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世界史猛特訓 第 101 号 バックナンバー配送バージョン
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もくじ
1------本文
2------カッコ抜き問題
3------一問一答
4------ご案内
5------連絡先など
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1本文
東方問題
ヨーロッパの東方では、オスマン=トルコの衰退にともなって、オスマン支
配下の諸民族が民族自決を求める民族運動を展開した。これに対し、インドへ
の交通とその安全を確保したいイギリス、北アフリカへの勢力拡大と権益確保
を図るフランス、バルカンへの勢力拡大をもくろむオーストリア、地中海への
出口を求めて南下政策を進めるロシアが、それぞれの利害をもってこの地域に
介入したため、列強の対立と紛争が頻発した。
1821年、ギリシア独立戦争が起こり、イギリス・フランス・ロシアがギリシ
アを支援してトルコと戦った。1829年のアドリアノープル条約でトルコはロシ
アと単独講和して、ロシアは黒海沿岸地方などの領土を獲得した。これに対し
てイギリスはロンドン会議を主催して、トルコの被害を最小限におさえるとと
もに、ギリシアの独立を認めた。
1831年、エジプト総督ムハンマド=アリーがトルコからの自立と領土を要求
して、第一次エジプト=トルコ戦争が起こった。この時はオーストリア・イギ
リス・フランスがエジプトを支援する一方、ロシアがトルコを支援した。この
結果、1933年のウンキャル=スケレッシ条約でロシアはボスフォラス・ダーダ
ネルス両海峡を軍艦が通行する権利を獲得し、地中海への進出を果たした。
1839年、第二次エジプト=トルコ戦争が勃発する。この時は、フランスがエジ
プトを支援したが、イギリス・ロシア・オーストリア・プロイセンはそろって
トルコを支援し、イギリスの外交政策により、ウンキャル=スケレッシ条約は
破棄されて両海峡は中立化された。
1853年、聖地管理権問題をめぐるロシアとフランスの対立の中で、トルコ領
内のギリシア正教徒保護を口実に、ロシアがトルコに宣戦してクリミア戦争が
起こった。これ対してイギリス・フランス・サルデーニャがトルコを支援し、
クリミア半島を主戦場としてセヴァストポリ要塞の戦いなど激戦が繰り広げら
れた。この戦争でロシアは敗北し、1856年のパリ条約ではトルコの領土保全と
独立の保障、両海峡の閉鎖、黒海の中立化とドナウの自由航行、ロシアのベッ
サラヴィア放棄などが取り決められ、ロシアの南下政策は失敗した。パリ会議
の成功によって、フランスのナポレオン3世は国際的な威信を高め、イギリス
は東地中海の安定という利得を得た。一方で敗北したロシアは後進性を露呈
し、アレクサンドル2世の国内改革着手への契機となった。
1877年、トルコ統治下のバルカン半島内でパン=スラヴ主義が高揚したこと
を背景に、キリスト教徒保護を口実としてロシアが単独でトルコに宣戦し、露
土戦争が勃発した。ロシアはこれに勝利してサン=ステファノ条約を結び、
ルーマニア・セルビア・モンテネグロの独立とブルガリアへの自治権付与が取
り決められた。これによってロシアの南下政策は一応成功をおさめたが、この
条約にイギリスとオーストリアは強い不満を持った。こうした事態に対し、プ
ロイセンのビスマルクは1878年にベルリン会議を主宰し、サンス=テファノ条
約を破棄して新たにベルリン条約を締結することが会議で決定した。ベルリン
条約ではルーマニア・セルビア・モンテネグロの独立とブルガリアの自治権は
認められたが、ブルガリアの領土は大幅に縮小され、ロシアの南下政策は再び
失敗した形になった。その一方で、イギリスはキプロス島を獲得して東地中海
への進出を果たし、オーストリアはボスニアとヘルツェゴヴィナの統治権を獲
得した。南下政策が挫かれたロシアは、以後進出地域を転換し、中央アジアや
東アジアでの南下を押し進めるようになった。また、これがバルカン半島への
オーストリアやドイツの進出の契機となり、バルカン問題が新たな国際対立の
焦点となった。
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2カッコ抜き
東方問題
ヨーロッパの東方では、オスマン=トルコの衰退にともなって、オスマン支
