミズーリ協定は破棄され、ユタ・ニュー
 メキシコ両州では奴隷制の選択権を住民に与えることになり、この方式は南部
 に有利であったことから南北対立が激化した。
 
  1860年、奴隷制不拡大をとなえる共和党のリンカンが16代大統領に当選し
 た。これに反発した南部7州がアメリカ連合国を結成して合衆国から離脱し、
 後にその勢力は11州となった。連合国は首都をリッチモンドにおき、ジェファ
 ソン=デヴィスが初代大統領となった。
 
  1861年、イギリスの援助を期待した南部の先制によって南北戦争が勃発し
 た。将軍リーの活躍などのため初期の戦局は南部に有利であった。1862年、北
 部は防戦するとともにホームステッド法を制定して西部の支持を獲得した。
 1863年、奴隷解放宣言によって戦争目的を明確にし、欧州諸国が南部を国家と
 して承認することを牽制した。経済力と海軍力を持つ北部は海上封鎖を行って
 南部の弱体化を図るとともに、将軍グラントの活躍などで1863年のゲティス
 バーグの戦いで勝利をおさめ、北軍は優位に立った。1865年、南部の首都リッ
 チモンドは陥落して南部は降伏し、南北戦争は終結した。
 
  1865年、奴隷制の廃止を定めた憲法修正第13条が制定された。1966年の憲法
 修正第14条では黒人の公民権が保障され、1870年の憲法修正第15条で黒人の選
 挙権も保障された。しかし、奴隷解放後も黒人は小作人となったに過ぎず、南
 部での黒人差別はなお続いた。黒人の選挙権も、読み書き試験などの方法に
 よって事実上剥奪さた。さらに、隔離はしても平等であれば差別でないとの理
 論のもと、南部では人種隔離が法制化され、KKKなどの秘密結社によるテロ
 リズムの動きもあらわれた。
 
  1862年、ホームステッド法が制定されたことによって、西部の開拓はいっそ
 う進んだ。1869年に最初の大陸横断鉄道が完成するとより高速で大量の物資輸
 送が可能となり、国内の市場規模はますます大きくなった。こうして西部の開
 拓が進んだ結果、1890年にはついにフロンティアの消滅が発表された。開拓に
 伴う国内市場の拡大や保護関税政策によって北部の産業革命が急速に進展し、
 アメリカは1880年代には世界第一位の工業国となった。19世紀後半には東欧、
 南欧から大量の移民が流入し、彼らもまた、安価な労働力としてアメリカの発
 展を支えた。その一方、南北戦争で敗北した南部は1867年の再建法の下で軍政
 下での政治経済改革が行われ、経済的にも北部の支配下に入って貧しい地域と
 なった。また、南北戦争後も先住アメリカ人の問題は解決せず、彼らへの圧
 迫、弾圧は続いた。
 
 
 ラテンアメリカ
 
  相次いで独立を果たしたラテンアメリカ諸国では、クリオーリョによる寡頭
 政治の下、大地主や軍部、カトリック教会による支配が行われ、国家体制は非
 民主的であった。また、これらの国々は大土地所有制の下でのモノカルチャー
 経済であったから、中米やカリブ海諸国はアメリカの、南米はイギリスやフラ
 ンスの影響力を強く受けた。
 
  1821年に独立したメキシコは、1846年に起こった米墨戦争に破れ、カリフォ
 ルニア、ニューメキシコをアメリカに割譲した。1850年代、国内での自由派と
 保守派の対立から内戦となり、1855年にフアレスが民主政府を樹立するが、フ
 ランス・スペイン・オーストリアの干渉を受けた。1861年、ナポレオン3世は
 メキシコ出兵で保守派を援助して帝政をたてるが、民衆の抵抗や合衆国の反対
 もあって帝政は崩壊した。1877年、ディアスがクーデターで大統領に就任して
 独裁体制を確立した。
 
 
 *************************************************************
 2カッコ抜き
 
 アメリカ合衆国
 
  独立後のアメリカでは初代大統領ワシントンが国内体制を整備し、2代大統
 領アダムズの時代にはワシントン特別区が首都となった。3代大統領
 ( 1 )は中央政府と州との権限の調和を図り、資本家中心であった政治を
 改めて自由主義的な国家を形成することに尽力した。1812年、イギリスの大陸
 逆封鎖によってアメリカの通商が妨害されたとして、アメリカがイギリスに宣
 戦し( 2 )戦争が起こった。( 2 )戦争はヨーロッパでのナポレオン
 戦争終結とともに終戦を迎えたが、アメリカではこの戦争の間イギリスからの
 工業製品流入が途絶えたため、アメリカの経済的自立が促進された。5代大統
 領( 3 )は、ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸の相互不干渉を内容とする
 ( 3 )宣言を出した。この方針は20世紀まで外交の基本方針となり、第一
 次世界大戦まで維持された。7代大統領( 4 )は、アメリカ史上初の西部
 出身の大統領であった。彼は選挙権の拡大をはかるなど民主主義的な政策を進
 め、中小農民や労働者を保護するなど西部の利益を代表した政治を行った。一
 方で、インディアン強制移住法を制定して、先住アメリカ人を居留地と呼ばれ
 る地域へ強制移住させた。
 
