| -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
世界史猛特訓 第 100 号 バックナンバー配送バージョン
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
#この文書は「世界史猛特訓」のバックナンバーです。今までに配送し
#てきたものを、そのままの形で配送しています。
このメールは表示幅を71桁以上にしてご覧頂くと快適にお読み頂けます
もくじ
1------本文
2------カッコ抜き問題
3------一問一答
4------ご案内
5------連絡先など
メールマガジンについての詳細情報は
http://www.sekaishi.com/support/
からどうぞ。
*************************************************************
1本文
フランス
ナポレオン3世が皇帝として政治を行っていた時の政治体制を、第二帝政と
いう。ナポレオン3世は皇帝として専制を行ったが、国民各階層の支持を得る
ためにさまざまな政策を行った。
内政分野では、全権を皇帝に集中し、軍事力や警察力によって反対派を押さ
える一方、国民各層に支持を得られるような諸政策を展開した。資本家の支持
を得るために産業の保護育成政策を行い、都市基盤や交通通信を整備した。一
方で労働者のために社会政策を実施して労働条件を改善したり、年金制度を創
設したりした。
外交分野では積極的な対外政策を展開し、華々しい成果をあげることで人気
の維持をはかった。1853年に勃発したクリミア戦争へ参戦し、その戦後処理の
ためパリ講和会議を開催した。また、1856年からのアロー戦争で勝利して中国
への進出をすすめた。さらに、イタリア統一戦争では援助の見返りとして領土
を獲得し、インドシナ出兵では東南アジア植民地の基礎を築いた。一方で、
1861年からのメキシコ出兵や、ドイツ統一問題への介入は失敗した。
フランスがドイツに宣戦布告して起こった普仏戦争では、1870年9月、セダ
ンの戦いでナポレオン3世が捕虜となったために第二帝政は崩壊した。フラン
スでは国防政府が成立して戦争は継続したが、1971年1月、パリが陥落してフ
ランスはドイツに降伏した。1871年3月のフランクフルト講和条約では、フラ
ンスはアルザス、ロレーヌをドイツに割譲し、多額の賠償金を支払うという過
酷な条件での講和を余儀なくされた。
1871年1月、フランスはドイツに降伏して休戦協定が成立した。同年2月、
ティエールを首班とした臨時政府が成立して仮講和条約に調印し、3月には講
和条約が成立した。
その一方で、1871年3月18日、講和に反対するパリの民衆が蜂起し、社会主
義者の指導下でパリ=コミューンが成立した。パリ=コミューンは、民衆や労
働者が中心となった自治政府で、世界最初の社会主義政権であった。しかし、
5月28日までにドイツ軍の援助を受けた政府軍によって鎮圧され、パリ=コミ
ューンは短命に終わった。
第三共和政では当初、王党派と共和派が対立したが、共和派が伸張して主導
権をとり、1875年、第三共和国憲法が制定されて第三共和政が正式発足し、
1940年まで続いた。
ロシア
19世紀、ロシアではロマノフ朝下でツァーリズムと呼ばれる専制支配が行わ
れていた。ロシアは自由主義の動きに介入を続け、その絶対主義的な行動から
ヨーロッパの憲兵とも言われた。一方、国内では強固な農奴制が敷かれていて
市民階級が未発達であるなど、他のヨーロッパ諸国に比べて後進的な状態で
あった。
こうした専制や農奴制に対しては、1825年のデカブリストの乱や1830年の
ポーランド騒乱など抵抗の動きがあったが、いずれも鎮圧された。農民による
一揆が多発したり、知識人層は文芸活動などを通じて国内体制への批判を強め
るなど、自由主義的な政策を求める動きは強まっていった。
こうした中、ニコライ1世が起こしたクリミア戦争で敗北したロシアはその
後進性を露呈し、皇帝アレクサンドル2世は国内体制の変革を試みた。1861
年、農奴解放令を出して農奴の人格的隷属を廃止し、農民に有償で土地を売却
して自作農化を図った。しかし、土地の売却は49年賦で行われ、買い取りまで
は土地はミールの所有となったため、ほとんどの農民は土地を買い取ることが
できず、地主本位の不徹底な改革に終わった。その他、地方議会の設立や司法
制度の整備などの改革が行われたが、1863年のポーランド反乱を契機として皇
帝は反動化し、専制政治が復活した。
国内の変革が遅々として進まない中、ナロードニキと言われる人々が「ヴ=
ナロード(人民の中へ)」という言葉をスローガンに掲げ、農民を啓蒙するこ
とで下からの改革を進めて農業社会主義の実現を目指した。しかし、こうした
運動は農民に理解されず、政府からの弾圧もあって挫折した。運動に失敗した
参加者の中にはニヒリズムやテロリズムに走る者も現れ、1881年にはアレクサ
ンドル2世が暗殺されるという事件も起こった。
*************************************************************
2カッコ抜き
フランス
ナポレオン3世が皇帝として政治を行っていた時の政治体制を、( 1 )
という。ナポレオン3世は皇帝として専制を行ったが、国民各階層の支持を得
るためにさまざまな政策を行った。
内政分野では、全権を皇帝に集中し、軍事力や警察力によって反対派を押さ
える一方、国民各層に支持を得られるような諸政策を展開した。資本家の支持
を得るために産業の保護育成政策を行い、都市基盤や交通通信を整備した。一
方で労働者のために社会政策を実施して労働条件を改善したり、年金制度を創
設したりした。
外交分野では積極的な対外政策を展開し、華々しい成果をあげることで人気
の維持をはかった。1853年に勃発した( 2 )戦争へ参戦し、その戦後処理
のためパリ講和会議を開催した。また、1856年からの( 3 )戦争で勝利し
て中国への進出をすすめた。さらに、イタリア統一戦争では援助の見返りとし
て領土を獲得し、( 4 )出兵では東南アジア植民地の基礎を築いた。一方
で、1861年からの( 5 )や、ドイツ統一問題への介入は失敗した。
フランスがドイツに宣戦布告して起こった普仏戦争では、1870年9月、