配下の諸民族が民族自決を求める民族運動を展開した。これに対し、インドへ
の交通とその安全を確保したいイギリス、北アフリカへの勢力拡大と権益確保
を図るフランス、バルカンへの勢力拡大をもくろむオーストリア、地中海への
出口を求めて南下政策を進めるロシアが、それぞれの利害をもってこの地域に
介入したため、列強の対立と紛争が頻発した。
1821年、( 1 )戦争が起こり、イギリス・フランス・ロシアがギリシア
を支援してトルコと戦った。1829年の( 2 )条約でトルコはロシアと単独
講和して、ロシアは黒海沿岸地方などの領土を獲得した。これに対してイギリ
スはロンドン会議を主催して、トルコの被害を最小限におさえるとともに、ギ
リシアの独立を認めた。
1831年、エジプト総督ムハンマド=アリーがトルコからの自立と領土を要求
して、第一次( 3 )戦争が起こった。この時はオーストリア・イギリス・
フランスがエジプトを支援する一方、ロシアがトルコを支援した。この結果、
1933年の( 4 )条約でロシアはボスフォラス・ダーダネルス両海峡を軍艦
が通行する権利を獲得し、地中海への進出を果たした。1839年、第二次エジプ
ト=トルコ戦争が勃発する。この時は、フランスがエジプトを支援したが、イ
ギリス・ロシア・オーストリア・プロイセンはそろってトルコを支援し、イギ
リスの外交政策により、( 4 )条約は破棄されて両海峡は中立化された。
1853年、( 5 )問題をめぐるロシアとフランスの対立の中で、トルコ領
内のギリシア正教徒保護を口実に、ロシアがトルコに宣戦して( 6 )戦争
が起こった。これ対してイギリス・フランス・サルデーニャがトルコを支援
し、クリミア半島を主戦場としてセヴァストポリ要塞の戦いなど激戦が繰り広
げられた。この戦争でロシアは敗北し、1856年の( 7 )条約ではトルコの
領土保全と独立の保障、両海峡の閉鎖、黒海の中立化とドナウの自由航行、ロ
シアのベッサラヴィア放棄などが取り決められ、ロシアの南下政策は失敗し
た。パリ会議の成功によって、フランスの( 8 )は国際的な威信を高め、
イギリスは東地中海の安定という利得を得た。一方で敗北したロシアは後進性
を露呈し、( 9 )の国内改革着手への契機となった。
1877年、トルコ統治下のバルカン半島内でパン=スラヴ主義が高揚したこと
を背景に、キリスト教徒保護を口実としてロシアが単独でトルコに宣戦し、
( 10 )戦争が勃発した。ロシアはこれに勝利してサン=ステファノ条約を
結び、( 11 )・( 12 )・( 13 )の独立と( 14 )への自治権付
与が取り決められた。これによってロシアの南下政策は一応成功をおさめた
が、この条約にイギリスとオーストリアは強い不満を持った。こうした事態に
対し、プロイセンのビスマルクは1878年に( 15 )会議を主宰し、サン=ス
テファノ条約を破棄して新たに( 15 )条約を締結することが会議で決定し
た。( 15 )条約ではルーマニア・セルビア・モンテネグロの独立とブルガ
リアの自治権は認められたが、ブルガリアの領土は大幅に縮小され、ロシアの
南下政策は再び失敗した形になった。その一方で、イギリスは( 16 )島を
獲得して東地中海への進出を果たし、オーストリアは( 17 )と( 18 )
の統治権を獲得した。南下政策が挫かれたロシアは、以後進出地域を転換し、
中央アジアや東アジアでの南下を押し進めるようになった。また、これがバル
カン半島へのオーストリアやドイツの進出の契機となり、バルカン問題が新た
な国際対立の焦点となった。
解答
1:ギリシア独立 2:アドリアノープル 3:エジプト=トルコ
4:ウンキャル=スケレッシ 5:聖地管理権 6:クリミア
7:パリ 8:ナポレオン3世 9:アレクサンドル2世
10:露土 11・12・13:ルーマニア/セルビア/モンテネグロ(順不同)
14:ブルガリア 15:ベルリン 16:キプロス
17・18:ボスニア/ヘルツェゴヴィナ
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3一問一答
1:19世紀にバルカンで高揚した、スラヴの統一を目指す考え方を何と言うか
2:露土戦争の講和条約は何か。
3:ギリシアの独立が国際的に認められた会議は何か。
解答
1:パン=スラヴ主義
2:サン=ステファノ条約
3:ロンドン会議
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