  この間、アメリカは領土の拡張を続けた。1803年、ナポレオン戦争中のフラ
 ンスから( 5 )を買収し、1819年、スペインから( 6 )を買収した。
 1845年、( 7 )共和国を併合し、1846年にイギリス領カナダとの国境線を
 画定してオレゴンを併合した。1848年に( 8 )とニューメキシコをメキシ
 コから獲得した。1867年、ロシアからアラスカを買収して、アメリカ本土は現
 在の形となった。
 
  アメリカの西部開拓は、明白な天命などの言葉のもと、東部に居住していた
 人々やヨーロッパからの移民によって行われた。政府も西部の公有地の払い下
 げを行うなどの奨励策をとり、人口が5000人に達した地域には準州として自治
 が認められ、人口が6万人に達した準州は連邦議会の承認を経て州に昇格し
 た。西漸運動によってフロンティアは西方に移動し、豊富な資源産出と食料生
 産が可能となった。それと同時に国内市場規模も拡大したから、産業発展が促
 進された。
 
 
 南北戦争
 
  西部開拓の進展と並行して、アメリカ国内では南北の対立が深刻化した。北
 部では工業が発展し、連邦主義や( 9 )などの国内産業保護策が支持され
 た。北部で支持された政党は国民共和党であった。一方、南部では( 10 )
 農業が中心で、産業革命で綿花需要が増大したイギリスへの綿花輸出が経済の
 要となっていたから、( 11 )主義や自由貿易政策が支持された。南部で支
 持された政党は民主党であった。奴隷制についても、そもそも奴隷の数が少な
 かったために廃止を主張する北部と、( 10 )の労働力に必須として存続を
 求める南部とが対立した。こうした中で、奴隷制の問題は政治問題化し、各州
 2名の議席を持つ上院での勢力争いから、連邦に新規加盟する州を奴隷州とす
 るか自由州とするかという争いも起きた。
 
  1820年、( 12 )協定が結ばれて、自由州と奴隷州の境界線が設定された
 ことで南北の妥協が成立した。しかし、1840年代の領土拡大と開拓の進展は南
 北対立を再燃させ、1850年、カリフォルニアを自由州とする一方でユタ・ニ
 ューメキシコは奴隷制の可否を定めずに準州とし、北部が逃亡奴隷法を承認す
 ることが決められた。1852年、ストゥ夫人が『( 13 )』を発表して奴隷の
 悲惨な生活状況を描写したことで、反奴隷の世論が高まったが、一方で1854
 年、カンザス=ネブラスカ法ではミズーリ協定は破棄され、ユタ・ニューメキ
 シコ両州では奴隷制の選択権を住民に与えることになり、この方式は南部に有
 利であったことから南北対立が激化した。
 
  1860年、奴隷制不拡大をとなえる共和党の( 14 )が16代大統領に当選し
 た。これに反発した南部7州が( 15 )を結成して合衆国から離脱し、後に
 その勢力は11州となった。連合国は首都をリッチモンドにおき、( 16 )が
 初代大統領となった。
 
  1861年、イギリスの援助を期待した南部の先制によって南北戦争が勃発し
 た。将軍リーの活躍などのため初期の戦局は南部に有利であった。1862年、北
 部は防戦するとともに( 17 )法を制定して西部の支持を獲得した。186
 3年、( 18 )宣言によって戦争目的を明確にし、欧州諸国が南部を国家とし
 て承認することを牽制した。経済力と海軍力を持つ北部は海上封鎖を行って南
 部の弱体化を図るとともに、将軍グラントの活躍などで1863年の( 19 )の
 戦いで勝利をおさめ、北軍は優位に立った。1865年、南部の首都リッチモンド
 は陥落して南部は降伏し、南北戦争は終結した。
 
  1865年、奴隷制の廃止を定めた憲法修正第13条が制定された。1966年の憲法
 修正第14条では黒人の公民権が保障され、1870年の憲法修正第15条で黒人の選
 挙権も保障された。しかし、奴隷解放後も黒人は小作人となったに過ぎず、南
 部での黒人差別はなお続いた。黒人の選挙権も、読み書き試験などの方法に
 よって事実上剥奪さた。さらに、隔離はしても平等であれば差別でないとの理
 論のもと、南部では人種隔離が法制化され、KKKなどの秘密結社によるテロ
 リズムの動きもあらわれた。
 