( 6 )の戦いでナポレオン3世が捕虜となったために第二帝政は崩壊し
た。フランスでは国防政府が成立して戦争は継続したが、1971年1月、パリが
陥落してフランスはドイツに降伏した。1871年3月のフランクフルト講和条約
では、フランスは( 7 )をドイツに割譲し、多額の賠償金を支払うという
過酷な条件での講和を余儀なくされた。
1871年1月、フランスはドイツに降伏して休戦協定が成立した。同年2月、
ティエールを首班とした臨時政府が成立して仮講和条約に調印し、3月には講
和条約が成立した。
その一方で、1871年3月18日、講和に反対するパリの民衆が蜂起し、社会主
義者の指導下で( 8 )が成立した。( 8 )は、民衆や労働者が中心と
なった自治政府で、世界最初の社会主義政権であった。しかし、5月28日まで
にドイツ軍の援助を受けた政府軍によって鎮圧され、( 8 )は短命に終
わった。
( 9 )では当初、王党派と共和派が対立したが、共和派が伸張して主導
権をとり、1875年、第三共和国憲法が制定されて第三共和政が正式発足し、
1940年まで続いた。
ロシア
19世紀、ロシアではロマノフ朝下でツァーリズムと呼ばれる専制支配が行わ
れていた。ロシアは自由主義の動きに介入を続け、その絶対主義的な行動から
ヨーロッパの憲兵とも言われた。一方、国内では強固な農奴制が敷かれていて
市民階級が未発達であるなど、他のヨーロッパ諸国に比べて後進的な状態で
あった。
こうした専制や農奴制に対しては、1825年の( 10 )の乱や1830年の
( 11 )騒乱など抵抗の動きがあったが、いずれも鎮圧された。農民による
一揆が多発したり、知識人層は文芸活動などを通じて国内体制への批判を強め
るなど、自由主義的な政策を求める動きは強まっていった。
こうした中、ニコライ1世が起こしたクリミア戦争で敗北したロシアはその
後進性を露呈し、皇帝( 12 )は国内体制の変革を試みた。1861年、農奴解
放令を出して農奴の人格的隷属を廃止し、農民に有償で土地を売却して自作農
化を図った。しかし、土地の売却は49年賦で行われ、買い取りまでは土地は
ミールの所有となったため、ほとんどの農民は土地を買い取ることができず、
地主本位の不徹底な改革に終わった。その他、地方議会の設立や司法制度の整
備などの改革が行われたが、1863年の( 13 )反乱を契機として皇帝は反動
化し、専制政治が復活した。
国内の変革が遅々として進まない中、( 14 )と言われる人々が「ヴ=ナ
ロード(人民の中へ)」という言葉をスローガンに掲げ、農民を啓蒙すること
で下からの改革を進めて農業社会主義の実現を目指した。しかし、こうした運
動は農民に理解されず、政府からの弾圧もあって挫折した。運動に失敗した参
加者の中にはニヒリズムやテロリズムに走る者も現れ、1881年にはアレクサン
ドル2世が暗殺されるという事件も起こった。
解答
1:第二帝政 2:クリミア 3:アロー 4:インドシナ
5:メキシコ出兵 6:セダン 7:アルザス・ロレーヌ
8:パリ=コミューン 9:第三共和政 10:デカブリスト
11:ポーランド 12:アレクサンドル2世 13:ポーランド
14:ナロードニキ
*************************************************************
3一問一答
1:クリミア戦争の講和会議が行われたのはどこか。
2:アレクサンドル2世が領主制の廃止のために発布したのは何か。
3:ナロードニキがスローガンとした語は何か。
解答
1:パリ
2:農奴解放令
3:ヴ=ナロード
*************************************************************
4ご案内
====メールマガジン関連のご案内====
ここに掲載する内容は正誤を確認してはおりますが、大量の資料を扱うため
予期せずに間違いが流れてしまうことがあります。間違いを発見なさった方
はwebmaster@sekaishi.comまでご連絡いただきたいと思います。また、
致命的な間違いは、発見され次第、訂正版をお送りいたします。
このメールマガジン内で記述された会社名・商品名は、各社の商標または登
録商標です。
※このメールマガジンに起因するいかなる損害も作者は保証いたしません
※このメールマガジンに関し、編集・発行者は著作権を主張します。
※詳しくは、http://www.sekaishi.com/support/author.html
※の「著作権について」をご覧下さい。
====ウェブサイトのご案内====
メールマガジン登録・解除(機能的です)
http://www.sekaishi.com/mailmag/tokai.html
掲示板(暫定運営中)
http://www.sekaishi.com/bbs/
バックナンバー集(全てのバックナンバーを一覧できます)
http://www.sekaishi.com/mailmag/sekamo/
更新情報
http://www.sekaishi.com/whatsnew.html
中国歴史用語変換辞書for ATOK9/ATOK11(日本語変換ライブラリ)
http://www.sekaishi.com/im/
*「ATOK」は株式会社ジャストシステムの登録商標です。
*************************************************************
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
編集・発行:世界史猛特訓製作委員会
The World History
連絡先:webmaster@sekaishi.com
ホーム:http://www.sekaishi.com/
メルマガの登録・解除、バックナンバーのページ等があります。
このメールマガジンの著作権は編集・発行人が保持しています。
(c) 1998-2002 世界史猛特訓製作委員会
The World History
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= |
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
|