  1862年、( 17 )法が制定されたことによって、西部の開拓はいっそう進
 んだ。1869年に最初の( 20 )が完成するとより高速で大量の物資輸送が可
 能となり、国内の市場規模はますます大きくなった。こうして西部の開拓が進
 んだ結果、1890年にはついにフロンティアの消滅が発表された。開拓に伴う国
 内市場の拡大や保護関税政策によって北部の産業革命が急速に進展し、アメリ
 カは1880年代には世界第一位の工業国となった。19世紀後半には東欧、南欧か
 ら大量の移民が流入し、彼らもまた、安価な労働力としてアメリカの発展を支
 えた。その一方、南北戦争で敗北した南部は1867年の再建法の下で軍政下での
 政治経済改革が行われ、経済的にも北部の支配下に入って貧しい地域となっ
 た。また、南北戦争後も先住アメリカ人の問題は解決せず、彼らへの圧迫、弾
 圧は続いた。
 
 
 ラテンアメリカ
 
  相次いで独立を果たしたラテンアメリカ諸国では、クリオーリョによる寡頭
 政治の下、大地主や軍部、カトリック教会による支配が行われ、国家体制は非
 民主的であった。また、これらの国々は大土地所有制の下でのモノカルチャー
 経済であったから、中米やカリブ海諸国はアメリカの、南米はイギリスやフラ
 ンスの影響力を強く受けた。
 
  1821年に独立したメキシコは、1846年に起こった米墨戦争に破れ、カリフォ
 ルニア、ニューメキシコをアメリカに割譲した。1850年代、国内での自由派と
 保守派の対立から内戦となり、1855年にフアレスが民主政府を樹立するが、フ
 ランス・スペイン・オーストリアの干渉を受けた。1861年、ナポレオン3世は
 メキシコ出兵で保守派を援助して帝政をたてるが、民衆の抵抗や合衆国の反対
 もあって帝政は崩壊した。1877年、ディアスがクーデターで大統領に就任して
 独裁体制を確立した。
 
 
 
 解答
 1:トマス=ジェファソン   2:米英   3:モンロー
 4:ジャクソン   5:ミシシッピ以西のルイジアナ   6:フロリダ
 7:テキサス   8:カリフォルニア   9:保護関税政策
 10:プランテーション   11:州権   12:ミズーリ
 13:アンクル=トムの小屋   14:リンカン   15:アメリカ連合国
 16:ジェファソン=デヴィス   17:ホームステッド   18:奴隷解放
 19:ゲティスバーグ   20:大陸横断鉄道
 
 *************************************************************
 3一問一答
 
 1:アメリカ連合国は首都をどこに置いたか。
 2:南北戦争で活躍した北軍の将軍は誰か。
 3:『アンクルトムの小屋』の著者は誰か。
 4:アメリカで最初の大陸横断鉄道が完成したのはいつか。
 
 解答
 1:リッチモンド
 2:グラント
 3:ストゥ夫人
 4:1869年
 
 *************************************************************
 4ご案内
 
 
 ====メールマガジン関連のご案内====
 
 ここに掲載する内容は正誤を確認してはおりますが、大量の資料を扱うため
 予期せずに間違いが流れてしまうことがあります。間違いを発見なさった方
 はwebmaster@sekaishi.comまでご連絡いただきたいと思います。また、
 致命的な間違いは、発見され次第、訂正版をお送りいたします。
 
 このメールマガジン内で記述された会社名・商品名は、各社の商標または登
 録商標です。
 
 
 ※このメールマガジンに起因するいかなる損害も作者は保証いたしません
 
 ※このメールマガジンに関し、編集・発行者は著作権を主張します。
 ※詳しくは、http://www.sekaishi.com/support/author.html
 ※の「著作権について」をご覧下さい。
 
 
 ====ウェブサイトのご案内====
 
 メールマガジン登録・解除(機能的です)
 http://www.sekaishi.com/mailmag/tokai.html
 
 掲示板(暫定運営中)
 http://www.sekaishi.com/bbs/
 
 
 バックナンバー集(全てのバックナンバーを一覧できます)
 http://www.sekaishi.com/mailmag/sekamo/
 
 更新情報
 http://www.sekaishi.com/whatsnew.html
 
 中国歴史用語変換辞書for ATOK9/ATOK11(日本語変換ライブラリ)
 http://www.sekaishi.com/im/
 
 *「ATOK」は株式会社ジャストシステムの登録商標です。
 *************************************************************
 
 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
 
 編集・発行:世界史猛特訓製作委員会
       The World History
 連絡先:webmaster@sekaishi.com
 ホーム:http://www.sekaishi.com/
 メルマガの登録・解除、バックナンバーのページ等があります。
 
 このメールマガジンの著作権は編集・発行人が保持しています。
 (c) 1998-2002 世界史猛特訓製作委員会
               The World History
 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= 
























































前の号へ    目次へ戻る    次の号へ



所在地:ドキュメントルートメールマガジンセンターバックナンバー→世界史猛特訓第 102 号直前の目次に戻る
 トップページ   更新履歴 |  文書年表試験 |  メルマガ |  変換辞書 |  サポート |  ダウンロード |  リンク   サイト内検索 
(c) 1998-2002 The World History all rights reserved
ご意見・ご感想は webmaster@sekaishi.comまで